放課後、と呼ばれる時間がこの学校にあるのかはわからないけれど、もし存在するのならば、きっと今を指すのだろう。そう思いながら長らくワックスで磨かれていない床に座り込み、私はボールを追いかける彼等の姿を見つめた。よくあんなにやってられるよね、と体育座りをしながら顔を自身の膝に埋めた硝子は「男子ってなんであんなにバスケが好きなんだろ」と普遍的な疑問を口にする。……たしかに、中学生の時もクラスの男の子はみんなバレーボールよりバスケットボールをやりたがっていた。なんでだろうね、と私も徐々に彼女の疑問が気になり出した頃、コツン、と何方かの手元から離れたボールが私の足先に触れる。
 
 
 

 
「ごめん捺、当たってない?」
「ううん、大丈夫」
 
 

 
 
 小走りで駆け寄ってきたのは夏油くんだった。そっと首を横に振り床にワンバウンドさせてパスを返すと彼は少し瞬きしてから「いいね」と口角を持ち上げる。その仕草に少しだけ嫌な予感がしたけれど、一歩退く前に夏油くんが私の手首を掴み、体育館の中央へと誘っていく。……そして、勢いよく身体を跳ね上げ、けたたましい音共に危なげなくダンクシュートを決めた彼……五条くんの前に、グイッと背中を押し出したのだ。まさか、と思いつつ夏油くんを振り返る。彼はただニコニコと人当たりよく笑うだけだった。
 
 


 
「───悟。代打連れてきたよ」
「…………は?」
 
 
 


 ……ときどき、彼の笑顔を憎らしく思うことがある。夏油くんは基本的には優しくて良い人なんだけど、たまに意地悪だ。特に五条くんと遊んでいる時は顕著で、突然無理難題をふっかけられることがあった。そしてまさに今、私はとんでもない無理難題≠ノ直面している。両手で挟み込むように空気が少し抜けたバスケットボールを抱えた私と、欠伸をしながら力無いフォームで立ち尽くす五条くん。そう、私は今から五条くんと1on1をする。
 


 バスケットボールというスポーツにおいて、チーム戦以外なら何をするか? そんな疑問に対して一番に挙げられるのはシュート勝負か、もしくは今からやる1on1が定番なのだと思う。私も体育の時間で何度かやったことがあった。……もちろん、同性と。しかもバスケットボール部を除いた、同じ条件の子達と。
 それがなぜ、どうしてこうなってしまったのだろうか。扉の近くで涼むように手を揺らす硝子と、汗を拭いながら爽やかに片腕を挙げる夏油くんに怨みがましい目を向けていれば「おい、」とすぐ側に落ちた長細い影に私の視界が埋められる。
 


 
「……やるからには容赦しねぇぞ」
「っは、はい!」
 


 
 少し身構えながら、ゆっくりドリブルを付いていく。一定のリズムで床を揺らしながら、私は彼の左右を確認した。小さく身体を動かし、だらりと両腕を弛緩させている五条くんから強烈な圧を感じる。彼の特徴的な長身では、甘い抜き方ではすぐに取られてしまうだろう。選択肢はいくつかあった。でも、相手は五条くんだ。そうなればやれることはある程度決まっている。……私は、グッと一思いに体を屈め、そのまま思い切り走り出した。
 
 


 
「……なーんかいつの間にか」
「うん。いつもの′景だね」
 

 
 
 
 遠巻きな彼等の声を音として認識しながら、私は時折胸をつかえさせ、ゼイゼイと荒々しく息を弾ませる。膝で腕を支えつつ、額から流れた汗を拭って見上げた彼は何処までも涼しい顔をしていた。美しい蒼眼がじっと私を捉え……あのなぁ、と前置きしながら口を開いた彼は呆れとも苛立ちとも取れない表情を此方に向ける。
 

 
「オマエは一回いける≠ニ思った可能性に固執しすぎ。どんどん動きが単調になってる」
「っ……う、ん、」
「ポイントを取ることがルールなら他にもやりようはあんだろ」
 

 
 くるくると指先でバスケットボールを回した彼は、一瞬だけ膝に溜めを作るとそのまま上空に完璧な放物線を描いた。添える手も、角度も、視線も、そのどれもが絵に描いたように美しい。回転が掛かった直径二十センチの球体は網の間をすり抜けるように寸分の違いなくゴールへと吸い込まれた。テン、テン、テン、と体育館の中へ静かなバウンド音が木霊する。
 

 
 ───すごい。私が一番に感じたのは、彼への惜しみない賛辞だ。夏油くんと遊んでいた時から五条くんのボールは正確だったが、私とのプレイの中で彼の投げ方は確実に最適化されていく。元より恵まれた才能があるのは事実だが、それをわずかな時間で限りなく洗練させた五条くんはあまりにも、鮮烈だった。
 
 

 
「……もう、いっかい」
「……あ?」
「もう一回だけ、お願い……」
 
 

 
 私の我儘に彼は一瞬面食らう。だけどすぐに眉を顰めて「もう無理だろ」と言い放った。彼が私の状態を気にしてくれているのが、よくわかる。最早この勝負は、いつの間にか今日の分の特訓になっていた。普段のような体術ではなく、一瞬の駆け引きや戦略性、状況判断が求められるシチュエーション。バスケットボールを通じて彼の思考の一端が知れるのであれば、私はもっと……彼の、強さを知りたい。
 
 

 五条くんは暫く無言で私を見つめていたが、最後には自身の白髪を掻き回し……次で最後だ。とセンターサークルまで歩みを進めた。ありがとう、と感謝を口にしながら私も一定の距離を空け、彼と対峙する。不意に後ろに座っていた硝子が「捺、」と私に呼びかけた。振り返るやいなや、ポイ、と投げ渡されたなにか≠反射的に受け取る。それは、黒い髪ゴムだった。後ろ手に結ぶようなジェスチャーをした彼女に意図を察し、小さく謝りながらその好意に甘えて私は乱れた髪を一纏めにする。五条くんはそんなやり取りを面倒くさそうに眺めていたが、ふ、と私と視線を交合わせると、白い睫毛を大きく見開いて、ぐい、っとあからさまに目を逸らされてしまった。
 
 

 
「えっと、ボールは……」
「ッ、俺からだと触れねぇまま終わるだろ」
「あ、ごめん……ありがとう」
 
 

 
 ぶっきらぼうに投げ返されたボールを受け止めつつ、パタパタと汗のせいで肌に張り付いたシャツを引っ張って、止めていたボタンを一つ外した。かすかな開放感に深呼吸していると、対峙している五条くんが青い瞳に驚愕を乗せる。……気合いが、入り過ぎていると思われたのだろうか。


 
 彼からのアドバイスを脳裏に浮かべながら、ゆっくりとドリブルをしながら距離を詰めていく。伸ばされた腕から逃げるように抜こうとしていた方向を切り返し、反対側へと走り込む。勿論五条くんはこのくらいの想定はしているだろう。危なげなく反応し、次の瞬間にはきっと、私の目の前に立っているはずだ。……ならば、私がこのゲームにおいて勝つための目的≠遂行するのなら、一か八かだとしても、今しかない。
 

 両腕でボールを掴み上げ、シュートモーションを作る。五条くんは少しだけ驚いていたが、直ぐにブロックの体勢に入った。……私には真似できないレベルの緻密な反応速度。追いつけない体格。だからこそ、私はリングから遠ざかるように一歩、後方へ下がるように飛びながら腕を構えた。ライフルのサイト代わりに、照準を合わせて押し出すように投げ上げる。同時に私の体は背後へと倒れ込んでいく。
 

 
 私の目は、ボールから離れない。最後の瞬間を見届けようと、吸い付いたように動かない。───五条くんの視線も、動かない。彼は自身の頭上を飛んでいくボールではなく、わたしを見ていた。遠ざかるその距離を手繰り寄せるように伸ばされた腕は、気づけば私の左腕を強く、強く、握り締めていたのだ。勢いづいたボールがボードに当たり、鈍い音を立ててからゴールの縁をなぞって……ゆっくりと、不恰好に吸い込まれた。
 


 
「あ……」


 
 
 入った、と、初めに呟いたのは誰だろう。結局私が実感するより早く、何か言いたげに唇を噛み締め、眉を吊り上げながら「ッおまえ、なぁ………!!」と怒声を上げた彼に掻き消されていく。散々馬鹿なのか、と罵りながらも後ろに倒れ込むはずだった私の体を引っ張り上げてくれた彼は、優しい人だと思う。
 
 
 

「お前、シュート入れたいからってそこまでするか!?」
「え、えっと……つい体が、」
 
 

 
 きっと、五条くんはこういった回答を嫌うだろう。分かっていたけれど、口から零れたのは思ったままの素直な感想で、彼は私の答えに何度か唇を開閉させてから一文字に噤むと「……お前のそういうところが、ムカつく」なんて吐き捨てた。尤もな意見と言い知れない胸の痛みに苦笑することしかできなくて、ゆっくりと掴んでいた腕を離した彼はポケットに手を押し込んで、乱暴な足取りで体育館の出口へと足を進める。……そして、一歩外に出るか、出ないかのところで一度だけ振り返ると、更に大股で私の目の前にまで戻り、途中で拾い上げた彼自身のジャージを押し付けてきたのだ。最早どちらかと言えば、押し付ける、というよりは投げつける、に近かったかもしれない。私が反射的に受け取ったのを確認した彼は今度こそ足早に体育館を後にする。そんな行動を唖然と見送り、彼の体格に合わせて見繕われた上着に視線を落とした。
 
 


 
「……大きい、」

 

 
 
 ……私なんかと比べ物にならないほど。五条くんが何かに気遣ってくれたことは分かる。だけど、その理由が何なのかは思い当たらない。今の汗をかいた体で羽織るのも申し訳ないので、後で部屋まで返しに行こう。そう考えている間、夏油くんと硝子が呆れ笑いで見守っていたのに、私は最後まで気付かなかった。
 
 
 
 


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -