とくん、とくん。

穏やかな音が、ふいに跳ね上がったりすることがある。

人の心臓が一生のうちな脈打つ回数は決まっているらしいが、それなら私は少しだけ早く死んでしまうのだろうか。だとしたら、それはきっと先輩のせ所為なのでその時は枕元に化けて出てやろうかと思う。


「で。何で俺なんだよ」
「御幸はクリス先輩の後輩なので、文句を言いやすいかと」
「アホか。あの人に下らねぇ文句なんて言えっか」

どうにも最近、心音が収まらなくてどうしたものかと考えていた。
原因はきっと三年生のクリス先輩。半月前に廊下でクラス全員分のノートを運んでいたところ、クリス先輩と衝突事故を起こしてしまった。その時に運ぶのを手伝ってもらったのだけど、そこから私の心臓がおかしいのだ。

廊下で会ったとき。購買で会ったとき。授業中ぼーっとグラウンドを眺めて姿をみつけたとき。

それまで、とくん、とくん、と静かな音をたてていた心臓は、ひときわ大きく跳ね上がってしばらく静まらないのだ。

で、私は気付いてしまった。


「あの衝突事故が原因で、先輩を見るたび無意識に驚いているんだよね、きっと。だから先輩に私を驚かさないでと文句を言ってほしいっての」

「馬鹿は沢村と降谷だけで勘弁してくれ」
「ばっ…私は真剣に言っています」


「もーホント、馬鹿だなお前」
「いやぁ、御幸さんには負けますよ」
「ハッハッハ。ぶっ飛ばすぞ」


御幸は良き友人だけど、きっとこの様子じゃあクリス先輩に私の文句を言ってくれはしないだろう。彼なら大抵の頼まれごとは憎まれ口を叩いたり対価を求めたり(後払いで一方的)しながら受け入れてくれるが、この様子じゃそうもいかないだろう。

そう諦めていたら、ある日の昼休みに突然、人気の少ない廊下に呼び出された。いったい何事かと思っていたら、御幸がクリス先輩と並んでこちらに向かってきた。

また跳ね上がる心音。

御幸さんのたわけ者。私を殺す気か。

胸元を拳で押さえつけようと思ったけど、ワイシャツが皺になるので止しておこう。ただ自分に落ち着けと言い聞かせて、私は二人が目の前に来るのを待った。

そしていざ二人が到着すると、御幸は簡単に私を紹介し、『こいつが先輩に言いたいことがあるらしですよ』なんて唐突に言いやがった。

「ほら、自分から言えよ」
「でも、」
「さっさとしろ。クリス先輩だって忙しいんだぞ」

意を決して視線を先輩に移せば、やわらかく穏やかな、でも少し困ったような瞳とぶつかってしまった。また跳ね上がる心音。

そうだ。やっぱりこれはクリス先輩のせいなのだ。

「あの、ですね」
「うん?」

先輩の顔はもう見る事ができなかった。ただ視線を上履きに落として、息を吸って口を開く。

「先輩を見ると、私死んでしまうんです」
「…え?」

沈黙。

御幸が何か言いたそうにしていた。でも肝心の言葉が出てこないようで、変な顔して口をパクパクしている。お前は金魚か。

「それは一体、」
「先輩とぶつかってしまってからなんです。先輩を見るたびに、私の心臓が驚いてどきどきしてるんです」
「驚いて?」
「はい。このままじゃ私、早死にしてしまいます。先輩の所為なんです」

言い切った。そして一拍置いて御幸がため息をついた音が聞こえた。
私はやはり先輩の顔は見れずにいるので、先輩がどんな表情をしているのかがわからない。


「それは……その、すまない」
「いえ。謝っていただければ結構です」
「そうか。じゃあ俺もお前に謝ってもらわなきゃならないな」
「なぜ?」
「俺もお前を見かけると心臓が煩くなるんだ」
「それはすみません。私達、顔を会わせない方が良いですね」
「え?いや、そうではなくて」
「では、さようなら、クリス先輩。部活頑張ってください」


終わった。これでクリス先輩と関わることはない。

これで、私は寿命が縮まる原因を断ち切った。

絶ち切った、はずなのに、どうしてこの心音は煩く感じるのだろう。自分でも全く理解出来ない気持ちを感じつつ、私はクリス先輩に背を向けてその場を後にした。





「で。今度は何だよ」
「おかしいんです、御幸さん」
「頭がおかしいのは元からだろ?」
「失礼だなおい」


あれから1ヶ月が経った。もうクリス先輩と関わることは無いけど、やはり同じ校内にいるのだ、ばったりと顔を合わせることくらいたまにあるだろうと思っていた。なのに、ここ1ヶ月で全く顔を合わす事もなく、それどころか姿さえ見掛けない。
もしや何かあって学校を休んでるのかと考えたが、御幸に聞いても、学校には普通に来てるし、部活にもリハビリに通いつつ普通に参加しているとのことだ。


じゃあなぜ私はクリス先輩の姿を見掛けないのか。


それは私の寿命が縮まらないという点では大変良いことのはずなのに、何故か不安でたまらなかった。いいや、不安というか、苛立ちというか、やきもき、というか。とにかく私の中の何処だかよくわからない場所に、これもまたよくわからないモノが引っ掛かっているような、全体的によくわからない状態だ。


「どうしよう、自分で言ってよくわからなくなってきた」
「そうか?俺は分かるけど?」
「わからないって何だっけ。わからないがわからない。わからないがわからない事がどうしてなのかわからない。むしろわからないという単語がわからないで合ってるかもわからなくなってきた。『わからない』なのか『わかならい』なのか、それとも『わなからい』なのか」
「落ち着け落ち着け。わかならいで合って…あれ?わなからい?」

御幸が日本語と格闘している中、私は自分の心音を抑えるのに必死だった。

酷く煩くて、やきもきして、嬉しくて寂しくて。いろんなものがごちゃ混ぜになっていて変だ。クリス先輩の姿が見えないのに、何故か心音が煩くなっている。


「御幸、私死んじゃう」
「馬鹿も休み休み言えよ」


姿さえ見えないのに高鳴り続ける心音の理由を、私は知らない。
ただ理解できるのは、先輩に会いたいという思いが私の中にあることだけだった。


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