5.陰り始めた雨雲の色


「え、なに?」

昼休み。机を三つくっつけて談笑しながら弁当を食べていると、佳織がとんでもないことを言いだした。

「だから、クリス君と付き合ってるのかって聞いてんの」

どうしてこんな話になったのか。

別段、恋愛話をしていたわけではない。昼休みが始まって、いつもの三人で集まって弁当を広げた。こっちのクラスは小テストがあったとか、次の模試の話とか、昨日のテレビの話をしながら昼御飯をたべる。そうして、思い出したかのように圭織が言ったのだ。

彼と付き合ってるのか、と。

「違うけど。何で?」
「アンタら去年から仲良いじゃない」
「それ私も思った。冬休み前なんか、部活中にクリス君が呼び出しに来たりしてたし」

雅美が言えば、圭織は意味ありげに私に視線をやった。何だそのにやけ顔は。

「私は冬休み中に二人で歩いてたって噂を聞いたよ」
「おー」
「バレンタインが楽しみだわ」
「ちょっとちょっと、何勝手に話を進めてるんですか。彼とは付き合ってないし、仲の良い友達なの」

私を置いてけぼりにして勝手に話を広げる二人。静止をかければ、何を言っているのかと軽く笑われた。

「クリス君イケメンだからね。うかうかしてると取られちゃうよ?」
「だからさぁ…」 

もう何を言っても聞いてくれない。半分からかわれているのだとは分かっているけど、こういった話をして誰かの耳に入れば、いつしか彼にも伝わってしまうだろう。その時彼だって、好きでもない女子と付き合ってるなんて噂になっている事を知ったら、あまり気分が良くないのではないか。

何て事を考えていると、いつの間にか佳織だけがべらべらと喋っている事に気が付いた。黙ったまま何かを考えるような、迷っているような顔をしている雅美に私は声を掛けた。

「雅美、どしたの?」
「いや、ちょっと思い出して」
「何を?」
「クリス君の噂」
「何それ。私知らない」

一瞬にして静まる私たちの空間。急に真面目な顔になった雅美を二人で見つめれば、彼女は慌てて言った。

「あ、でもあくまで噂だし。それになまえはクリス君と仲良いから、あんまり気分良くない話だと思う。忘れて」
「そこまで言われたら気になるな」

机の中心にずいと顔を寄せて、三人で集まる。雅美は少し周りを見渡してから、小さな声で話し始めた。昼休みの喧騒の中、慎重な彼女の声が私の耳に入る。

「クリス君、夏頃から雰囲気変わったじゃん?それって、怪我が原因だってのは知ってる?」
「うん」
「で、うちのクラスで聞いた話なんだけど、怪我が原因で後輩にレギュラー取られて、おかしくなったって噂が立ってるの」
「は?」
「それで、投手を潰すような事してるらしいって噂」

なに、それ。

よく解らない感情が腹の底から湧いて出てきた。どうやらそれが顔にも出ていたらしい。

「ごめん、やっぱ話すべきじゃなかった」
「雅美は悪くないよ。無理に聞いたのは私だし。それに、根も葉もない噂なんだから直ぐに忘れられるよ」
「うん…」
「はい、この話はヤメ。みょうじも気にしてないって言ってるし、楽しくご飯食べよ」
「うん、そうだね」

話題はクリス君から、3年生になった時のクラス替えがどうなるかに変わり、雰囲気も元に戻った。
ただ、私は自分で「すぐ忘れる」と言ってはみたものの、頭の片隅にこの話がこびり付いてしまっていたらしい。午後の授業もそのことばかり頭にあって、全然身に入らない。小さな欠片が心臓へすこしずつ刺さっていくような痛みを感じた。

誰が、なぜ、そんな酷いことを言っていたのか。
後輩にレギュラーを取られておかしくなっただなんて、そんなわけない。
投手を潰すとは、どういう事か。

は努力家で、ひたむきで、今だって頑張ってリハビリに通っているのだ。

きっとなにかの間違いや誤解に決まっている。

そう自分に言い聞かせていると、ふと、彼がこの噂を知っているのかと思ってしまった。もし知っているのだとしたら、きっと酷く傷つくだろう。私はなんて言葉を掛けてあげられるのだろうか。

私の胸の内を表すように、窓の外は灰色の雪雲が一面を覆っていた。



それから三日。

昨年と変わらず彼と一緒にバスで帰っていたけれども、何処かそわそわしていつもの様に話が出来なかった。どうしたのかと聞かれても、まさか噂についてダイレクトに聞くほど私は馬鹿で無神経ではない。何でもないよと答えて話題を変えて逃げ、何とか隠し通せているのだと思う。

そうして四日目。

昼休みに顧問に呼び出され、雑用を頼まれた後の事だ。殆ど使われることのない美術室の倉庫に古い道具を仕舞って教室に戻る途中、聞き慣れた名前が聞こえた。

「クリス先輩ってさ」

人気の少ない、奥の廊下。この角を曲がったすぐそこ。妙に響いて聞こえたのは、行き止まりの壁に反響してか、私の気のせいか。
気が付けば足が止まり、息を殺して聞き耳を立てていた。胸の音が鳴るたびに苦しくなり、片手で押さえつける。

「こっちへ寄越す練習メニューがえげつないよな」
「投げさせてくんねぇし、自分はさっさとどっか行くし、なんなんだよ」
「あの人が何を求めてるのか全然わかんねぇ」
「投手育てる気ないだろ、アレ。むしろ潰しにかかってるんじゃねぇの?」
「俺も我慢してたけど、最近特にそうとしか思えなくなってきた」


『うちのクラスで聞いた話なんだけど、投手を潰すような事してるらしいんだよね』


「ぜってぇ御幸が原因だよな。あいつに正捕手取られてから雰囲気変わったろ」
「やっぱそうなんだ」
「暗いし、ぶつぶつ喋って聞こえねぇし」
「御幸に正捕手取られてさ、悔しくておかしくなったんじゃねぇ?」
「だったらウケるんだけど」


『怪我が原因で後輩にレギュラー取られて、おかしくなったって』


耳障りな笑い声が頭に響く。
どうして。なんでそんな事を言うの。彼の何を知ってそんな話ができるの。
確かに、暗い雰囲気もあったし、声だって小さい。でもそんなの野球と関係ないでしょ。彼が諦めないで頑張っている事を知ってそんな事を言うの。それとも何も知らないで憶測だけでそんな事を言うの。

ふつふつと湧き出るものを抑えきれず、拳を握ってその場を飛び出した。

「ねぇ、君達」
「え?誰?」

急に出てきた私に少し戸惑いながら聞く彼ら。「クリス先輩」と言っていたから一年生だとは思ったけど、やっぱりそうだった。
三人でだるそうにして溜まっているところへ近づく。

「君達は野球部でしょ。クリス君の後輩だね」
「そう…ですけど」
「クリス君に不満があるなら、はっきり言いなよ」
「は?何でアンタにそんな事言われなきゃならないんスか」
「もしかして、クリス先輩の彼女?」

面倒くさそうな三人分の視線が集まる。

だから違うって。

「私はクリス君の友達です。ねぇ、言いたいことはちゃんと本人に言いなよ」
「友達っても、野球部とは関係ないですよね」
「これは俺ら野球部の問題なんで、口挟まないでもらえませんか」

じろりと睨み付けられれば、私だって怖い。思わず一歩下がってしまった。

「か、関係無くないよ。友達の悪口言われて黙ってられるわけないでしょ」
「は?」
「なんなんだよ、マジで」

一気に空気が悪くなる。彼らだって野球部員なんだから、簡単に手を上げたりしないだろうと考えてしまう私は卑怯なのか。それでもここで引き下がるわけにはいかないと思い、上から睨み付けてくる目を睨み返す。まだ完全に出来上がっていない体つきでも彼らは立派な男子高校生で、私より背も高いし、力も強いだろう。無いとは思うけど、手を上げられれば私は到底敵いっこない。
この威圧感に圧倒されてしまいそうになりながら、私はただ睨み返すしかなかった。
無言の数秒が、長くて重い。

「お前ら何してんだ」

背後から急に声がして振り返る。そこに立っていたのは見覚えのある長身の坊主頭だった。

「っ!いえ…」
「お疲れ様ッス」
「失礼します」

バタバタと駆けて行く彼らを視線で追いかける。これで良かったのか悪かったのかは分からないが、一先ず安心してため息を吐いた。
ふと、上から影が差して、見上げれば丹波君が少し険しい表情で立っていた。走り去る彼らと私とを一瞬見比べる。

「助かったよ、丹波君」
「何してたんだ。まさか、うちの部員と喧嘩したのか?」
「…わかんない」

何だそりゃ、と笑われてしまった。
だってわからないものはわからないのだから、仕方がないじゃないか。あんな雰囲気になりはしたが、別に殴ったり言い合ったわけではないから喧嘩になったという程のものではない。ただ、気持ちは晴れなかった。いっそあのまま言いたいことを沢山言ってしまえば良かったのだろうか。

「珍しいな。お前のそんな表情」
「私だって怒るときは怒るよ。それより聞きたいことあるんだけど」
「なんだ?」

彼が言いかけたところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。なんてタイミングの悪い。

「明日の昼休み、美術室でご飯食べながらでも良いかな?」
「まぁ、良いが」
「じゃあ、明日ね。絶対だよ」

そう約束して、私は小走りで教室に向かった。別に授業に少し遅れたって構わないのだけど。
途中、彼の姿を見つけた。一瞬視線が合う。

何かの間違いなんだ。

言い聞かせて、私は視線を反らして教室に向かった。

どんよりとした雨雲が見える。雨が降り出しそうだった。


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