ふ、と吐き出した息が白く曇るのに自然と体を縮こませる。少し前までハロウィンだなんだと騒いでいた街中が、急にクリスマスを思わせるイルミネーションで飾られるのを見ると、年の瀬を感じさせた。まあ、僕達呪術師には大して関係は無いけれど。


きっと七海がこの場に居たら世知辛い労働環境を嘆くだろうな、と考えつつ、指先でクルクルと飲み終わったカフェラテのストローを突く俺は絶賛暇を持て余している。高専も僕を呼ぶような任務なら出現時間の特定くらいはしてほしいものだ。いや、寧ろそれが目的なのかもしれないけどさ。



あー嫌になるね、と誰にという訳でもなく呟いて、グッとベンチに背中を預ける。何度か足を組み替える僕を通行人が数度見てはスマートフォンに慌てて視線を落とすのが分かった。こういうのは慣れてるからどうってことはないしなんとも思わないけれど、と、そこまで考えて少し。ポケットに押し込んでいた電子機器からデフォルトの着信音が響いた。それなりの音量で主張してくる誰かからのコンタクトに溜息をつき、ろくに画面も見ず緑色のボタンを押した。





「ハイハイ、もしもーし?」
「……あ、五条くん?」
「…………捺!?」





飛び起きるような感覚。勢い余った僕の動きに近くで地面を突いていた鳩と雀が一斉に飛び立ち、羽ばたいて行く。電話越しの彼女も小さく声を上げていたけれど、そんなこと気にしてられない。摘むようにあくまで適当に持っていたそれを耳から離し、そこに刻まれた「閑夜捺」の名前にやってしまった、と自分の行動を後悔した。捺から電話が来ると分かっていればもっと真剣に応答したのに!





「どうしたの?何か用事?それとも僕と話したかった?」
「あ、その、今任務はどんな調子かなぁって……」





一呼吸置いて自身の声色を整えつつ、矢継ぎ早に要件を問いただすと彼女は少し戸惑いつつもゆっくりと僕の仕事の進捗を尋ねた。どういう意図だろう、と頭を回しつつ、未だ呪霊を確認出来ていないからもう少し掛かるかもしれない、と伝えると「そっか……」と残念そうな反応が返ってくる。益々都合の良い方に考えたくなる気持ちをどうにか抑えつつ、もう一度どうしたのかと聞き返せば、捺は少し申し訳無さそうに口を開いた。





「明日、帰れそう……だったりする?」
「帰る」
「え?」
「大丈夫だよ、絶対帰る」





僕を誰だと思ってるの?その一言で彼女の戸惑い全てを吹き飛ばしてやりたかった。一瞬の沈黙の後、小さく噴き出すように笑い始めた捺は五条くんらしいね、と呟いてから「ありがとう」と素直な感謝の言葉を告げた。柔らかくて穏やかなそれは彼女の確かな安心を感じさせ、僕もひっそり口角を持ち上げる。待ってるね、という声を最後に切られた電話の奥からはツー、ツー、と無機質な電子音が響いたが、今の僕にはそんなことどうでもいい。すぐにベンチから立ち上がりアタリを付けていたスポットへ早足で向かい始めた。頭の中は勿論任務……いや、捺のことでいっぱいだ。こんな電話多くないどころか初めてだし、何よりあの言い方。まさに、出張中の夫を家で待つ妻じゃないか。


普段は憂鬱な仕事に向かう足取りが軽く、浮き上がりそうだった。待つ人がいる、彼女がいる、そう思えるだけで僕は嬉しい。かくれんぼは昔から好きじゃなかった。待つのなんてつまらないし、何より退屈で仕方ない。高専がわざわざ僕を要請しなきゃいけないくらいなんだ、大モノじゃないと困る。……だけど僕の性分は鬼に近いんだ、首を洗って待ってろよ。







「次は、東京――東京――――」






……いっそ、蒼を使ってやろうかと思った。



昨日とは違い小刻みに揺れる足が僕の期待を表しているように見える。結局昨日の任務は驚くほど、本当に驚くほど呆気なく終わった。口ほどにも無いとはよく言ったもので、もっと対応できる術師が他に居るだろうと声を大にして言いたくなった。……万年人手不足なのは分かっている。そりゃ上からの当て付けなのかもしれないけれど、それならそれで結構だ。とは言え既に新幹線の終電は無く、一刻も早く帰るには、と呪力を集中させようとしたが寸前で捺の顔が頭に浮かんで踏み止まる。この時間なら流石に強硬手段で押し掛けても彼女は眠っているだろう。日々忙しい捺の負担になりたい訳では無い。それに蒼を使ったとまで言えば彼女が責任を感じかねないだろう。閑夜捺はそういう人間なのだ。それで今後、昨日みたいな愛らしい帰ってきてコールが失われるのは困る。


東京への帰還を告げる声を聞きつつ、速やかに構内を出て普段なら高専に連絡する所をなんとなく適当にタクシーを捕まえた。捺が高専にいるのだとしたらきっと彼女が補助監督として僕を迎えにきてしまうだろう。それは折角「帰ってきて欲しい」と頼まれた以上格好が付かない気がした。運転手のまだ若そうな彼に行き先を伝えるとあまりの山奥で驚かれてしまったけれど、金はあると伝えれば、何処か緊張した面持ちでアクセルが踏み込まれたのが分かった。


林を抜けて、最早道とも呼べない場所にまで差し掛かり、彼は困ったようにミラーから僕を覗いた。呪力の無い人間にはこの先の道を知るのは難しい。彼は幸か不幸か、分からない側の人間だった。ここでいいよ、と告げた僕に青年が安堵の息を吐き出したのが分かる。大方、幽霊や事件を危惧したんだろうなと思いつつ、その期待を裏切るようにカードで支払い、低い天井から抜け出した。焦りの混じった「ありがとうございました」に適当に返事をしてから折り畳んだ体を伸ばし、慣れた足取りで木々の隙間を通り抜ける。石で出来た先が見えない果てしない階段を登ったその奥に、僕の待ち望んだ彼女は居た。






「……捺!」
「五条くん……!」






"誰か"を待ち侘びるような佇まいで玄関に立つ、スーツ姿の女性。僕の声に弾かれたように振り返った髪がふわりと揺れて柔らかく靡いた。あぁ、この感覚、久しぶりだ、なんて。離れていた期間はたった数日のはずなのに、僕は何度でも彼女に胸を撃ち抜かれてしまう。そんな気持ちを覆い隠すみたいに「そんなに僕に会いたかった?」と調子付いてみたけれど、捺に笑顔で頷かれてしまって尚更くすぐったくなった。こういう時の彼女はズルい。本当ならもっと世間話でも交えたかったけれど、こちらの方が耐えきれなくなった。





「で、要件は?捺があんな風に呼び出すんだから……多分大事なことだよね?」
「え、あ、えっと……」





想像していたのとは違うリアクションに自然と首が傾いた。口籠る彼女は何度か僕を見上げてから、こほん、とひとつ咳払いをする。あのね、と切り出される響きをいじらしく感じつつ、うん、と僕も頷いた。




「その、五条くん。今日何日か分かる?」
「え?えーと、昨日が5……いや6だったから今日は……」




ピコン、と早押しボタンが押された感覚。あ、と溢れた気付きの声に捺は同意するように頷いた。……12月7日。それが僕に由来するものだとは勿論分かっているけれど、日々の忙しさにすっかり時間感覚を無くしていた。目の前に立つ彼女は僕が今日が何の日かやっと分かったのを察すると、後ろ手に持っていた袋を丁寧に抱えながらこちらに手渡した。少しの沈黙の後、開けてもいい?とそっと尋ねる。彼女が首を縦に振った姿を見た僕は出来るだけそっと、少しずつ袋を脱がせ、爪を外し、箱の蓋を開けた。





「……ケーキ?」
「うん、カップケーキなんだけど……実は昨日から作っちゃって」





照れ臭そうに頬を緩めた彼女と、色とりどりのクリームで飾られた小ぶりなカップケーキ 。柔らかな微笑みによく似合う可愛らしいプレゼント達はスイーツ特有の甘い匂いを漂わせて僕の鼻腔をくすぐった。味の説明や入っているドライフルーツについて話す彼女の声を聞きつつも、その前に付属した「私一人で五条くんのプレゼント考えるの初めてだったから」という単語にニヤケが止まらない。味なんて結局はどうでもいいのだ。勿論彼女の作るものが美味しくないわけがない、というのも理由の一つだけれども、何より捺が僕のためだけに考えてくれた、その事実だけで十分過ぎるほど僕は嬉しかった。





「……これ、食べていい?」
「……へ?今?」
「うん。今がいい、絶対」
「私はいいけど……寒いし折角なら中で、」




って、あ!そんな声の中、パクリ、と大口を開けて齧り付いた生地からは蜂蜜のような匂いがした。爽やかなレーズンの風味と交わって舌の上で蕩けていくカップケーキはすぐに胃袋の中へと吸い込まれる。僕の腹へと消えていった手作りケーキに目を丸くした彼女は「ほんとに食べちゃった」と呆然としていたが、すぐに慌てた口振りで味は?と私に問いかける。




「美味しいよ、凄く」
「ほんと?」
「僕がそういう嘘吐くと思う?」
「……私になら、あるかなって」
「!……よく分かってるね、流石捺」





僕の理解以上に理解の効いた台詞を返されて、クツクツと喉の奥を鳴らした。確かにそうだ。僕は大概素直に生きているけれど、相手が捺なら話は別。二度と彼女を傷付けたくないし、そんなことするつもりもない。でもこれは間違いなく美味しいよ、と伝えれば五条くんは調子良いなぁと捺も笑った。




「本当だって」
「……五条くん。手、冷たいね」
「捺は温かいね、よかった」
「急いで来たの?」
「そりゃもう超特急で」




捺の頼みを断るわけないでしょ、と昔は言えなかった言葉を口にする。彼女は少し目を細めて眉を下げると、ありがとう、と囁いた。それに応えるみたいに自然と握った手の力を強めて、捺の温もりを感じ取る。あたたかくて、優しい。彼女自身を表したような体温が愛おしい。





「……お疲れ様。そして誕生日おめでとう、五条くん」
「……うん、ありがとう」





こうして冷たい手を口実に触れ合えるなら冬の誕生日も悪くない。見つめ合って少し、戯けたように僕が言った「今年はネームプレートは無いの?」という揶揄いに彼女は耳を赤くして、ないです!と寒空の下声を荒げた。僕はいつでも悟って呼んで欲しいのにな、なんて。






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