この世界にいて"完全なオフ"というのは非常に珍しい。朝が弱いわけじゃないけれど寝ていられるなら気持ちよく目覚めるまで眠っていたい願望ってのは人間誰しも持ち合わせていると思う。高専は校舎と寮が繋がっているから、プライベートとの切り離しは厳しいけれど、それでも貴重な完全な休日というものを楽しもうと思っていた。今朝、傑の部屋を訪ねるまでは。





「……いねぇじゃん」





軽くノックしても一切返ってこない声に思わず息を吐き出した。まあもう11時だし出かけるには遅いかもしれないけれど、遊びに行くなら誘ってくれてもよくね?とブツブツと悪態を吐く。当てが外れた時、高専の少ない交流人数が仇となる事は多々あるけれど、傑がいないなら俺の今日の予定はほとんど消えたに等しい。態々硝子を誘ってまでしたいこともないし、ましてや捺なんて……どう考えても無理だ。大体誘えるならそりゃ捺を誘ってるけど出来る気がしないし断られる未来しか見えない。そうなったら割と落ち込むぞ、きっと。



どうしたもんかな、と思いつつ長い廊下を無策で歩けば不意に物凄い勢いで押し開けられた扉に反射的に飛び退いてバッと顔を上げる。危ないだろ!と叫ぼうとしたが、そこに立つきょとんと目を丸くした硝子の姿にギリギリで押し留めて声を胃の中に落とし込む。……何してんの?と問われるのにこっちのセリフだよ、と思いながら「散歩」と若干ぶっきらぼうに吐き捨てれば、ふぅん、と硝子は意外そうな顔をした。そんなに俺が校舎を散歩するのが珍しいのか、と眉を上げると硝子は衝撃的な一言を口にした。








「どしたの、傑と捺出かけたのに荒れてないじゃん」
「あ?」







夕日が傾き始めた頃、外から帰ってきた私は捺と高専の門をくぐり、彼女を部屋まで送り届けた。柔らかく笑ってありがとう、と口にする彼女はいじらしく可愛らしいと思う。いつでもお供するよ、と戯けて見せれば彼女もまた楽しそうに口元でくすくすと息を吐き出す。しっかりと扉が閉められるのを確認してから廊下を歩いて、特に何も考えずに自分の扉をノブを引いた瞬間、ピリリとした緊張感が肌を刺した。一瞬で体に力を入れて呪力を巡らせたけれど、私のベッドに足を組みながら堂々と座る男の姿を視認してからふ、と力を抜いた。……悟、と名前を呼ぶと少しも表情筋を動かすつもりがなさそうな彼がゆっくりと顔を上げる。これは相当御立腹しているらしい。





「おかえり傑」
「……ただいま、と言いたいところだけど随分物騒だね」
「当たり前だろ……お前、どういうつもり?」
「悪かったって」





側にある椅子に腰掛けて彼にひとまず謝罪の言葉を口にしてみたけれど効果は薄い。説明しろ、と青い目が爛々と光っている。このままじゃ本当にぶん殴ってきそうだな、こいつ、と呆れた息を吐き出しながらも「お前が想像するような理由じゃない」と伝えたが、それでは納得しないみたいだ。どうしたもんかな、と上手い言い方を思考していると、静かな部屋にコンコン、とノックの音が響いた。悟に目を向けたけれど彼は何も言わない。対応しろ、ということだろうか、と勝手に解釈してから「はい、」と少し声を張って答えれば、扉の向こうからついさっきまで一緒にいた彼女の声が聞こえた。これはなんてタイミングだろう。明らかに悟がびくりと肩を揺らしたのが分かる。あぁ、そうだ、ならいっそのこと……




「どうぞ、開けていいよ」
「っお前、」
「はぁい……夏油くんごめんこれ、返すの忘れて、た…………五条くん?」




ドアを開けた体制のまま固まった捺は私と悟に交互に目を向けると「邪魔しちゃった?」と申し訳なさそうに眉を下げた。その手に抱えられているのは私が途中で寒そうだった彼女に貸したコートだ。ありがとう、とできるだけにこやかにそれを受け取ってから、肩のあたりにふわりと流れた毛先を指先に巻き付かせるように触れる。見上げてくる捺にやっぱり似合うね、と素直な感想を伝えた。




「そ、そうかな……?」
「うん、可愛いよ。いつもみたいに結ってるのもいいけどね」
「夏油くんは本当優しいね……今日もその、ありがとう……変なお願いしちゃってごめんね」
「大丈夫、案外楽しかったし、今度は私が切ってもらおうかな」




いいね、と頷いて微笑む彼女に再度ありがとうと告げて、ペコペコとお辞儀しながら部屋を出ていくのをしっかりと見届ける。きちんと悟にもごめんね、と気を遣うあたり、彼女は本当にきっちりしている。扉が閉まったのを確認してから「どうだった?」と先ほどから一言も発していない男に尋ねればたっぷりの沈黙の後に……なにあれ、と呆然とした声を漏らした。うん、期待通りの反応だ。






「"任務中に見つけた新しい美容院が気になるけどおしゃれすぎて1人で入りにくい"だって」
「……硝子は、」
「今日は面倒だからパスって断られてて落ち込んでたから、私が代わりに」
「俺は」
「お前、無理だろ、その調子だと」






ぐ、と言葉を飲み込んだ悟は流石に無理だと自覚しているみたいで、文句の一つも出てこない様子だった。普段動きやすさを重視してポニーテールでまとめていることが多い彼女だったが、折角切ってもらったんだ、と、私が店員に軽くセットしてもらうように頼めば毛先がふわりと柔らかくカールした女性らしく可愛らしいシルエットに早変わりした。実際よく似合っていたし、普段から下ろしても似合いそうだと伝えると捺は照れ臭そうに笑う。彼女の笑顔には蕩けるような、人を思わず同じように笑顔にするような魅力がある。悟が彼女を好いている理由が少し私にも分かった気がした。こんな気持ちを彼に知られるとそれはもう止められないくらいにキレられそうだから言わないけど、今の彼はきっと気付かないだろう。私のベッドに力が抜けたように転がった悟は両手で顔を覆って深く息を吐き出した。指の間から覗いた耳が赤く染まっているのにクツクツと喉を鳴らして笑う私にも彼は文句一つ溢さずに倒れ込んでいる。こんなにも分かりやすく彼女を愛しているのに、どうしてそれを本人に見せられないのはやっぱり不思議で仕方ない。こんな反応、女性ならきっと嫌な気はしないだろうに。






「……可愛すぎるだろ」
「まぁ、そうだね」
「ふわっふわでさァ……なんか、甘そうだし」
「うんうん」
「…………あー……好き……」






あんなにも彼女を虐めつつも、こうしてしみじみと絞り出すようなストレートな愛の言葉を口にする悟は憎めない奴だと思う。こういう時の素直さが無かったら応援してやる気も起きなかっただろうまぁ、頑張れよ、といつものように彼を励ますと悟は小さく頷いた。……こうして、彼の私への怒りが全て彼女への愛しさに昇華されたのを確認して胸を撫で下ろす。案外、捺は幸運の女神なのかもしれない。






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