4.指切りした手袋の青色


今まで描いていた油絵を完成させた。早く新しい絵を描きたくて、周りが引くほど一心不乱になって描き、完成した日に丁度冬休みに入った。

あれからほぼ毎日、彼と同じバスに乗って他愛ない会話をしている。やっぱりと言うか、相変わらず彼の目は淀んでいるのだけれども、それなりに会話は弾み(そう思っているのは私だけかもしれないが)、彼の事も沢山聞けた。驚いたのがお父さんがあのアニマルという事。「え?あの芸人のアニマル?」と聞けば野球選手の外人助っ人と言わないと機嫌が悪くなるらしい。

「そういえば、ヤカンから直接水を飲んでいたという噂を聞いたんだが、本当なのか?」
「……本当デス」
「ダイナミックだな」
「いや、これには事情があってね!」

そうやって二人で話しながら帰っていて、気が付いた事がいくつかある。
まず、バスの中の時間は案外短いという事。今まで一人で帰っていたせいか、彼と話をしているとバスの中の時間はとても短く感じられる。まだまだ話足りないし聞き足りないのに、気が付いたら彼が停車ボタンを押していて、また明日、なんて言いながら降りていくのだ。
そうすると明日が来るのが待ち遠しくて、私がバスを降りるまでの長い時間は明日は何の話をしようかとか、何を訊ねてみようかという事がぐるぐると頭の中を駆け巡る。

それから、彼の目に変化があったという事。たまに天気が悪くどんよりしている時は、私と話しながら外を眺めているが、以前のような酷く暗く重たすぎる目ではなくなったと感じるのは気のせいだろうか。
たまにふっと笑ってくれる事もある。大人っぽい微笑みで素直に楽しそうにしてくれる時もあれば、私の美術部でのとんでも行動――例えばヤカンからのダイレクト水分補給――の話を聞いて、呆れたような笑いをぽろりと零す時もあった。

「冬休みは部活は休みか?」
「うん。でも私は年末年始以外は毎日来る予定」

今年の登校日は今日が最後だったのだけれど、私には完成させたい作品があるので冬休みも関係なく美術室へ行く予定だった。さすがに年末年始は学校も閉まっているし登校する気はないけれども。
彼はどうなのかと問おうとしたが、きっと毎日朝から部活もあるだろうし、そのせいでリハビリの時間もいつもとズレてしまうのだろう。そう考えるときっと一緒のバスに乗る事もできないだろうし、今年彼と話すのはこれが最後かもしれないと思った。

「冬休み中にもし暇だったらさ、」

言いかけたところで丁度バスは病院前に止まって、戸が開くブザーが響いた。

「どうした?」
「いや、なんでもないや。じゃあ次は休み明けにね」
「あぁ。部活頑張れよ」
「うん。クリス君も、肩冷やさないようにね」

わかった、と言ってバスを降りていく彼。最近はバスを降りた後、外からこちらへ向かって手を振って見送ってくれる。
本当は、「暇だったら美術室に遊びにきなよ」と言いたかったのだけれど、彼だって部活にリハビリや勉強だってあるだろうし、忙しいはずという事に気が付いてやめた。
明日からの冬休み期間中は彼とああして話ながら帰る事ができないと思うと、少し寂しくなる。



なんて、残念に思っていたのは何だったのだろう。

12月29日。私は彼の隣を歩いている。クリスマスが終わって独特のイルミネーションが消えた商店街は、お正月の歌が流れてすっかり年越しムードが漂っていた。

「付き合ってもらって、ごめんね」
「課題をやろうと言ったのは俺だし、買い物くらい気にするな」

彼から連絡が来たのは昨日。冬休みの古典の課題で分からないところがあるので、分かれば教えてほしいというメールが来た。古典は得意だったので簡単な解説をメールで返す。すぐに有難うと返事が来て、せっかくなので、英語の課題で分からないところをメールで聞けば、少し時間を置いてから解説メールが返ってきた。分かりやすくて丁寧で、まるで先生みたいな解説に関心していると、もう一通メールが届いた。

『良かったら、明日一緒に課題をやらないか。俺も分からないところが結構あるんだ』

彼は頭も良さそうだし、わからないところがあるだなんて意外だった。でも私もわからないところ(…特に英語)があるし、せっかくなので一緒に課題をやろうと思い、『いいよ』と返して何度かメールが続く。『場所はどうする?』とか『じゃあ、13時に駅前で』なんて短く事務的なメールがクリス君らしい。
そうして私たちは、昼から駅前のスーパーのフリースペースで夕方まで課題をやり、終わった後は駅から少し歩いた喫茶店で軽くお茶をして、今から帰宅をするところだった。が、途中で絵具が切れていたのを思い出し、私が文具店で絵具を買って帰ると言ったら彼も付いてきてくれたのだ。

「絵具も沢山種類があるんだな」
「そうだよ。私は油絵が一番好きだけど水彩もやるから、部屋も部室のロッカーも絵具だらけ」
「使い分けるのが大変そうだな」
「んー、それはあんまないかな。でも買い置きしてたと思った色が無くて困る事はあるよ」
「それは大変だな」

まぁねと言って笑えば、白い息が出て消えていく。
なんやかんやで、すっかり暗くなってしまった。暗いし家まで送ると言われたけれども、彼だって帰りが遅くなってしまうし、駅まで一緒に行こうという話になった。

「今日は助かった。有難う」
「私こそ助かったよ。クリス君が一緒に課題やろうっていってくれなかったら、去年みたいに始業式に写させてもらうところだったかも」
「お前…絵の事以外は結構アレだな」
「あはは、反論できないかも」

そんな事を話しているうちに、気が付いたら駅前のバス停まで着いてしまっていた。彼と話していると時間が経つのがとても速く感じられる。
私はここからバスで、彼は電車で帰るという事で、私たちはバス停の前で「また来年」と、今年最後の挨拶を交わした。

「あ、そうだ。来年はクリス君の事描かせてくれないかな」
「俺を?」
「うん。クリス君が野球してるとこ描きたいんだ」

いつか、彼の目に輝きが戻ったならば、その姿を描きたい。彼の目じゃなくて、彼自身を描いてみたいと、冬休み前に前の作品を完成させた時に思った。断られるかもしれないとも思ったけど、言ってみなければ分からない。
言ってから「もし嫌でなければ」と付け加えれば、少し考えてから彼は口を開いた。

「……機会があれば、な」
「有難う!約束!」

小指を差し出せば、少し考えてから彼も小指を出した。青い手袋越しに私の小指を絡め取って、きゅっと結ぶ。私も結びかえすと、彼がふわりと微笑んだ。

「卒業後になってしまうかもな」
「まぁ待ってるよ、それまで」
「そうか。じゃあその時まで待っててくれ。絶対にグラウンドに戻るから」

少しだけ小指に力がこもった気がした。

丁度良く来たバスに乗り込み、窓越しに彼を見る。青い手袋が小さく揺れて、手を振ってくれている。私も同じく手を振りかえしたのと同時バスが発車した。

小さくなっていく彼。青色の手袋を振りながら、駅前のロータリーを抜けて建物の陰で見えなくなるまでそこに居てくれた。

あの青色を、私はしばらく忘れないだろう。

そう思い、ふと、部屋か部室のロッカーにあの青色の絵具はあっただろうかと思い出しながら、私はバスに揺られた。






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