「捺さん、トリックオアトリート!」
「あ、野薔薇ちゃん」







秋の風に吹かれた朝。明るいそんな言葉が聞こえた方向にアイマスクをずらしながら視線を滑らせると、適当な魔女帽を被った野薔薇の姿が目に入る。パタパタと足音を鳴らしてスーツ姿の彼女に近寄ったその目はキラキラと期待で輝いていた。野薔薇を目に入れた捺は穏やかな笑みを浮かべ、近くに置いていた自身のバッグからラッピングされた小さな箱を取り出すと「お菓子で」という文言と共に彼女に手渡した。


野薔薇は一度瞬きしてから花が咲いたような無邪気な表情で「流石捺さん!開けていい?」と尋ね、捺はそれに二つ返事で頷いてみせる。気付けば僕も開封の瞬間を息を呑むように見守っていたけれど、中から現れたパステルカラーの丸い物体になるほど、と納得した。これ、マカロン!?と大袈裟なほどの驚愕の声を上げた野薔薇に捺は楽しそうに目を細め、気に入った?と問いかける。頭が取れそうな程に何度も頷いた子供らしい様子は側から見ていても十分微笑ましい。






「あ、釘崎」
「……捺さんも。こんな所で何を?」






アイツら仲良いな。集ってくる彼女の同級生らの姿にそんな気持ちが湧き上がったが、今度はその後ろから真希や棘、パンダが歩いてくるのを見るに、この世代全体の雰囲気が"良い"のだろうと悟る。僕の教育者としての腕がいいんだろうな、と冗談交じりに口先で笑い、ぐっ、とソファに背を預けつつ、途端に騒がしくなった廊下と順番に生徒達の捺が呼ぶ声を聞きながらコツ、コツ、と床に靴先を打ち付けた。"残り物には福がある"そう教えられたのがいつだったのかは覚えていないが、あながち間違いではないと思っている。こういう形式なら、尚更。






「すいません、ありがとうございます」
「ううん、午後からも頑張ってね」






さぁ、そろそろかな、なんて。頃合いを見計らった僕は立ち上がり大きく伸びをする。意味もなく服の端を軽く叩き、脚を伸ばしながら廊下を闊歩する。遠ざかっていく僕の生徒達を見送る無防備な背中にどうにも悪戯心が湧いて、忍者の如く足音を殺し、そして、






「ワッ!!」
「ッひ!?」





勢いよく華奢な肩に手を置き、跳ね上がる小さな体にクツクツの奥歯の奥で笑みを溢した。信じられない、とでも言いたげな顔で振り向いた彼女は僕の姿を見るなり、深く深く息を吐き出して「五条くん……」と力なく名前を呼んだ。……うん、反応は上々。捺が相変わらず可愛いのが悪いんだ。僕は当然のことをしたまで、だとか。びっくりしたぁ、と弱々しい声で現在の心境を語る姿にごめんごめん、と軽く謝罪した。






「あんまりにも脅かしやすかったんで、つい」
「私も変に叫んじゃった……いつから居たの?」






一瞬の思考の後、さらりと三日月状に口を緩めて「今来たとこ」と白々しく答えたけれど、捺はそれで納得したらしい。疑うことを知らない彼女に少し心配になったけど、態々嘘をついてまで話しかけにいく自分のやり方も大概だと自覚しているから何も言わない。証人がいない完全犯罪は何とも心地いいものだ。……というか、僕の目的はここからなんだけれども。






「で、捺。今日は何の日か分かってるよね?」
「……あ、」
「ほら、トリック・オア・トリート?」






お菓子か、悪戯か。大きく瞬いた彼女に僕は演技がかった様子で腕を差し出す。……つまり、僕の作戦はこうだ。予め生徒達を彼女の元に向かわせて、ある程度のお菓子をむしり取った後に、僕が悪戯の権利を頂く。そんなプランだった。ズル賢いとでも何とでも言え、せっかくの機会なんだから逃す手はない。さて、どんな悪戯を……





「はい、どうぞ」
「…………え?」





簡潔な一言。それと共に差し出された温かい色合いのボックス。ポカン、と目を見開いたのは僕の方だった。一瞬何が起きたのか理解が追い付かず、凝視したそこには小洒落た筆記体で「baumkuchen」と記載されていた。これ、と呟いた言葉に彼女は少し気恥ずかしそうに笑いながら、嫌いじゃない?と問いかける。一拍置いてから僕が格好悪くコクコクと上下に頷くと捺はよかったぁ、と安心したように頬を更に綻ばせた。





「美味しいとこのを選んだつもりなんだけど……良かった、気に入ってくれて」
「いや、それは嬉しいけど……用意してたの?」
「?うん、五条くん甘いもの好きだし、」





不思議そうに首を傾ける捺に僕が聞きたいのはそういうことじゃない、と言いたい気持ちをグッと押し留める。用意してくれた物の説明じゃなくて、なぜ準備してくれたのかを知りたかったのだけれども、どうにも言葉が出てこない。臆病になりたい訳じゃないけれど、あまりの衝撃にどう尋ねればいいのか分からなくなってしまった。





「……捺の仮装、見たかったのに」
「えぇ?」





そんな気持ちを誤魔化すみたいに拗ねたような声色で意図的にそう発すると、捺は冗談まじりに肩を竦める。そして、背後から走ってきた別の補助監督の報告を聞き、僕に一度手を振ってから足早にその場を後にした。何か仕事が入ったのだろう。計画にある意味失敗した僕は勿論それを止める権利なんて持ち合わせておらず、遠のいて行くスーツで覆われた背中を見送った。ハロウィンなんて興味がなさそうな真面目な格好を眺めてから、ちらり、手渡された箱を見やり先程までこっそりと待機していたソファにゆっくりと沈み込む。



丁寧に、普段はしないくらい気をつけて包装を解いて行き、紙で出来たホックをそっと外して行く。そこに現れたのは想像以上に爛々と輝く、濃い太陽のような切り株……バームクーヘンだ。美しい木目と漂う甘い香りに、いつの間にか自身の腕が備え付けられていた使い捨てスプーンに伸びていく。ビニール袋を豪快に破り、輪の一欠片をナイフのように切り分けたソレは、食べるのが物凄く勿体無く思えた。







「……頂きます」






誰にと言うわけでもなく口にして、広がった程よい甘さと柔らかな生地にキュ、と目を細めた。捺と話すときに下ろしたアイマスクを上げ直すのを忘れるくらいの、上品な味わい。彼女らしい、と思いつつポケットから取り出したスマホで箱に印字されていた店名と"バームクーヘン"という単語で検索を掛け、見つけた商品ページをまじまじと観察する。……確かに彼女の言う通り、有名な店のものらしい。


色々な好条件が羅列されたページを指先でスイスイ、と持ち上げ流し見していたけれど、ふ、ととある文言が僕の目に留まる。プレゼントに最適!と書かれた赤い太字のその下「バームクーヘンをプレゼントする意味」と
銘打たれた文章に瞼を見開いて、それからすぐにきっと彼女の意図とは反しているのだろう、と理解した。理解したが、それでも、








「……ズルイよねぇ」








……ニヤける顔は抑えられないものだ。そしてこの後お返しには「キャンディ」が最適だという記事を目にした僕が、すぐさま街中に移動して、可愛らしく味も素晴らしいキャンディ探しの旅に出るのはこの後すぐの出来事だ。








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