あー、めんどくさ。








新幹線の改札を抜け、駅で和服を揺らしながら歩く俺に自然と視線が集まるのが分かる。別に自意識過剰ってワケじゃない。そりゃぁ東京でこんな服着て歩いとったら目立つのは当たり前って話で、俺だってこんな居心地悪いコトしてまで都会を歩きたない。とっととここ抜けて高専までのタクシー捕まえたろ……そんな事を考えつつ、空いている車両を見つける為にロータリーに視線を向けると、ふ、と、見知った黒塗りの車とその運転手の姿が目に止まった。黒いスーツに赤いネクタイ、纏まりよく流された髪、あの、横顔。



反射的に堂々と舌を打った。すれ違った顔も名前も知らない会社員が驚いたように俺を見ていたけれどそんなこと気にしていられない。俺はあの女をよくよく知っていた。名前は閑夜捺。あの甚爾君を殺した"悟君"の女。規格外の男を骨抜きにして、弱点を作ってしまった女。それが閑夜捺なのだ。……初めは興味があった。あの男の相手を務めるヤツはどんな生き方をしているのか、どんな強さを持っているのか、どんなに綺麗な女なのか。クリスマス前のガキみたいに胸を躍らせていたのが懐かしい。





結局、俺が彼女と対面したのは数年前の事だ。閑夜捺が京都に来たという話を聞いて高専に向かった俺が見たのは術師特有の黒を基調とした服装でありながらも赤いネクタイをした彼女の姿だった。……そう、閑夜は術師を辞めていたのだ。




「……おもんな」




思わず口から溢れた言葉をよく覚えている。あの最強の悟君の女と聞いていたから期待していた。し過ぎていた。五条悟に釣り合う女がどんな人間なのか、どんなイイ女なのか、そんな俺の予想を遥かに下回る"ただ普通の女"の閑夜に全ての興味が失せた感覚は全く持って不愉快だ。コイツより美人な女もスタイルがええ女も探せば幾らでもおる。ウチの相伝の劣化版みたいなしょうもない術式なんも惨めで仕方ない。術師から逃げて補助監督なんかに成り下がったカス。なんでコイツが悟君の女なんや、なんで悟君はコイツやったんや。俺の精神は不思議どころか軽蔑の域にすら達していた。そんな、古い記憶。





「……どうも、なんや久しぶりやねぇ」
「……え?」





湧き上がった感情全てを押し殺して、俺はニッコリと彼女に笑い掛けた。コンコン、と突然車の窓を叩かれ驚いていた閑夜捺は俺の顔を見るなり目を丸くして、慌てて運転席の脇のボタンを押しながら自動で隔てたガラスを引き下げた。……直哉さん?と俺の名前を呼んだ彼女にゆっくりと頷いて「今から高専帰るん?」と尋ねると赤べこみたいに首を振る姿が間抜けだった。そりゃ好都合。いくら嫌いな相手でも足になってくれるんなら話は別や。面倒なタクシーなんかに乗るよりよっぽど手軽で安上がり……使わない手はない。






「実は今日高専に用事あるんやけど……あそこまでの道を上手く説明できる気がせんで困ってんねん」
「あ、それなら……このまま高専に戻るので良かったら乗っていきますか?」
「ホンマ?そうしてくれたらめっちゃ助かるわァ」






ついでなので、と年下の俺に対しても敬語を使って笑う女に内心ほくそ笑む。これで面倒臭い運チャンとのやり取りも無くなったし得したな、と喉の奥を鳴らしながら黒い扉を開いて頭を屈めながら乗り込んだ。騙すのも騙されるのも知らないような世間知らずの彼女は非常に滑稽で、危機管理の観点から見ても逆に心配になってくる。これで俺が変な呪霊やったらどないするつもりやねん。あぁ、無様に殺されるだけか。





「今は高専に帰る術師を待っていて……その人を乗せてから発車するんですけど時間は大丈夫ですか?」
「……あー、うん、いけるよ。なんや気遣ってもろて悪いなぁ」
「いいえ、寧ろお待たせしちゃってスミマセン」





ちらり、と一度腕時計に目を向けて、お偉いさんの指定した時間まで余裕があることを確認してからミラー越しに微笑みで返すと閑夜は安心したように息を吐いてから同じように笑顔を作ってみせる。気の抜けきったその顔は何の苦労もしてなさそうな能天気なもので膝の上で軽く拳を握る。……尚更分からない。何でこんな平和ボケしてるような女を彼は選んだのか、理解が追いつかない。ウチと同じ御三家の一つのクセに特異性もしがらみもない一般家庭生まれのただの女に現を抜かして、これで牙抜かれてたら世話無いな、と気付かれない程度に息を吐く。別にこの女にどう思われようが関係ないが万が一悟君との関係が悪くなることは避けるに越したことない。アレを下手に怒らせてもロクなことあらへんわ。





「……いつ、コッチ来てたん?」
「……あ、今年からです。東京高専に転勤になって……今は学生担当してます」
「ふぅん」





学生担当という響きに浮かんできた落ちこぼれの顔を思い出してクツリ、と含み笑いを見せた。嫌味を込めつつ「真希ちゃんは元気にやってんの?」と尋ねると閑夜捺は少しだけ不審な顔をしたが直ぐに元気ですよ、と笑って見せる。肉体的なセンスは群を抜いていますね、とフロントガラスの奥に映る光景に視線を送りながら話す彼女は妙に熱が入り楽しげだ。……なんやおもんないな、と自身の顔から表情が消えていくのが分かる。俺は別にこの女の話なんかどうでもええし無駄に山奥にある高専まで連れて行って貰えればお役御免、世間話なんてつまらんことをしたい訳じゃない。それが身内の汚点なら尚更興味は薄かった。俺に食ってかかっては床に転がってた哀れな雑巾のことなんか微塵も知りたくない。






「……あぁそうや、東京ってことは悟君とは仲良うしてんの?」
「え?」





俺の強引な話題転換に少し戸惑った声を出した閑夜は曖昧な調子で頷いてから「一応は」と短く答えた。あまり煮え切らない声色に今度は好奇心が刺激され、またまたぁ、と面倒な親戚を演じれば困ったような顔で苦い笑顔を浮かべる。……何やこの反応は?あの悟君と関係持ってんのに閑夜は謙虚どころかよっぽどな態度を俺に見せている。それがどうにも気に入らなくて探りを入れるように「上手いこといってんの?」と吐き出すと、彼女は更に罰悪そうに歯切れ悪く口を開閉させるだけで、中々言葉は出てこない。何やこの違和感は、と肌に感じる食い違いに眉を顰めた。俺が知らないモノがこの二人の間に敷かれてるのだろうか。真偽は読み取れない。






「水臭いわぁ、ここだけの話にしとくから教えてや」
「教えるも何も……教えて面白い関係ではないですよ」
「…………そんな訳ないやろ」







そんなこと、あって良い訳が無い。"あの"五条悟が今目の前にいる何の取り柄もないこの女を好いている事は知っているヤツなら知っている有名過ぎる噂だ。数多の名家からの見合いを両断し、優秀な遺伝子を遺そうとしない当主に五条家が何かと困り果てているのも、その女がかつての同級生である閑夜捺であることぐらいとっくに割れている。こうして話していても分からない。何故彼が選んだのがコイツなのか。何故同じ同級生でも他者への反転術式が使える稀有な力を持つ家入硝子ではないのか。何故、何故、何故?





「……気に入らんなぁ」
「……え?」
「なんでお前がソッチ側やねん、閑夜捺」
「そっ、ち?」
「ロクな取り柄もない、ロクな女でもない、お前が何で悟君と……」









「僕が好きだからだよ」









太陽の光を遮るようにぬらりと現れた黒を見て、一瞬、呼吸が止まった。息を飲んだのは俺か、彼女か、定かではない。ただ確かなのは俺の前に座る閑夜捺が「五条くん、」とその名前を口にした事だけだった。独特の闇に目元までも染められて、唯一色付いた銀箔の髪を風に揺らした現代最強の術師は軽薄そうな笑みを浮かべながら彼女を見つめる。言い出した俺ではなく、彼女を。


何か答えるよりも先に長細い、という表現が適切であろう体を折り曲げて助手席に乗り込んだ悟君は一言、お待たせ。とハンドルを握る閑夜に向けて呟いた。あ、いや、と何でもなさそうに返事をするのを見るあたり彼女が送迎に来ていた高専に帰る予定の術師は「五条悟」だった、ということになる。脚を投げ出しながら早く帰ろうと言い始める悟君は車内に流れかけていた重い空気全てを自身の体と入れ違いにするように外へと放り出してしまったらしい。閑夜もまた急かされるままにエンジンを踏み、タイヤは滑らかな滑り出しで道路の上を転がり始めた。……背中に冷たい汗が滲む。悟君は俺が彼女に言ったことを確かに聞いていたはずなのだ。それなのに彼は何も言わないどころか、さっきのこと全てが"無かったこと"なのでは?と錯覚してしまいそうな雰囲気が漂っているのだ。




「今回の任務もめちゃくちゃ面倒でさぁ……捺に慰めてもらわないと釣り合い取れないんだけど」
「慰め……になるかは分からないけど、いつもお疲れさま」




何やねんこの感じ。




「ありがと。お土産も買ってきたよ」
「みんなの分?」
「僕と捺の分」
「えぇ!?」
「ウソウソ!ちゃーんと生徒の分もあるよ!」





何やねんこの空気!





「……あ、そうそう、それでさ」
「ん?」
「後ろの"コイツ"……何?」





膝を揺らして不機嫌さを隠さなかった俺を見透かしたような氷点下の声色。車が走る時の独特な音だけが狭い空間を支配して、きゅっ、と肝が握り潰されたような感覚に陥った。ぐ、と首を傾け「お前なんなの?」と笑顔を消して尋ねてくる男が瞬間的に発した呪力に血圧がどんどん下がっていくような気がした。頭の奥がズキズキと痛んで、吐き気すらも引き起こす。染み渡る毒のような濃い呪力に言葉が出なくなった。思わず運転席の女に目を向けたけれど彼女は平然とした様子で「禪院直哉さんだよ」なんて簡単に言ってのけるのが信じられなかった。こんな呪力を隣に携えて尚、顔色一つ変えへんとかどんなバケモンやねん……!






「別にお前が何考えてるかとか、誰なのかとかは微塵も興味無いけどさ」
「ッ、俺は、」
「歳上への口の聞き方には気を付けろよ。何捺のこと呼び捨てにしてんの?捺さん、せめて捺ちゃん……いやこれもなんかムカつくからナシ」
「……捺チャン……」
「だからナシだって。閑夜さんくらいで良いでしょ」






フ、と鼻で笑うような言い方。あからさまに馬鹿にした態度に言い返してやりたい気持ちはあるが、首元を思いきり掴まれたみたいに俺の声帯は震えてくれない。そんな悟君の態度に眉を下げきった閑夜……サンは、一つが二つだけでしょ?とあろう事か俺に助け舟を出そうとするではないか。そこには純粋な俺への心配と謙虚さしか映っていなくて、逆に酷く惨めな気分にさせられる。俺がさっき言ったことも、言おうとしたことも全部忘れたんか?記憶力ノミ以下なんか?







「何か言いたそうな顔してるね、聞いてあげても良いよ。……でもね、」
「……なんやねん」
「他人の分不相応を語る暇があるなら自分を顧みた方がいいんじゃない?」
「……な、」
「…………で、お前誰?」









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「……五条くん、本当に知らなかったの?」
「何が?」
「直哉さんのこと」






私の疑問に五条くんは少し唇を丸めてから、ふ、と口角を持ち上げると「勿論知ってるよ」とあっけらかんに笑った。……そんなことだと思った、と半ば呆れた息を吐き出した私に彼はもっと楽しそうに喉を揺らして、誰も居なくなった後部座席に堂々と助手席の背もたれを倒して寝そべっている。結局、高専までそれなりの距離がある場所で車を降りると言い出した彼は振り返りもせず、そのまま行ってしまったのだ。流石に歩くには遠過ぎるし何度か引き留めようとしたけれど「気持ちだけ貰っときます」の一点張りで、直哉さんは聞く耳を持たなかった。






「僕が何回あの家に足を運んだと思ってるの?そりゃあ嫌でも分かるよ」
「なら、どうして……」





ちらり、とアイマスクを片目だけ引き下げた五条くんは青い目を細めて堂々と言い放つ。その一言のインパクトとどうしようもなさに肩を落とした私を見て、彼はさらに満足そうに口笛を吹いたのだった。






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