ここ数日降り続いていた雨が止んだカラッとした六月の日。絵に描いたような晴れやかな青空は梅雨という面倒な季節を夏へと橋渡ししているような気がした。……つーか、暑い。暑過ぎる。







パタパタと適当なノートで自分の体へと雀の涙程度に送風している俺の隣で目一杯に腕まくりした傑が何度目か分からないため息を吐き出した。気持ちは分かる。もはや蝉すら泣き出しそうな所謂"夏日"に当たる高専の過ごし心地は最悪なのだ。いつもより高い位置で纏められた毛先からぽつ、と雫が零れたのに「汗かきめ」と突くと普通に睨まれてしまった。酷い話だと思う。とはいえこの気候じゃ誰かに怒りをぶつけることすら体力が勿体無くて彼の凄みには大した迫力がない。そりゃそうだ、俺だってこんなクソ暑い中で馬鹿みたいな言い合いなんかしたくない。




「……クーラー付かねぇの?」
「夜蛾先生曰く七月からだって」
「マジで?俺その前に干からびるんだけど」
「気持ちは分かるよ、物凄く。でも仕方ないだろう?」




仕方ない。言葉ではいい子ちゃんを気取る傑だが明らかに普段よりそこには苛立ちが篭っていた。俺だって言いたいことはあったけどこれ以上何か話しても下手に刺激して無駄な争いに発展する気がした。ストレスだとかそういうものはお互いに少ないほうがいい。停戦協定ってヤツだな、だとか、ぼやくような気持ちで視線を窓の外に向けた。丁度この教室からは高専の門が見える。こんなクソ暑い日にわざわざ出掛けるような物好きは居ないんだな、と俺が目を細めていた時、ふ、と軒下から突然現れた"白"に思わず息を呑み込んだ。




生ぬるい風に遊ばれるように浮き上がったレース、それを反射的に押さえる仕草と背後に流れる髪を耳に掛ける指先。机についていた肘が自然と降りて、少し前のめりに俺は彼女を見つめる。よく知る筈の人物の、見たことない格好。一点の曇りもない白いワンピースは俺の視界と思考を奪い去るのに十分すぎる効力を発揮していた。捺、と気づけば俺は彼女の名前を口にしていた。普段結んでいる髪を背に沿うように下ろした姿も、今日の青空に負けないくらい晴れやかな表情も、どれもが酷く、美しかった。それにあの格好はなんだかまるで、




「……あれは捺だよね?何処に行くんだろう」
「……」
「……悟、聞いてる?」




数回の呼び掛けに、はっ、と息を吐き出した。飛び込んできたのは不可解そうな表情を滲ませた傑の顔で、数秒の沈黙と瞬きの後に彼がいやらしく口角を持ち上げたのが分かった。あぁこれは絶対にメチャクチャ面倒な事になる。瞬間的にそう悟った俺が何か言う前に「見惚れてた?」とニヤニヤ笑った傑に眉を寄せる。そんなんじゃねぇし、と反抗してやりたかったが上手い言葉が見当たらなかった。実際俺は視線が外せなくなるくらい彼女に魅了されていたのだから。



せめてもの抵抗にもう一度窓の外を見たけれど、そこにはもう彼女はいない。……穢れを知らない咲きたての白百合みたいだった。大袈裟かもしれないけれど、俺は確かにそう思った。それもこれも昨日硝子が見ていたテレビドラマのせいだ。馬鹿みたいに焦ったくてイライラするくらいのすれ違いがやっと解れて結ばれたラストシーン。荘厳な教会の中で振り向いた男が見たのは、愛する女のウェディングドレス姿。……あまりにベタな終わり方だと思った。六月に結婚した花嫁は幸せになれるだとか、どうとか。つまんね、と素直な感想を呟いた俺を"嫌なら見るな"と爪弾きにした硝子と、その隣でなんだか楽しそうに目を輝かせる捺の横顔。





「……でも、ちょっと憧れるかも」
「……はぁ?こんな関係に?」
「関係っていうか、結婚式の方……かな?」





熱心な目線を追いかけるように俺はもう一度画面を見る。純白のヴェールを持ち上げた流行りらしい俳優と女優が見つめあい、神父らしき男性が誓いのキスを、終わりを促す。一番の決めシーンの筈なのにカメラが下へと降りていくのはきっとキスシーンNGの契約なんだろうなとつまらない所にしか目が行かなかった。こんなドラマに盛り上がる女子の気持ちは分からない。……まぁ、でも、好きなヤツのこういう姿を見るのが楽しみじゃない、といえば嘘になる。口元を手で覆って楽しげにラストを見届ける彼女を盗み見た。コイツもいつかあんなドレスを着る日が来るのだろうか。そう考えた途端に心の中がごちゃごちゃと落ち着きない色で点灯し始める。その姿を見てみたい気持ちと、見ているだけではいたくない願望。二つは相反してはいない筈なのにそれを認めるのはシャクな気がした。俺は多分、彼女が白を着る時は俺の前だけであって欲しいのだ。が、そんな事を素直に告げるわけにもいかず罰の悪さに舌を打った。ガラ悪、なんて冷やかしのつもりで喉を鳴らした硝子をウルセェと一蹴した俺はそのまま部屋に戻ったのだ。……だからこそ、さっき見た白が忘れられない。白に憧れた彼女が白を着てもいいと思える相手が何者なのか、いつの間にあんな服を買ったのか、つーかあんなに綺麗な格好で出歩くなよ、とか。半ば横暴な自覚はある。





「気になるなら聞いてみれば?」
「……は?」
「顔に書いてるよ、気になりすぎて他の事が入ってきません、って」





捺も携帯は持ってるでしょ。そう言いながら自身の電話帳から彼女の名前を見つけた傑は何の躊躇いもなく受話器のボタンを押す。驚愕に目を見開いた俺に押し付けるように手渡された通信機器は既に特有の電子音を鳴らし始めている。つーかコイツほんとにかけやがった……!!何やってんだよ!?と焦りから裏返りそうな声に傑は相変わらず楽しげな顔で「ほら耳に当てないと」なんて頬を緩めている。そもそも何を言えばいいんだ、何を聞けばいいんだ、纏まらない考えを必死に捏ね回す中「もしもし、」と聞き慣れた穏やかな声がノイズ混じりに俺の鼓膜を揺らした。





「夏油くんどうしたの?何か、」
「…………」
「夏油くん?」
「…………お前、今どこいんだよ」
「…………え、五条くん!?」





一瞬遠くなった彼女の声に電波の向こうで着信相手の名前を確認している姿が脳裏を過った。一呼吸置いた捺は少し言い淀みつつ高専には居ないよ、と答える。……随分遠回しな言い方だな、と肌に感じた不和に目の前に座る傑が両腕を下げるジェスチャーを繰り返した。落ち着け、と言いたいんだろうが妙に歯切れの悪い彼女の言い方が引っ掛かって仕方ない。




「何、言えないような場所なのかよ」
「そ、そういう訳じゃないけど……あの、私に用事が……?」
「ねぇよ」




じゃあなんで、と戸惑いがちに尋ねる彼女の疑問は尤もだ。俺がその立場ならきっと同じような反応をしている。この行為が横暴だってことも理解してる。でも、それでも募る感情は止まらない。本物のドレスとは程遠い筈のその服装が重なって見えるくらいには俺は彼女の並々ならぬ想いを抱いている。普段黒で染められている俺達にとって馴染みのないそれを態々選ぶ価値のある用事とはなんなのか?嫌な想像ばかりが込み上げた。答えろよ、と吐き出した声に嫌な圧力を感じる。威圧したいわけじゃないのに自然と強くなった語気に電話越しの彼女が息を呑んだのが分かった。





「……じ、実家にいます……」
「……は?」
「その、お母さんと用事があってついでにご飯も行こうかなって、思って、」





もうすぐ命日だから。俺の頬に照りつけた太陽の光が痛かった。その響きで全てを察した俺は何も言えなくなり、今度こそ黙り込む。彼女が白を見せたかった相手は、彼女の父親だったのだ。別に彼女自身はそんなつもりはないのかもしれない。少し整った服装で行こう、とか、そういう理由だったのかもしれない。沈黙が降りた俺たちの間に「捺!」と彼女話の名前を呼ぶ女性の声が聞こえる。きっと、今のが捺の母親なのだろう。何か返事したらしい彼女は少し慌てた様子で「ごめん、一旦切るね!」と矢継ぎ早に告げ、それと殆ど同じタイミングでツー、ツー、と電波が途切れた音がした。




「どうだった?」
「……別に」
「……ここまでしてあげたのに何も教えたくないって?」
「教える程の事じゃなかった、そんだけ」




態とらしく口を開いて欠伸をした。傑はいまいち納得してない様子だったけど、俺がそれ以上何も言わないのを悟ると強情なヤツ、と呆れたように呟く。強情なつもりはない。けど、この話をどんな顔をして伝えればいいか分からなかった。




「……死んだ人間に見せたいものがある時、いつがいいと思う?」
「……トンチか何か?」
「トンチ言ってる顔に見えるかよ」
「全く見えないね」




小さく溜息をついた傑は、そうだなぁ、と顎に手を当てて視線を持ち上げた。俺は彼の答えを待つように静かに空を見上げる。相変わらず六月に見合わない、馬鹿みたいな夏日だった。






「一般的に言えばお盆とか……それか、命日か」
「……命日」





命日が近い、と彼女は言っていた。きっと何年か前の六月中の事だったのだろう。ふと昨日見たテレビドラマのワンシーンが思い浮かんだ。あのドラマで彼女の両親は白いドレスに包まれた娘を見て涙を溢していたっけ。……六月の花嫁は幸せになれる。迷信とも取れるそんな逸話をたった今、俺は少しだけ信じたくなった。彼女の話が全てなら。捺の父親は手放しにいい人間だと俺は思えない。だけど、一人娘の旅立ちを見送りたくないと思う親ではなかった筈だ。ましては何処のどんな男に取られるのか、きっと気が気じゃない筈だ。死人に口なし。だが、もし傑の言う通り命日なら向こうからコッチが覗けると一方的に信じてやるならば、





「……なら、六月がいいな」
「……もしかして昨日のドラマの話?」
「いや、現実の話」
「え、何?付き合ってもないのに結婚とか考えてるの?」





小馬鹿にするような口調の彼にうるせー、と吐き捨てる。白いワンピースでさえああなんだ、どちらにせよ彼女の晴れ姿はきっと昨日の日差しに負けないくらい眩しいんだろう。ぼんやり想像した俺の脳内に描き出された捺が俺を振り返って笑った気がした。






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