───しばらく、夢を見ていた。
 


 
 
 押し開いた視界の先に見えたのは味気ない真っ白な天井。しんと静まり返った部屋の中を目玉だけ回して確認し、ゆっくりと自身の左隣へと視線を動かした。そこには小さく寝息を立てる捺の姿があって、何故か無性に安心感を覚える。あの時期が近付いているせいなのだろうか、死んだ友人がここ最近何度も夢に出てきていた。学生時代に行ったゲーセンでアイツを負かせたこと。初めて出来た後輩という存在を全力で祝ったこと。どれもが懐かしくて、ほんの最近のことのようで、鮮やかだった。
 
 暫く彼女の穏やかな寝顔を眺めてからそっと、頬に流れた髪を耳に掛けてやる。少し身じろぎしたが、起きる様子はない。全く、普段の警戒心をどこにやってしまったんだか。……勿論これは建前で、本当は俺に対して何処までも無防備な捺を見るのは好きだし、その原因が精神的な安寧だけではないと、俺は痛いほどよく知っている。
 
 
 
 
「……捺、」
 
 
 
 
 あの世からの当てつけのつもりなのか、昨日見た夢はそれはもう酷かった。愛しい彼女が親友に堂々と寝取られているユメ。普段夢を見るほど眠ることなんて殆どないくせに、こんな悪趣味なことをしてくるあたり、アイツの悪ふざけなんじゃないかと勘繰ってしまうのは仕方がないことだろう。長い黒髪を結い上げて、捺の腰を掴んで揺さぶるオマエの顔が暫く脳裏から離れず、それはもう嫌な汗をかいた。……よほど俺の表情が酷かったらしい。魘されてたよ、大丈夫?と薄いTシャツ姿で俺の顔を覗き込んできた彼女を抱きしめて柔らかい体に顔を埋めてしまったのは言うまでもない。……そして、抱き締めるだけには飽き足らず、俺の様子を見てニヤニヤしているであろう友人へ手向け代わりに捺を抱いたのもきっと、言うまでもない事実なのだろう。
 
 
 ……なぁ、傑。なんでこんな性格悪いことができんのオマエ。ベッドからでも見える位置に輝いている星の一つを見つめながらそんなことを考えた。あの星が傑なのかは定かではないけれど、きっと、仏壇や墓に向かって手を合わせる無意味さと大差ない。俺はそう考えている。結局何処を探しても死んだ人間はいないんだ。生きている人間の拠り所として所謂そういう′`が取られているに過ぎない。こんな事を思ってしまうのは俺がこの目を持っているからなのか、俺という人間の思考回路のせいなのか、判別は付かなかった。
 
 
 冬の冷たい空気の中。澄んだ夜空に無数に浮かぶ星々が静かに瞬いている。……やっぱり、あんなところに傑は居ないんだろう。居るならこんなにも静かな煌めきで終わるはずがない。ああ見えてアイツも咄嗟の時には気は短いタイプだったし、お前が夢で抱いた時よりもずっとずっと可愛くて、やらしくて、綺麗な捺を見て悔しく思うはずだ。人の女を抱く真似なんてするからこうなるんだ。反省しろよ傑。
 
 
 
 
「……げとう、くん……」
 
 
 
 
……そんな事を考えていた俺の耳に信じられない単語が飛び込んできて、バッと勢いよく隣に顔を向けた。今、なんて?半ば祈るような感覚で捺を見つめていたけれど、彼女はやはり先ほどまで俺が蹴落としていたあの£jの名前を口にしている。唖然というのはまさにこの事で、唇を中途半端に開いて固まってしまった俺のことをまるで分かっていたかのように捺のまつ毛が震えた。ゆっくり、ゆっくりと蝶の羽が羽ばたくように上下して、綺麗なビー玉みたいな瞳が俺を捉える。
 
 
 
 
「……ぁ、」

 
 
 
 とても、素直な反応だった。そこに映し出された人物が夢の中を歩いてきた男と違っていることに気付き、彼女はほんの少し動揺と安堵が混じり合ったかのような表情を浮かべている。不思議と確信があって「……傑に会えた?」と尋ねると、捺は何処か泣きそうな顔で目線を引き下げて、こくん。と一度だけ頷いた。
 
 
 
 
「アイツ、なんだって?」
「……五条くんに、いじめられてないか……って」
「……今も昔も虐めてねぇっつーの」
 
 
 
 
 失礼なこと言ってんな。そうやって吐き捨てた俺に彼女は下手くそな笑みを浮かべながら目尻をそっと指先で拭った。左手の薬指に輝く指輪は俺達の関係を表す御守りのようなもので、月の光を受け入れて煌めく宝石を見ていると漠然とした嫉妬も、何もかもを飲み込んでくれるような気がする。……アイツは本当にカッコ付けだ。俺の夢には紳士もびっくりなR指定路線で来たくせに、どうやら捺に対してはそう≠カゃなかったらしい。夢の内容を思い出すように目を細めた彼女の顔は次第に何処か晴れやかになっていく。まるで、解呪されたかのように。
 
 
 
 
「……夏油くん、悟が嫌になったらいつでもおいでって言ってたよ」
「そりゃあ残念だな、もう俺たち一心同体だし」
「そう。だから……ごめんねって謝っておいた」
 
 
 
 
 最後まで五条くんといるから。そうやって紡がれた彼女の言葉はつまり、例え夢の中でも俺達の関係を大事にしてくれている現れでもある。胸の奥に温かい光が灯るのを感じた。……アイツ、なんだって?問いかけた俺に捺は一度瞼を下げて軽く息を吐き出してから、ぽつり、と呟く。
 
 
 
 
「……捺が幸せなら、それでいいんだ……って」
「……やっぱりアイツ、キザだわ」
 
 
 
 
 俺の返答に捺はそっと口角を持ち上げて「ほんとに、キザだ」と笑った。アイツの態度を肯定も否定もせず、俺と話すよりもっと砕けた口調の彼女からは月並みな表現ではあるが、絆みたいなものを感じた。……当時からずっと俺よりも傑と居る方が気楽そうな捺を見て羨ましく思っていたな、と今の彼女を見ていて不意にそんな記憶が蘇る。俺はもう一度捺の体を強く抱きしめた。……血の通った温もり。彼女は、生きている。学生の頃のすれ違いや摩擦、その全部を抱えた上で俺たちは今隣に並んでいる。あの頃の俺たちは若かった。どうしようもなく、青かった。そして、たった一瞬で大人への階段を駆け上がるしかなかったのだ。
 
 
 
 

「……捺、」
「……ん?」
「好きだよ」
 
 
 

 
 銀河に広がる無数の星々のように取りこぼしてきた青春を、もう一度脳内で巡らせるような一言。僕≠ニ視線を合わせた捺は柔らかく笑う。幸せという言葉を具現化したような穏やかであたたかな微笑み。心から、綺麗だと思った。私も、という響きに満足して彼女の体を味わうように腕を回し続ける。……アイツが出てきたのは、自分のことなんて忘れろとでも言いたかったのかも知れない。残念ながらそんな気遣いは無用で、僕はずっと今日に至るまでに起こった出来事を忘れることはない。それを含めて、全てを包含して、今の自分がある。まぁ、どちらにせよ傑の趣味が悪いことは確かだった。
 
 
 
 



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