6.道を隠す不安な灰色


4時間目が終わると同時に弁当を持って教室を出ようとしたところ、運悪く先生に捕まってしまった。何で今日に限って雑用を押し付けられるのか。文句を心の中で呟きつつ、使った資料を準備室に戻してから美術室に行くと、既に丹波君が中で座って待っていた。

「遅れてごめん。こっち、準備室の方が机綺麗だし、人も来ないから」

ここなら、誰かが来て話を聞かれることもないだろう。
狭くて少し散らかっているけど、机の上は綺麗だ。私たちは向かい合ってお弁当を広げた。

そういえば、こうして丹波君と向き合うのは久しぶりな気がする。彼は以前、廊下に展示れた私の絵をずっと見ていたことがきっかけで、私から話しかけた事で仲良くなった。自分にあまり自信が無く、背が高くて目立つ割には控えめでおとなしい。友人が私の絵が好きで、これを見て頑張ろうという気持ちになると言っていたのを見習い、落ち込んだりへこたれた時は絵を見に来ていたそうだ。

『私だって最初から描けたわけじゃないよ。ただ、私が一番自分を出せるのは、キャンバスの中だから』
『そうなんだ。すごいな、みょうじさんは…』
『丹波君も、自信もって頑張って。エースになるんでしょ』


「で、話ってなんだ?」

そんな懐かしい事を思い出しながら暫く無言でお弁当を口に運んでいると、丹波君の方から話を切り出してきた。

「…うん、野球部の事、なんだけどね」

口にしてしまってから、もしかして私は余計な事をしようとしているのではないかと思い始めた。たかだか噂に振り回されて、ちょっと内情を知ってしまったからと首を突っ込んで。このまま彼が、ああいった扱いをされるのは許せないと憤って。これは私のエゴなのだろうか。

「野球部がどうかしたか?」

催促される声に、胸が鳴る。迷っている場合ではない。

私は箸を置いて、丹波君を見た。

「野球部の噂、知ってる?」
「噂?あぁ、寮の幽霊の話なら夜中に飯を探す増子だぞ」
「まじですか!?」

そんな噂があっただなんて知らなかった。というか、増子君はそんな事しているのか。

「いや、じゃなくて。その…同じ学年の、クリス君の…」

彼の名前を口にした途端、丹波君の表情が硬くなる。やはり噂話は本当なのだろか。
込み上げるものを無理矢理しまいこんで、私は続きを話した。

「怪我が原因で野球が出来てないことは知ってるの。ただ、それで後輩にレギュラー取られておかしくなったとか、投手を潰してるとか。そんなの…誰かの勘違い、だよね?」
「当たり前だろ。あいつはそんな奴じゃねぇよ」

少し強い口調で言い切られ、ほっとする。やっぱりあの噂は何かの勘違いで一人歩きしてしまっているんだろう。

でも、丹波君は視線を落として言葉を続けた。

「ただ、怪我が原因で変わってしまったのは事実だ。それに、あいつの出すメニューに周りがついていけないのも事実だ」
「え?」
「あいつなりに、投手を思ってメニューを出してるが、なかなか周りはついていけないんだ。ちょっと近寄りがたくなった雰囲気も手伝って、理解してもらい辛いんだろうな。きっと」

そんな。それって誤解から生まれてしまったものじゃない。
もっとちゃんと話し合えば、あんな風に思われなくて良いはずだ。誰かが仲介すれば良い。先生とか、部長とか。もしくは丹波君でも。何だったら私でも良い。そうしなければ、誤解は解けないままだ。

そんな事をひたすら頭の中で考えていると、目の前の丹波君が苦笑した。

「手は出すなよ」
「え?」
「あいつが何も言わないのは、あいつにも思うところがあるからだ。監督だって分かってる」
「でも、」
「進むしかないんだよ。俺たちも」

呟かれた言葉。昨日に引き続きどんよりと淀んだ空を見ながら、丹波君は言った。

「何があっても止まってたら始まらない。自分で何かして進まないと、どうにもならないんだよ」

そうだ。そうだけど、でも。

何をどう伝えたら良いのかわからなくて、動かそうとした唇は息だけを吐いて自然と閉じた。そうしたら自然と視線も下に落ちてしまって、何だか自分が情けない。どうにかしたいって思ったのに、結局どうにもできない事だけが分かってしまった。

悲しいのと悔しいのが混じって涙が出そうで、膝の上に置いた両手を握りしめた。

誰かが廊下を走る音が聞こえる。
友達の名前を呼ぶ声も。
それから、風にざわめく木の葉の音も。

一番大きく聞こえる時計の秒針の音は、私の心音と重なっているのだろうか。不安を一秒ずつ、しっかりと踏みしめるように胸の中に響いている。

私も丹波君もそれからは話をせず、またゆっくりお弁当を食べ始めた。何も考えられず、ひたすら箸をお弁当箱と口の行き来に使う。

そうしてのろのろと食べて、空になったお弁当箱をしまう。もう聞きたいことは無い。教室に戻ろう。

「あのな、みょうじ」
「丹波さん」

どちらが言うのが速いか、急に扉が開いて男子生徒が入ってきた。私も丹波君も驚いたが、入ってきた彼も驚いていて、慌てて『すみません』と謝ってからこちらに近付いてきた。

「どうした、御幸」
「いや、ちょっと」

どこかで聞いたことあるような名前だと思っていたら、ちらりと視線が私に移される。私が居たら話しづらい内容なのだろうか。

「私は外すよ。鍵は美術の増渕先生に返してくれれば良いから」

そうして荷物を持って席を立つ。
正直、彼が来てくれて良かった。私にはなにもできないと知った以上、もう丹波君と話すことはなくなったし、だからと言って談笑できるような気分でもない。ただ居心地が悪いだけだ。
そう思ったのに、彼の横を通り抜けた瞬間、腕を掴まれた。

「待ってください」
「御幸?」
「先輩ですよね。クリス先輩の友達の美術部って」
「そう、だけど」

丹波君の知合いだからきっと野球部かとはお思っていたけれども、急に彼の名前が紡がれてどきりとした。黒縁眼鏡の奥から覗いている目は、強く、でも何処か切ない色をしている。
何で彼は私を知っているのだろうか。何で、こんな顔をして私をみるのだろうか。
戸惑って丹波君に目をやると、丹波君も状況を把握していなさそうな顔をしていた。

「お前、いったいどうしたんだ」
「俺、先輩に話があるんです」

先輩って、私か。だろうな、彼は私を見て言っているのだもの。
熱を持った手のひらにが籠った気がしたのは、私の気のせいなのだろうか。

「私に用って何かな。とりあえず私はあなたを知らないんだけど」
「でも俺は先輩を知ってるんで、話を聞いてもらえないですか」
「随分と強引だね」
「強引にもなりまよ。クリス先輩が戻ってきてくれるなら」

まただ。何で彼の名前を紡ぐのか。彼とどんな関係で、何を求めて私のところにきたのか。知りたいのは私の方なのに。
固まる私。視線を逸らさない彼。丹波君はどうしていいのかわからないのだろう。私たちを交互に見ながら、おい、とか、止めろよ御幸、とか言っている。
ふと、その丹波君の声を聴いて昨日の野球部員達の会話が頭を過った。



『ぜってぇ御幸が原因だよな。あいつに正捕手取られてから雰囲気変わったろ』
『御幸に正捕手取られてさ、悔しくておかしくなったんじゃねぇ?』



「み、ゆき?」

私の口から小さく漏れる名前。
そうだ、みゆき君って、正捕手の御幸君だ。御幸君が悪い訳ではないのだけど、今私の目の前に居るのが『御幸君』なのだと分かると、なんだか胸がざわついて複雑な気持ちになる。恐らく丹波君もそれを感じ取ったようで、何か起こるのではないかとオロオロし始めた。

そんな私たちの状況を表すように、外では真っ黒になった空がゴロゴロと音を立て始めていた。


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