高専の中を歩いていると次の角を曲がった先によく知った呪力の気配を感じた。五条先生は獄門疆から出てすぐに何かと忙しそうに動いていて、中々話す機会に恵まれなかったが、本当はもう少し普通の話も、会えていなかった分のことも伝えたい。そう考えながら頭の中で言葉を整理しながらゆっくりと歩を進める。
 
 
 
 
「───五条せんせ、い?」
「……あれ、乙骨くん?」
「……憂太か」
 
 
 
 
 思わず呼び掛けた名前が止まった。曲がった先に居たのは目当ての人物ではなく、キョトン、と不思議そうに首を傾げた閑夜さんと真希さんだったのだ。辺りを見渡しても先生はその場に居ないし、それどころか残穢すらも読み取れない。……だが、それでも先生の気配≠確かに感じた。というか今も感じている。これはどういうことなのか、と彼女と同じように首を捻ってみたが答えは見つからない。五条くんに用事?と僕の言葉を拾い上げてくれた彼女は今外に出ていると教えてくれたが、どうにもやはり居る≠フだ、と、そうやって僕の体が訴えかけている。
 
 
 
「……憂太、ちょっとこっち来い」
「わ、ちょ、真希さん……!?」
 
 
 
 その疑問を口にするより数秒早く。真希さんは僕の襟首を引きずるように元来た道へと引っ張り始める。突然の行為に驚きつつも手を振って見送ってくれた閑夜さんにあわてて一礼するも、真希さんに抵抗することが出来るはずもなく、空き教室へと押し込まれた僕に彼女は深く溜息を吐いた。
 
 
 
 
「やっぱ憂太にも分かるか?」
「分かるって……先生の気配のこと?」
「そうだよ。あれはアイツじゃなくて捺さん≠ゥらだった」
「えっ!?」
 
 
 
 
 つい声を上げてしまった僕を睨みつけた真希さんに慌てて「ごめん」と謝罪の言葉を口にする。……つまり、僕が感じ取ったのは先生ではなくあの場にいた閑夜さんの気配で、実際の先生は居なかった……ということだけど、でも本当にそんなことあり得るのだろうか?五条先生の気配は他の術師と比較できないほどに絶大で、もし先生の存在を知らずとも、少しでも呪術や呪力について理解している人が見れば恐らく彼の異質さを感じ取ることができるはずだ。それほどまでに間違いようのない物なのだが……
 
 
 
「……あのな、ありゃ憂太とおんなじタイプだろ」
「え、僕と?」

 
 
 うーん、と腕を組んで頭を悩ませていた僕に真希さんは半ば呆れた顔で「自覚ないのかよ」と肩を落とした。まあ確かにあの時も呑気だったな、と黒板を一瞥した彼女の視線を追いかけて、あ、とひとつ思い当たる。初めて彼女や狗巻くん、パンダくんに出会ったあの日。真っ先に言われた言葉は「呪われてるぞ」という変えようのない事実だった。閑夜さんは僕と同じ、と真希さんは言っている。同じって、まさか……
 
 
 
「……呪われてるってこと?」
「あのバカにな」
 
 
 
 どんな手段を使ったんだか。そう言いながら椅子ではなく机の上に堂々と腰掛けた彼女は手持ち無沙汰に足を揺らす。閑夜さんが五条先生に呪われている、かぁ……先生は誰かを呪うようなタイプには見えないし、ましてはあれほどまでに大切にしている閑夜さんを呪うのは現実的では無い気もした。先生の彼女を想う気持ちは僕に会いに来てくれたあの日、深く感じ取ることができたし、高専に戻ってきてやっと出会えた閑夜さんからも先生を大切にしていることは伝わってくるものの、ましては呪うだなんてそんな様子は無かった。
 
 
 

『愛ほど歪んだ呪いはないよ』
 

 
 
 
 ……あ。ぽつり、と溢れた僕の声に真希さんが不思議そうに顔を上げた。なんだよ?と尋ねてくる彼女に「いや……」と曖昧に誤魔化す。確証がある訳じゃないし、ただ何となく思い出しただけの言葉だ。答えにするには早過ぎる。だけど、遠い回答だとも思えなかった。あの日解放された彼は一番に閑夜さんを連れて行った。彼女と何を話し、何を感じたのか。きっと僕にはわからない。だけど二人とも確かに生きているし、閑夜さんは一人で現場を走り回っていた時よりもずっと健康的で落ち着いた顔をしていた。……たとえそれが呪いだとしても、僕はずっとそっちの方がいい、そう思う。無意識に里香ちゃんとの繋がりを持つリングを握りながら、僕は未だ彼の気配を感じる廊下をじっと見つめるのだった。
 
 
     

 
 
 

 
「捺に何したの?」
「……縛りを作った」
 
 
 
 
 ふらりと高専に戻ってきていた男に対して私はまっすぐと、何の捻りも無い疑問をぶつけた。五条もまた数秒だけ黙り込んでからそうやって、曲がりのない答えを口にする。……狡い男だ。思わずそう思った。
 
 ……明らかに捺の纏う気配が変わったことに本人以外皆が気付いていた。それは呪力の増大だとか、そんな些細な変化では無い。彼女自身が五条悟という人間に飲み込まれてしまったかのような、そんな変化だった。幾つか思い当たる可能性はあったが、その中でも一番最悪な選択肢。人間同士の縛りなんて碌なことにならないと、この世界に生きる術師が知らない筈がない。
 
 
 
 
「……何を、なんて聞くのは野暮だよね」
「聞かれたら僕は答えるつもりだったけど」
「聞きたくないよそんなの。……本当馬鹿ばっか」
 
 
 
 
 ジ、と音を立ててライターから火が灯り、タバコを燃やして煙を吐き出す。担保が何か。どんな契約を交わしたのか。聞くまでもなくお前の顔に書いてある、と五条は気付いているのだろうか。嫌味のように副流煙を垂れ流してやれば普段なら煙たいと文句を言いながら避けたり、無下限で防いでしまうのに、今日はその煙を一身に受け止めてしまうのだから腹立たしい。思わず咥えるのをやめて、五条を見つめた。
 
 
 
 
 
 
「……そうやって少しでも死に急ぐマネするのやめてくれない?私があの子を殺すとか嫌だからね」
「……分かってるじゃん」
 
 
 
 
 
 ふ、と哀愁を感じる笑みを浮かべた男に溜息をついた。分からない筈がないだろう、そう言い返してやりたくて、直前で言葉を飲み込む。五条は私の指摘のせいかすぐさま無下限で煙を弾き出し、私の周りに灰色が漂う。……ゲンキンなやつ。捺にも影響するのだと自覚してすぐに弾き出すなんて、分かりやすいったらありゃしない。
 
 
 コイツの嫌なところは、捺のトモダチである私から見ても明らかに、彼女の事を大切に思っているのだと感じさせる所にある。もっと五条があの子に適当な人間ならばやりようはいくらでもあったのに。昔からコイツは、発散方法が間違っていることはあれど、そこにある想いに嘘はなかった。……今だってそうだ。この決断をするにあたって五条はきっと悩んだ筈だ。それでも縛りを結ぶことを選んだ。これは彼だけの意思ではなく、彼女の意思でもあった。そう考えるのが幾分か自然だ。
 
 
 
 
 
「きっかけは僕だよ。……僕が持ちかけた」
「……ふうん」
「もし、僕と捺が死んだら硝子はちゃんと検死して、公表してね」
「……何を?」
 
 
 
 
 
 僕が捺を殺したって。そんなことを言いながら笑った五条はやっぱり嫌な男だ。……考えとくよ、と目を閉じた私の気持ちなんてちっとも配慮なんかしやしない。古くからの知り合い二人を失って、その検死もさせて、一人を地獄に送り出せなんて、とんでもない要望だ。それでも五条は「頼んだよ」と言う。確かにこんな馬鹿みたいな願いは私くらいしか聞ける奴は居ないだろう。だからこそ、一考だけはしてやる。そうやって会話を切り上げた。
 
 
 その場に残された私は少し短くなったタバコをもう一度咥えて深く煙を吸い込んだ。押し出すように吐き出して、味なんてもう分かりはしないのに何度も同じことを繰り返す。遠のく背中に手向けるように最後までしっかりと吸い尽くしてしまった。……五条は勘違いしている。自分の罪を精算し、キチンと裁かれたい。そんな現れかもしれないが、それをあの子が許すのかまでは考えていないらしい。……これだから男ってのは。そんな差別的な現代にそぐわない思考の中で結局お人好し≠ネワタシは二人の安寧を願ってしまうのだった。
 



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