水泳の授業の後の古典は眠気を誘われて、ついうとうとしてしまう。受験生の身であるし寝てはいけないとわかっているものの、つい眠気に負けて瞼を閉じてしまうことが、しばしば。

寝てしまわないように頑張ろうとは思ってみたものの、心地よさに勝てずに俺は意識を手放した。それは一瞬だったのだけれど、腕から力が抜けて頬杖をしていたはずが、ガタンと音がして、気が付いたら目の前にノートが広がっていた。
沢村のように鼾をかいたりはしていないが、結構恥ずかしいものがある。誰かに見られていなかっただろうか。こっそり周囲を見てみれば、どうやらいらない心配だったらしい。皆寝ているか、寝まいと必死になっているかで誰にも見られていなかったようだ。やはり水泳の後の古典は皆きついのだろう。

が、ほっとしたのも束の間。ふと隣の席のみょうじさんと目があった。いつもの緩くひとつにまとめた髪型と違い、下ろした髪は乾きかけで、癖があるのだろう、毛先はくるくると跳ねている。普段とは違う、ほんのりと艶を帯びた姿に思わずどきりとしてしまった。

みょうじさんは微笑んで小声で話しかけてきた。

「クリス君でも居眠りするんだね」
「あ、あぁ」

見られていたのか。途端に恥ずかしさが込み上げる。水泳後の心地良くなった体温が、一気に上昇した。

のんびりした先生の声と、黒板を叩くチョークの音が続く。それから、俺の心臓の音も。

「みょうじさんは、眠たくないのか?」
「わたしは古典好きだから。あ、でも、プールの後に数学の授業なら寝ちゃうかも」

数学は苦手なの、と笑って言う彼女。
この煩い胸の音を沈めようと他愛ない話をしただけなのに、逆効果だったようだ。

気が付けばさっきの眠気なんか既に吹き飛んで、完全に目が覚めてしまっていた。でも授業には集中できない。

カツカツ。チョークが黒板を叩く音。それから眠気を誘っていたはずの先生の声。窓の外から聞こえる体育の授業中の声。あぁ、あの元気の良すぎる声は沢村の声だ。
それらを全て遠くにやってしまうのは、彼女の姿が視界の端にちらついているからだ。
全く俺はどうしてしまったのだろう。

ふと、彼女の両手が眼鏡に添えられた。その仕草さにさえ一々視線が引き付けられる。彼女は眼鏡を外すと、胸ポケットから出した眼鏡拭きで丁寧にレンズを拭き始めた。
眼鏡をかけていたから気付かなかったが、下を向いて伏せられた目蓋から伸びる睫毛が長くて、化粧なんかしていないはずなのに目元はきらきらしている。ほんのりと臼桃色に染まった頬が、また胸の鼓動を速くさせた。

視界の端に彼女を見ていたはずなのに、気が付けばその姿は視界の真正面にきている。俺はもう、黒板と先生を無視して完全に彼女の方を向いていた。

それに気付いたのは、彼女と視線がぶつかってからだった。ふいに視線を上げた彼女は俺の顔を見て、小さな声で「どうしたの?」と聞いてきた。

「眼鏡を外していたから、つい珍しくて見てしまった。すまない、ジロジロ見て」
「いいよ。私、コンタクトより眼鏡派だから、眼鏡外すとよく見られるの」

その言葉に、少しだけもやっとした気持ちが沸いた。よく見られるとは、誰にだろうか。

「私、眼鏡が似合わないからね、コンタクトにしたいけど、目に入れるのが怖くて。」

なんで目が悪いんだろう、なんていじけたように言う姿は、さっきよりも少し子供みたいだ。でもそれは一瞬で、尖らせた唇を元に戻せばまた俺の胸の内を騒がせる。



「眼鏡の方が似合ってる」


ぽろり、と零れた言葉に、俺自身も彼女もおどろいた。


「その。みょうじさんは、眼鏡も…似合ってると思う」
「そっかな。クリス君がそう言ってくれるなら、自信持てるかも」


そして最後に少しはにかんで、『ありがとう』と返ってくる。

それからは会話は続かず、チャイムが鳴るまでひたすら気だるい授業を受けた。授業内容は、やはりまったく頭に入ってこなかったが。



長くて気だるい授業が、ゆっくりと進んでいく。
やはり俺は授業には集中できなくて、しかし眠気も吹き飛んでしまい、ただずっと彼女の事しか考えられなくなっていた。

さっき零れた言葉は、本音ではない。

しかし似合わないとまでは言わないが、素顔の方が可愛らしいと思う。
でもそれを言ってしまったら、彼女は眼鏡をやめてコンタクトにしてしまうのだろう。そうしたら、きっとまた、『よく見られる』のだろう。

だからなのかもしれない。彼女にはあまり眼鏡を外して過ごしてほしくはないと思ってしまうのは。

醜い嫉妬心や独占欲だとは分かっていた。俺の彼女というわけでもないし、そんな事言っても仕方がないということも分かっているつもりだった。


それでも、どうか眼鏡はそのままでいてほしい。


素顔の君を誰にも見せてしまいたくはないから。

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