私も子供の頃は、夏祭りが楽しくて仕方なかった。







赤や黄色といった暖色に包まれた空間。人々が感嘆の声をあげ、笑顔を振りまきながらキョロキョロと首を動かす騒がしい空気感。安っぽいラジカセから零れる笛や太鼓の音に混じり、小さな子供が走り回る足音ときゃっきゃと高い声が雑踏に紛れる。そんな中で楽しそうに屋台を回る彼らを見つめ、ゆるり、と瞼を緩めた。自分が彼らくらいの時は夏祭りという響きが酷く特別に感じられたものだ。そして、それはきっと今を生きる子供達にとっても同じこと。呪術界というある意味他の同い年の子達よりも達観して生きる道を選んだ彼らでも、じっとりとした暑さすら跳ね除けてしまえそうな独特の空気感には心が躍るらしい。



夜蛾先生の計らいで近くの呉服屋から浴衣を貸し付けられた生徒達は各々好きな柄を選んで祭りの夜へと繰り出した。たまたま高専の近所で近くに住む人々が集まって行う祭りがある、と知ったのは明ちゃんからの情報だ。暑い季節にバテがちになっていた生徒達の気持ちを少しでも持ち上げられれば、とダメ元で先生に提案してみたけれど、それを受け入れて現実的な案に変えてくれるあたり、やはり夜蛾先生は今でも変わらず素敵な教師だと思う。伏黒くんなんかは浴衣を自分で選ぶことに少し戸惑っていたけれど、野薔薇ちゃんや虎杖くんに背を押され、あれよあれよとされているうちに結局、シンプルなデザインが映える浴衣を身に纏っていた。真希ちゃんも同様で、眩い浴衣に視線を走らせつつも何処か迷っているような顔をしていたので一応大人であり、今日のお目付役であった私が"お節介"のつもりで一着選ぶお手伝いをさせてもらった。初めこそ「私には似合わないだろ」と首を振っていた彼女であったが、並んで吟味しているうちに切長の美しい目は真剣になり、私以上にしっかりと店を見て回っていたっけ。真希ちゃんは強くて素敵な女性だけど、やっぱり綺麗な浴衣には興味があるんだと分かってなんだか嬉しくなってしまった。











「……和服を着るとウチを思い出すんだよ」
「!……それは、」




暫く店内を練り歩いた時だった。真希ちゃんが不意に呟いた声に顔を上げた私は情けない事にそこでやっと自身の失態に気付いた。当たり前の話だ。禪院にいる限り和服とは切っても切れない中であっただろうし、彼女が家で良い扱いを受けていない事なんて分かっていたのに私はなんて心ない提案をしてしまったのだろうか。咄嗟に謝ろうとしたけれど、真希ちゃんはそんな私を見てニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる。





「でも今なら中指立ててやった気分だな」





自信の籠った表情だった。決して無理をしているわけでも無い、晴れやかな顔をして黒と白のコントラストが美しい"甘くない"布地の浴衣を手に取った真希ちゃんはくるりと身を翻して呉服屋の女将さんの元へと歩いて行く。しっかりとした足取りには迷いは、無い。一瞬ぽかんと固まってしまったけれど、これでまた、私は自分の浅慮に気付かされた。でも、嫌な気分では無い。寧ろ清々しい気持ちだった。きっと私以上に辛い経験をしてきたであろう彼女はただの女性でも、ただの子供でも無い。禪院真希、その人なのだ。


 





「あー!虎杖!!」
「ま、またやっちまった……」
「すじこ」





騒めきの中でも一際目立った叫びにハッ、と意識が戻ってくる。何か問題でも起きたのかと慌ててベンチから立ち上がって声のした方に駆けていくと、ヨーヨー掬いの屋台の前で蹲み込んだ三人の姿があった。栗色の髪を耳に掛け、とても綺麗に着飾った野薔薇ちゃんの形相は鬼のようで、真希さんとお揃いがいい!と同じ白と黒の布地に自身をイメージした薔薇の紋様が入った浴衣を嬉々として選んでいた時とは別人のようにも見える。そんな彼女に肩を揺さぶられる虎杖くんは男性にしては明るい色合いの布を纏いながら頭をガクガクと前後に振るわせていた。逞しい手のひらの中には何本もの白いこよりが握られていて、あぁ、と状況を察する。大方、ヨーヨー掬いが上手くいかなかったのだろう。虎杖くんは器用なタイプだけれども力が強いし、確かに相性は悪そうだ。対して対岸でピースをしながら楽しそうに笑う狗巻くんの手首には沢山のヨーヨーが吊り下げられている。左手に下げられているのはパンダの形のヨーヨー……だろうか?どうやらあの見た目故流石に連れていけなかった唯一の彼へのお土産のつもりらしい。パンダくんとよく戯れている彼らしい行動だ。





「ヨーヨー掬い、難しいよね」
「だよなぁ!?ほら釘崎……」
「今のは捺さんの優しさよ、優しさ!!こんな事なら私が自分でやれば良かった……!」





野薔薇ちゃんに怒鳴られた虎杖くんはシュン、と叱られた犬のように大きな体を縮こませて丸くなる。私は素直な感想を伝えたつもりだったんだけど、どうやら逆効果だったみたいだ。狗巻くんはそんな野薔薇ちゃんの姿をじっと見つめると、今度は右手から2番目に掛けた、赤が美しいヨーヨーを取り外すと「しゃけ」と端的な一言と共に野薔薇ちゃんの目の前に差し出した。あら、と思わず零れかけた声を慌てて飲み込んで私も野薔薇ちゃんの反応を見守る。長いまつ毛をぱちぱち、と合わせてから狗巻くんを見つめる野薔薇ちゃん。普段は幼い雰囲気を残した彼だが、野薔薇ちゃんの視線に穏やかに笑って「しゃけしゃけ」ともう一度応えた。ヨーヨー越しに見えた彼女の目はたちまちキラキラと眩く光って、いいの!?と今にも飛び上がりそうな程に元気を取り戻していた。虎杖くんは虎杖くんでそんな2人のやりとりにクッ、と喉を詰め狗巻先輩が男前すぎる……!と震えているし、なんだかここの三人は平和そうだ。きっと問題は起こらないだろう、と判断して、そっと彼等から離れていく。本来こんな場所に大人の監視なんて無粋だ。一応の建前と、もし何かあった時の連絡役のために私がいる。必要以上に学生達の時間を崩す理由はない。微笑ましさを少しばかり分けてもらえただけでも満足だった。






彼らから離れ、元々座っていた場所に足を向けると、他の家族が楽しそうに焼きそばを食べながら座っているのを見かけ、出来るだけ自然に他の屋台に視線を向ける。夏祭りのベンチなんて私1人が占領するには贅沢すぎた。ふらふらと鮮やかな屋台の並びを眺め、ふ、と目に止まった"射的"の文字を見つめた。並ぶ品物は最近流行りのゲームやぬいぐるみに並んでお面や消しゴムも並んでいる。そして、一番当てやすいであろう位置にはスーパーの食玩のような箱に入った"指輪"が置かれていた。……特に大きな理由があったわけではない。ただ懐かしさに駆られて屋台のおじさんに声を掛けようと息を吸ったその時、






「一回お願いします」





私が同じ言葉を口する前に割って入ったのは、落ち着いた男性の声。子供と呼ぶには大人っぽく、大人というにはまだ幼い青年期の独特な声色。渋い色合いの浴衣をきっちりと着こなした見慣れた人物の姿に私はなんとも情けない声で彼の名前を呼んでいた。





「ふ、伏黒くん……」
「……で、どれが欲しいんですか」





銃に弾を込めながら慣れた手付きで構えた彼は平然とした様子で私にそう尋ねた。一瞬理解が追いつかなくて固まってしまったけれど、彼の真っ直ぐした瞳を誤魔化すのは難しく、そっと商品を指差した。彼の視線が私の爪先を追いかけて、ポツンと置かれたボール紙の包みに何度か瞬きをする。あれでいいんですか?と物語る表情に薄く笑いながらくだらないでしょ?と聞き返した私に伏黒くんは何故か少しだけ不満そうに口を尖らせていた。こうでも言えば諦めてくれるかと思ったのだけれど……どうやら逆効果だったらしい。





「でも、あれが欲しいんですよね?」
「う、うん。だけど態々取ってもらうような物じゃ……」
「俺が閑夜さんに渡したいんです。……日頃の感謝を込めて」





だから受け取って貰えませんか。そう締め括られた言葉は私に言わせれば"ずる"みたいなものだ。とっくに成人した大人として、彼らを守る立場の仕事として、伏黒くんに感謝される謂れなんてないし、寧ろそれが当然のあるべき姿なのだ。……でも彼はそれに感謝を示してくれた。そんな気持ちを蔑ろには出来ないし、既にお金を払ってしまっている彼を止めることは難しい。少し息を止めながら集中して銃口を真っ直ぐ目の前に向けた彼は両手でしっかりと持ち手を握る。女性が持つにしては少し重たいソレを難無く掴みあげながら、ふ、と小さく息を吐き出す。そして、パンッ、と風船が割れるような乾いた音が響いたかと思うと、あまりに呆気なく、私の目当ての宝石は地面に落下した。おじさんが笑って大当たり!と声を上げ、伏黒くんに似つかわしくない可愛らしいピンク色の箱を手渡す。ペコリと浅く頭を下げた彼を見て目尻に皺を寄せたおじさんは「優しい弟さんだね」と嫌味無い顔で微笑んだ。その台詞に思わず瞬いた私と、ギョッと瞼を見開いた伏黒くん。一瞬の沈黙の後、私が声を発するより早く伏黒くんは私の手首を掴んでグイグイと木陰の方まで引っ張っていった。






「……弟扱いなのは心外ですが、どうぞ」
「……ありがとう」
「笑うなら一思いに笑ってくれませんか」






明らかに不満そうな言動にダメだ、と思いつつもクスクスと吐息が溢れる。当たり前の反応だ、おじさんから見たら私達は親子と呼ぶには若く、カップルというには異質で、一番しっくりきたのが"姉弟"という関係性だったのだろう。おじさんには何の罪もないが、伏黒くんにとっては気に入らないものだったようだ。彼には本当にお姉さんがいるし、私なんかがそれを名乗るのは気に入らなかったのかもしれない。……もしくは、ただ恥ずかしかっただけ、かもしれないけれど。





「……もう良いんで、開けてくださいよ」
「開けて良いの?」
「その為に取ったので」





彼に視線に背中を押されるようにペリペリ、とボール紙の切り口を引いて中に入ったおもちゃを取り出す。本物の指輪とは程遠いメッキで塗られたそれには大きな青い宝石が埋め込まれていた。伏黒くんはそれを見て露骨に眉を顰めると「一番嫌なのが当たりました」と小さくぼやいていたけれど、その理由を尋ねることは出来なかった。というか、教えてはくれなかった。





「懐かしいなぁ……今でもこんなおもちゃ売ってるんだね」
「付けないんですか」
「何だか見てるだけで満足しちゃったかも。ここで付けるのはちょっとだけ恥ずかしいし……」





照れ笑いを溢す私の顔をまじまじと見つめた伏黒くんは少し思案するように目を伏せてから、そっと私の左手を下から支えるように捕まえる。あ、と小さな声が漏れた。大振りな銀メッキの本体と空みたいな宝石。まるで本物の指輪を扱うみたいに丁寧に摘み上げた彼はそのまま私の指先に、






「はい、ストーップ」
「……チッ」
「ほらほら露骨な舌打ちしないの。……やっと見つけた、捺」
「…………へ?」






視界の外から伸びてきた黒くて長いもの。それは伏黒くんの手から軽々と指輪を掠め取ると、あまりにスマートな仕草で私の右手の薬指に嵌められていく。本物の金属みたいな重さがない、子供騙しのアクセサリーは不思議と彼の手に渡った途端にまるで自身の価値を見出したと言わんばかりに輝いた。私の目の前に立っていた伏黒くんは声の主を射抜くように見やっていたが「悠仁と野薔薇が探してたよ」の一声に押され、仕方なさそうにその場を後にする。何度か私の方を振り向いて名残惜しそうにしていた彼に慌てて手を振ると、伏黒くんは何処か驚いたような表情を浮かべた後、明らかな呆れた溜息を零し、会釈してからその場を立ち去っていく。







「……で、なんで捺は浴衣着てないの?」






まるで"嵐"みたいな。そんな表現がよく似合う、そこに居るだけで人々の視線を独占する何かを待ち得た彼。他の客よりも頭ひとつ抜けた目立つ高身長。そこには、今日は仕事で来れない、と夜蛾先生から聞いていた五条悟、彼が子供みたいに唇を尖らせて立っていた。






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