悟くんは、とても綺麗で、つよくて、やさしくて、素敵な人だ。それはずっとずっと不変で、変わらないことだと思っていた。
 


 
 
 高専から請け負った任務終わりに彼と夕食を食べる約束をしていた日の事だ。予定していた時刻を少し過ぎていたことに謝罪の連絡入れつつ、悟くんが「いいよ、気を付けて来てね」とフラットな返事をしてくれたのに安堵の息を吐く。誰かとの予定に遅れる経験をしたことが少なく、どうにも急いてしまったが彼のメッセージは気が抜けるほど爽やかで少しだけ気持ちが落ち着き始めた。すっかり暗くなった夜の街には街路樹や店先にたくさんのイルミネーションが飾られており、もうそんな季節なんだなと思い知らされる。一瞬考えた残りの時間、という単語を頭の中から押し出すように軽く首を振った。もうこのことに関しては何度も考えたし、結局答えは出なかった。
 
 ……以前より悟くんに注意されていたことだが、私は考え過ぎてしまうクセがある。今考えても仕方ないことに囚われてしまうところがある。その結果雁字搦めになって身動きが取れなくなる、そんな悪いクセ。彼は私の思考について不健康な所をいつも指摘してくれた。歯に絹着せない物言いは誤解されやすいけれど、私のためなのは重々承知していて、実際これまで幾度となく救われてきた。だからこそ、現状深く考えないようにしている。悩むよりもずっとずっと、悟くんとの日々を積み上げる方がいい。最近はそう考えていた。
 
 
 
 
「……あ、」
 
 
 
 
 なので、待ち合わせ場所に着いてすぐ。飛び込んできた光景に素直に驚いてしまったのだ。
 周りを歩く人々と比べて頭一つ、いや二つくらい大きなスラリとした長身に海外の人々を思わせる澄み切った白髪。明らかに目立ち過ぎる容姿の彼を見つけるのは容易だった。……そこに、見知らぬ女性が立っているのを除いて。学生の頃から愛用しているのと形が変わらないサングラス越しに悟くんは女性のことを見下ろして口元に笑みを浮かべている。だけど、私が驚いたのはそこ≠ナはなかった。
 
 
 無意識のうちに自身の掌が胸元に伸びた。歩道に立つ彼等の様子に、明らかに鼓動が早まっている。ばく、ばく、ばく、と落ち着かないテンポと共に心臓の奥を細い絹糸で締め付けられたような仄かな痛みが走った。その感情が、感覚が、分からないなんて言えるほど私は子供では無い。これはきっと、嫉妬だ。
 
 
 悟くんが、他の誰かといることに嫉妬している。突き付けられた事実に目の前が白黒と明滅しているような気がした。……悟くんに嫉妬するなんて感情は、酷く場違いだ。分かっているからこそ私自身の気持ちの揺れに驚きが隠せない。だって、悟くんが素敵な人なのは何年も……それこそ、学生の時からよくよく、分かっていた筈なのだ。
 
 
 それは呪術界というフィルターを除いてもそう≠セった。悟くんの容姿は他の誰かが追従出来ないほど整っていて、神秘性すら感じられるものだ。庶民では手が届かない値段の宝石みたいな、ある種憧れの対象になる、そんな美しさを秘めている。そんな姿をさらに飾り立てるのが彼の性格で、裏表なく素直な物言いには彼なりの主義が宿されており、決して理由のない嫌味や悪意を持って発せられるものではないと知っている。そんな彼の優しさに、私もたくさん救われた。拾い上げられた。だから彼が女性から人気な理由も分かっていたし、それに対して特別な感情を抱くことは無かった……はず、なのだ。
 
 気付けばぎゅ、と左手を握り込んでいた。薬指に宿ったリングを親指の腹でそっとなぞる。……今の私は五条捺だ。分かっているからこそ、妙にざわついて仕方ない。こんなにも彼に愛されていると実感する日々なのに……それでも私は、こんな些細なことに乱されて、すこしだけ、かなしくなってしまった。いつの間にか傲慢になっていた自分がとても醜い人間のような気がして、一歩無意識に後退る。子供みたいにそんな行動をしてしまう私のことも、許せなかった。
 
 
 


 
「……捺!」
 
 


 
 
 よく、通る声だった。数メートル離れた位置に立っていた私を悟くんは真っ直ぐ見つめている。呆気に取られて固まる私の元へ長い足を惜しみなく活用しながら歩いてくる彼の圧力に、スマホを見ていた会社勤めの男性や学生たちがモーゼの十戒の如く避けていった。さとるくん、と落ちた言葉を拾い上げるように彼の手がそっと私の頬に触れて、ひんやりとした感覚につい、目を細める。悟くんは私の反応を見てやっと自身の手が冷えていることに気付いたらしい。あ、ごめん、と慌てて両手を擦り合わせていた。
 
 


「捺の顔、赤くなってたからつい。……無事に合流出来て良かった」
「あ、ううん……」
「任務はすぐ終わった?トラブルは?」
「えっと、大丈夫……かな?いつも通りだったよ」
 


 
 そりゃよかった。口元を柔らかく緩めた悟くんは慣れた手付きで濃い闇夜のようなサングラスを外すとポケットに押し込み、すぐに私の右手を握り込んだ。くるりと踵を返して人混みを歩き、先ほどまで話していた女性の隣を通り抜ける。私はチラリと自然だけで彼女を見たが悟くんは真っ直ぐと前を向いており、見向きもしない。ほんの僅かな始解に捉えた大きな真珠のピアスを付けた女性は半ば呆気に取られたように口を開いていた。

 悟くんは私と歩きながら今日の店は美味そうだったから楽しみだとか、少し遅れるかもしれないと連絡もしておいた、とか。コロコロと喉の奥を鳴らしながら話している。上機嫌そうな口元からは微かに白い息が零れたが、彼は気にしていないらしい。それに頷きながらも私はぼんやりと先程見た光景を思い出していた。
 
 
 

 
「……捺?」
「……っえ、」
「何かあったよね」
 
 

 
 
 不意に、何にも覆われていない青い瞳が私を捉えた。彼の言葉は疑問系では無い。確信を持って問われていることに気付き、つい、唇が乾いてしまう。えっと、と一呼吸置くように視線を逸らした私に悟くんは軽く肩を落とすと、辺りを見渡して近くにあった立派な噴水を携えた広場へと腕を引いていく。空いているベンチに腰を落ち着けて「で、何があったんだよ」と尋ねる彼は何処か昔の彼≠ノ似ていた。
 
 
 

 
「その、さっきの女の人と、」
「……女って、」
「何話してたのかなって……」
 
 

 
 
 数秒の沈黙。悟くんの脳はさっきという単語から該当する人物を導き出したのか「……あぁ、」と合点が言ったように小さく声を漏らす。それからなんでもないようにナンパされたんだよと答えた。あまりにも軽い口振りに分かっていたけれど少し目を開いた私に気付いていないのか、二十代前半に見られていたらしいよと話す彼には何の曇りも嘘もなくて尚更自分が恥ずかしくなっていく。そんな悟くんがそこまで話してから、ふ、と唇を閉ざして隣に座っている私を見つめた。彼の大きな目が私だけを見ていて落ち着かなかったが、次第にそれが驚きへと染まっていくのが分かる。まさか、とぼやいた彼は自身の手を軽く口元に添えた。
 
 
 

 
「…………やきもち?」
「…………うん」
「ちょっと、待って……え、本当?」
 
 
 

 
 まさに今気付いた、そんな反応だった。動揺を隠せないのか彼は視線を右往左往させてからはぁ、っと深い息を吐き出す。ガシガシと月の光に輝く髪を掻き回して「そっか、」と呟く悟くんに変なことを言ったと謝ろうとしたけれど、謝罪の言葉は彼に制されて最後まで綴ることはできなかった。あー、とか、いや、とか色々な話出しを模索していた悟くんだったが、結局彼の口から零れたのは、緩み切った唇から発せられた「ごめん」という単語だった。
 
 
 
 
 
「嫉妬させてるって気付かなかった。……ごめん、嫌だった?」
「な、なんで悟くんが謝るの……?私がこんなこと思うのが、」
「や、それは正直めちゃくちゃ嬉しいっつーか……!いや、これも性格悪い?」
 
 
 
 
 
 慌てて自身の言動を省みる彼に殆ど反射的に首を横に振る。悟くんは安心したように肩を落とすと、捺がそういうの感じてくれると思わなかった、と素直な胸の内を打ち明けた。そんな風に受け止められていたのかと私自身も驚きつつ、悟くんが素敵な人なのも私をちゃんと好いてくれてることも知っているのに嫉妬してしまった醜さを告げると、途端に彼の目がキュ、と細められる。あ、と彼が何かを発する前に気付けたのは多分、ここまでの時間がそうさせたのだろう。悟くんは、ちょっと怒っている。
 
 
 

 
「……捺の悪い癖また出てる」
「……う、」
「やっぱ考え過ぎてるだろ、オマエ」
 
 
 
 
 
 やや呆れを含んだ口振りに体を竦めた。でも悟くんは少しの怒りを見せながらも私の手を更に強く握り込む。少なくとも俺は、と前置きした彼は……ダサいのは分かってるけど、と更に言葉を追加する。そして、腹の内を明かすみたいに話してくれた。
 
 
 
「捺が他の男と話すのはめちゃくちゃ嫉妬する」
「……ほんとに?」
「本当じゃなかったらこんな話しねぇよ」
 
 
 
 悟くんはそりゃそうだろと言いながら「好きなら、す当たり前だろ」とシンプルな答えを提示した。他のベンチに座っているカップルの笑い声が耳に届いて、同時に私の中で彼の言葉がスッと胸の中に染み渡るのを感じる。すきなら、あたりまえ。それはとても単純な思考なのに、私の中には無かったモノだ。
 
 
 
 

「好きな奴を取られたくないとか、そういう独占欲はあって普通だと思ってるけど」
「……そっか」
「……だから可笑しいことじゃないし、嫉妬させたのも申し訳ないと思ってるよ本気で。でも……」
 
 
 

 
 捺にそこまで思われてるの実感すると、嬉しい。すごく普通で、年相応の男の子らしい口振り。悟くんは、とても綺麗で、つよくて、やさしくて、素敵な人だと分かっていた。きっとたくさんの人から愛され、望まれる人だと知っていた。でも、きっとそれだけじゃない。私の知っている五条悟くんは、等身大の二九歳の男性だ。彼の生き方を知り、そういう考え方を変え始めてはいた。でも……恋愛ごとが絡む彼の魅力についても同じくそう≠ネのだとは、考えていなかった。無意識のうちに素敵な男性と並ぶことに対して自分に、劣等感を抱いていたのかもしれない。
 
 
 


 
「……だから、その」
「うん……」
「シットの埋め合わせ、させてよ」
 
 


 
 
 差し出された掌。私は彼と目を合わせてからそっと重ね合わせる。次に触れた彼の手は先ほどよりもずっと温かい。こんなに寒い中私を待っていてくれた彼の冷たい手に優しさが込められていると、知っている。私と繋いでいたことで少しだけ温められたその手に私を導いてくれる強さがあることを、知っている。触れ合った手に悟くんはやっぱり嬉しそうにして、また冬の街を歩き始めた。長い足から繰り出される歩幅が私と変わらないことも、微かな無下限に身を覆って人混みで誰にも触れられないようにしていることも、全部が全部愛情なのだとヤキモチという可愛らしくない感情すらも愛おしい≠ニ昇華してくれた彼だから気付くことが出来た。学生の頃の延長線にあるわたしたちの恋愛にはまだ、大人のスパイスは必要ないのだろう。禍々しいピンクネオンではなく、オレンジ色の温もりのある通りを抜ける私達は、今日もそっと、遅れた恋を取り戻していた。




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