「思ったより普通だな」俺が閑夜と初めて出会った時に受けた印象は、多分そうだったと思う。






思う、というのはそのままの意味で、俺が大して当時の彼女との挨拶を覚えていない故の言葉だ。京都から東京に転勤となった補助監督。学生を担当することも多いと話は聞いていたので今の二年の担任を受け持っている俺に向こうから声を掛けてくれた、というのは記憶しているが、詳しい内容までは思い出せない。


"五条達の世代の同期"だ、とは事前に夜蛾さんから教えられていた。その時点で胃が痛かったが彼は少し笑って「お前の考えているような奴じゃない」と俺に言っていたと思う。実際、閑夜は信じられないくらいマトモな後輩だった。よくアイツらとやれていたな、と勝手に感心してしまうぐらいに彼女は普通の感性を持った女性だったのだ。そんな姿にひっそりとシンパシーのようなものを感じてもいた気がする。夜蛾さんの話聞いてこれは信用ならないな、と感じた俺の勘が珍しく外れたのだ。


……彼女との仕事は心地良かった。初めに抱えていた不安や疑惑が嘘みたいだが、事実、閑夜は気の良い人物だ。俺より若いが多分俺なんかよりよっぽどこの仕事に誇りを持って接していると思う。上手く情報をまとめるのも、ちょっとした手配も、はたまた周りの人間とのコミュニケーションもそつなくこなせる優秀な女性だった。クセの強い人物が多い呪術界で、あの性格のまま生きていけている彼女には、やはりそれだけある種の才がある。そう気付くのに時間は掛からなかった。寧ろ、この世界に身を置きながら"普通“であることが何より異質なのだと、俺は理解する。側に五条や夏油、家入が居るにも関わらず、このスタンスでここまで生き延びてきた閑夜を、俺は少し、尊敬していた。



前に一度、学生との接し方に悩んでいる。と彼女に相談されたことがある。すっかり外から光が消えた時間帯、一人でローラー付きの椅子に座りながら溜息をついていた姿はまだ記憶に新しい。足で床を蹴る仕草が普段見る彼女と比べて子供っぽく感じて、俺が見ていたと気付くと慌てて服を整える様子がなんだか可笑しく見えた。

何故よりによって俺に聞くのか、と思った。同じ担任ならよっぽど五条の方が聞きやすいだろう、とも思ったが彼女の圧に負け、ある程度のアドバイスをしてやった。別に俺としては目新しい言葉を与えたつもりはないが、彼女にとってはそれで十分だったらしい。何か気付いたような顔をして感謝を述べる。放っておけばずっと「ありがとう」と言われ続けそうだったので、五条との関係の話でチャラにしたが……そこでまた俺は少し、彼女という人間の性格に触れた、と思う。いや、思っていた。






「日下部さん、いつも食べてる飴って何処のですか?」
「……え?」






突然投げ掛けられた疑問に間の抜けた響きが落ちる。椅子から見上げるように聞こえた声の方向へ首を回せば、資料を抱えた閑夜が目の玉を丸っこくしながらこちらを見つめていた。飴、っていうと、今も俺が咥えている棒付きのキャンディの事だろう。……何故?とその問いかけの意図を考える。だけど彼女は相変わらず真っ直ぐ俺を見るばかりで、そこにある感情や思考はイマイチ読み取れない。数秒の沈黙の後、一応素直に"銘柄"を教えてやれば、彼女は自らの手帳の端にソレを書き込み、ありがとうございました、と、ぱっ、と頬に笑顔を咲かせ、そのまま扉から出て行く。……一体何なんだ。消えていく背中を不審そうに眺める俺が、他の奴らからどう映っていたのか、定かではない。



これは、数日前の出来事だ。だが、今の問題は"これ"ではない。運がいいのか悪いのか、はたまた縁があると言うべきか。またもや俺が彼女と邂逅したのは勤務時間をとっくに過ぎた夜だった。虫の音や鳥の声すら聞こえない静かな闇の中、青白いモニターに映し出された彼女の顔がぼんやりと浮かび上がる。蛍光灯を中途半端な個数だけ付けてキーボードを叩き続ける彼女はやはり真面目というかなんというか。先ほどまで適当に散らばっていたプリントをきっちり纏めあげるといった雑務をこなしていた形跡もあり、やはり閑夜を損をするタイプなのだろうと思った。どうすべきか、とその光景を覗き見る俺は頭を回す。面倒なことは嫌いだ。それは変わらないし、相手が誰であろうと基本的に揺らがない。見ないふりをするぐらい、造作もない。俺は何も見なかった、俺は何も……




「……あ、」




彼女の作業の音しか聞こえてこない空間に、思わず吐き出してしまった声は妙な響きを持っている。すぐに後悔したけれど、時既に遅し。くるりと椅子を回して振り向いた彼女の口元から目が離せない。唇から、ちょろり、と伸びた白い棒の正体を俺は知っている。




「……日下部さん?どうしたんですか、こんな時間に」
「……それはお前もだろ」




見つかってしまったものは仕方がない。深く息を吐き出しながら空いている椅子に適当に腰掛けると彼女は何とも曖昧な笑みを零しながら「確かにそうですね」と頷いた。一瞬の沈黙。何を話すべきかと思考を巡らせる俺より先に閑夜が口を開く。



「日下部さんも何かお仕事を?」
「……まあ、パンダ達の指導案を作ってた」
「お疲れ様です。もう帰るところですか?」
「一応、そのつもり」



お前は?と聞き返した俺に資料作りです、と答えた彼女は少し体をずらして俺にパソコンの画面を見せる。そこに開かれた編集ソフトの数々に頷きなるほどな、と応えれば、そんな感じです。と閑夜も頷いた。彼女に倣うようにもう帰れそうなのか、と問うと彼女はもう少しです、とだけ俺に教えた。……この言い方は多分、まだなんだろうな。と察することが出来てしまうのは俺と彼女の感覚が似通っている証かもしれない。と、同時に、彼女が俺の銘柄を聞いた理由を悟った。




「だから飴のメーカーを?」
「夜の作業してると口寂しくなっちゃって」
「……どう?」
「美味しいです。棒付きのキャンディって最近食べてなかったんですけどいいですね」




柔らかく目元を細めつつ、軽く飴を歯で噛み「いちごです」と閑夜は俺に見せつける。色づいた唇の隙間から赤く艶めく球体と、覗いた舌先にほんの少し見入ってから、さりげなく視線を外した。別に変なことを考えたつもりはないけれど、普段年下らしく、後輩らしくしている彼女に何処となく色が載っているように錯覚した。口寂しさを感じて男と同じモノを選ぶなんて、相手によっちゃ勘違いされかねないぞ。と勝手な心配をした。……こんなこと今この場にいないアイツに知られたら、と考えるだけで恐ろしい。




「閑夜、煙草は?」
「私は吸わないんです、日下部さんは……」
「その為の"これ"だからな」




誤魔化すように分かり切っていた質問を投げ掛けた。彼女も俺が似たようなことを言うのを知っていたように頷く。まぁ、態々棒付きの飴を選ぶ時点で大体の人間なら分かるだろうが。一瞬一本景気付けに渡してやろうか、と思ったがやめた。こういうのを嬉しがる女は大抵よっぽどの喫煙者か、何処か夢見がちなヤツくらいだろう。多分閑夜はどちらにも属さない。




「棒付きって良いですね、なんか集中出来ます」
「そうか?」
「はい、教えて貰って良かった」




一人で夜仕事してるとちょっと寂しいんです。と続いたセリフにまた俺は返答に困った。一つ二つ年下なだけならもう少し軽口を交わしても良いんだろうが、彼女との年齢差はそれなりに開いている。下手なことを言えばセクハラやらなんやらの罪に問われるような気がした。会話をしながら彼女の視線は緩やかに画面へと移り、細い指先が有線のマウスを動かす。こんなとこ、見るべきじゃないんだろうけど。





「だから、」
「……ん?」
「これ食べて、日下部さんのこと思い出しますね」
「…………おまえ、」





なんつーことを。そんな気持ちを込めて振り絞るように押し出した声は彼女に届いただろうか。あくまでも平然とした表情のままスクリーンを見ている彼女は「日下部さんのこと考えるとちょっと仕事頑張れます」とダメ押しの一手を講じる。いや本当、なんつーことを。

きっと深い意味はない。そう分かりつつも八つ近くも歳下の相手に乱されている自分が馬鹿らしい。何となく癪な気がしてわざわざ椅子を動かして彼女の隣に肩を並べる。そして、不思議そうに俺を見上げた彼女を一番困らせるであろう言葉を口にした。





「お前の仕事終わるまで、ここに居てやるよ閑夜」
「……え!?でも、まだ結構……」
「"もう少し"なんだろ?そんで帰り送ってやる」
「……日下部さん、分かっててやってますよね?」





何のことだか、とひらりと手を振った。少し眉を持ち上げていた閑夜は小さく息を吐いて、がんばります。と呟いた。露骨に早くなった手付きに喉の奥の方を揺らして笑ったが、……私車乗れますけどね。と無駄に付け加えられた言葉に「そこは素直にありがとうでいいんだよ」と先輩風を吹かせるように軽く背中を叩き、苦労が多そうな後輩に一番有用な事を指導してやった。







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