3.雲から差し込む太陽の色


頭の中に残っているのは、あの時見た一瞬の光。あれはきっと、本来彼の持っていたもので、宝箱の中身の一部なんだと思う。それから、あの捨て台詞。あれは反則だ。

『またいつか返り咲いてやるさ』

くさい。けど、思い出す度にどきどきして、恥ずかしくなる。

それから、私のとってしまった行動を思い出すと一気に不安になってしまう。訊かれてもいないのに勝手に意見して、顔を掴んで。何も詳しいことは知らないのに『諦めないで』なんて、嫌な気にさせてしまっただろうか。もしかして彼に嫌われてしまったのではないだろうか。
あれから一週間立ったが、一度も彼と顔を合わせることは無かった。クラスも違うし、選択授業だって被っていない。バスは、何となく顔を合わせづらくて時間を変えた。きっとあの時間が、彼がいつも病院へ行く時間なのだろう。無理やり理由を作って遅くまで部活をして、あのバスの時間から2本遅らせた。
授業も部活も勿論集中しているのだけれど、うっかり油断をするとあの事がすぐ思い出されて、その度にどうしようもない気持ちになった。一番厄介なのは部活中で、どうにも制作中の油絵は失敗に繋がりそうな気がしたので暫くは手を付けるのをやめた。「先輩大丈夫ですか?」と後輩部員達に言われては「大丈夫大丈夫」と答えて、水彩用パレットを片手にスケッチブックと向き合う。

落ち着け私。

さて、今日は何を描こう。暫くは油絵から離れて水彩画を描き続けてきたけれども、どれも納得のいくものではなかった。上手く筆が滑らなくて途中で諦めてしまう。そうして何となく目に着いたそこら辺の物をデッサンし始めるというような事をあれから繰り返していた。
それは今日も同じ調子のようで、いざ水を張って描き進めていくとなんか調子が乗らず今日もデッサンに移ろうかという時だ。

「みょうじ副部長、ちょっと来てー」
「んー、なぁに…って、クリス君!?」 

同期の雅美に呼ばれて入り口まで行くと、彼がそこに立っていた。何故彼が私を訪ねてくるのか。

「話があるんだが、今良いだろうか」
「今は、ちょっと…」

嘘。どうせ何か描きたくて描こうとしていたのでは無い。でも彼の話を聞くのがなんだか恐くて視線を逸らして断った。

「行きよ。どーせ今日も何も描けないなら、暇でしょ。むしろそのまま帰っても良いんじゃない?」

余計な事を!!

「じゃあ片づけて、」
「私がやっとくから。ナナちゃん、副部長の鞄ちょーだい」
「あ、はい」

当事者の私の話を聞かずとんとん拍子で話を進めていく彼女。後輩のナナちゃんからどうぞと鞄を渡されれば、これはもう帰る…いや、出ていくしかない。仕方なしに後片付けを頼めば、雅美からは「お幸せに」なんて勘違いも甚だしい言葉を耳元で呟かれた。明日しばいてやる。

美術室を追い出された後は、彼はいつもの病院へリハビリへ、私は不本意ながら帰宅するという事になってしまったので、とりあえず玄関で話をしようという事になった。
吹奏楽部の出す心地よい音を聞きながら黙って玄関に向かう。そういえば野球の大会の応援と言えば、吹奏楽部が付き物だ。彼にとってはあんまり心地よくないものじゃないだろうか。ちらりと横に並ぶ彼を見上げれば、相も変わらずといったような目で真っ直ぐ前を向いて歩いていた。先日のあの光はどこにいってしまったのか。
玄関まで着くとバスの時刻表を見て次のバスまであと15分ある事を確かめてから、彼は話を切り出した。

「この間は、かなり驚いた」
「あー、うん…その、何にも分かってないのに、勝手な事言ってごめん」
「なんで謝るんだ。別に俺は怒ってない」
「いや、私の中ではすごい事件になってたから」

彼の表情を見てもあまり表情が変わらなくて、あの事を気にしているのかも全然分からない。嫌そうな顔ではないので本当に怒っていないのかもしれないけれども、少しでも嫌な気にさせてしまっていたなら申し訳ないという気持ちがあるので、どうしても気になってしまう。

「えっと、話って?」
「この間の事で」

やっぱり。もう関わらないでとか言われたらどうしよう。ずきんと胸が痛んで、思わず唇を噛み締めた。

「みょうじは、いつもあの時間のバスに乗っているのか?」
「え?う、うん」
「最近は時間を変えたのか?」
「うん、ちょっとね、部活が上手くいかなくって残ったりしてた…かな」

まさか避けていたなんて言えるわけない。気不味くて視線を逸らして答えた。

「そうか。明日はいつものバスに乗るのか?」
「え?その日の部活によるけど。やっぱり…こないだの事気に障った?同じバスに乗りたくない、とか?」

聞いて彼の様子を伺えば、少し眉をしかめられた。やっぱりそうなんだ。別に彼の事を好きだったり、特別仲の良い友達という訳ではないけれど、そういう風に思われていたと思うと結構くるな。
視線を足元に落とせば、自分の上履きしか見えなくなった。そうして次にやってくる返事に身構えた。

「いや、最近あの時間にいないから気になっただけだ。俺はそんな小さな男ではないんだが?」
「へ?」
「聞いてほしい話がある」

思っていたのと違う返事に顔を上げれば、真っ直ぐにこちらを見ている彼が居た。
そうして一息置いて口を開いた。
多分無意識だろう、痛めたらしい右肩を左手で摩りながら、先日よりも滑らかな口調で話し始めた。

淡々と語られる、野球部と自分の怪我の話。なぜ怪我をしたのか。怪我をした時に感じた絶望感と、それでも野球を諦めたくないという気持ち。部内で浮いた自分の存在。

何故私なんかに話してくれるのだろうと疑問を感じつつも、私は相槌を打ちながら聞いた。滑らかに話されるその話の中で、時折確かめるかのように噛み締められる。

「同情されて腫物に障るように話しかけられるのが嫌だった。だから、あまり部活では怪我の事を口にしないようにしていたんだ。多分皆も俺がそう思っていた事を分かっていたんだと思う。自分の力で前に進むしかないと思った。でもそれは、案外難しくて、段々自信が無くなっていった」
「うん」
「だから、あんなに真っ直ぐ諦めるなと言われたのが衝撃的というか、嬉しかった。真っ直ぐで、久々に響いたんだ」
「うん」
「それを伝えたかったが、なかなか会えなかったからな。呼び出しだなんて迷惑な事をしてすまない。お前は野球部とは関係ないのにな」

きらりと、一瞬輝いた目の奥。その光を見た途端、胸が鳴った。私はその光を知っている。彼が戻ってきた。

真っ直ぐ見つめ返せば、彼の目が、私を捉えた。まだどんよりとしているけれども、微かに揺れて見える輝きは私の好きなもの。諦めていない、可能性。熱いものが込み上げてくる。

「そんな事ない。私だって嬉しかったんだよ。クリス君が諦めてないって知って、本当に嬉しかったんだよ」
「そう、か…」
「私はクリス君を応援する。頑張ってなんて、無責任かもしれないけど、頑張って」
「あぁ、有難う。すまない」
「謝らないでよ。私たち友達なんだから。」
「…有難う」

手を差せば、大きな手で強く握り返された。私が笑えば、彼も口角を上げる。彼のこんな笑顔を見るのは初めてかもしれない。

「もし良ければ、病院に行くバスの中で話し相手になってくれないか?」
「勿論。私なんかで良ければ何でも話して」

私なんかじゃ頼りないかもしれないけれど、いつでも話したい時は話してほしい。今はまだ前に進めなくとも、きっとその努力は報われる。彼は、またグラウンドに立てる。
相変わらずその目は淀んでいるけれども、きっと大丈夫だろう。
時折見せるあの輝きを、いつか取り戻すのだ。そうして彼が堂々とグラウンドに立った姿を、私は描こう。

その日は二人でバス停に向かい、先日と同じ席ではなく一番後ろに並んで座ってお互いの話をした。今どんなリハビリをやっているのか。どんな絵を描いているのか。部活の話に友達の話。難しい授業や眠たい授業。
まさか彼とこんなに話をできる日が来るとは思わなかった。


17時45分、青道高校前発。

私たちだけの、バスの時間。


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