過去拍手C
穏やかな寝息を立てる少し幼い寝顔にドクドクと心臓が煩く動いている。俺のベッドの上で、俺の隣で、こんなにも無防備な彼女が居ることにもはや感動すらも覚えた。……が、少し視線を動かせば目に入る床に転がるもう2人に自然と溜息が零れる。これじゃロクに彼女を堪能できる気がしなかった。
確かに、言い出したのは俺だ。暇だし桃鉄99年やろうぜという提案に明らかに嫌そうな顔をした傑と硝子は今すぐにでも一刀両断しそうな雰囲気を醸し出していたが、残った1人が目を輝かせて「桃鉄!?」と嬉しそうな声を発し、その後で恥ずかしそうに肩を竦めたことで俺の提案は議会を通った。なんでもゲームの名前は知っていたらしいけど、やったこと自体はなかったらしい。こうしてなんやかんやと楽しい桃鉄合宿がスタートし、じゃんけんに負けた俺の部屋が3人に提供された。最初は盛り上がっていたが、年数を重ねるごとにテンションは落ち、作業になり始め、時たまの大きなイベントで湧くプレイスタイルに落ち着いていく。俺がやろうと言い出した手前悪いが、ぶっちゃけかなりの苦痛を伴った。彼女は99年が実際のプレイ時間でどのくらい掛かるのかも知らなかったので段々と身体がゆらゆら左右に揺れ始めており、傑の声掛けで一時中断し仮眠を取ることに決まった。
ほぼ意識を失っている捺は自動的にベッドに送られ、後は2人が床、残り1人がベッドという内訳になる。普通に考えてまぁ硝子を寝かせるのが道理だろう。分かっている。そんな事は理解している。
「俺がベッドで。異論ある?」
「言うと思ったけど異論しかないよ悟」
そんなやりとりを重ねつつも結局硝子の「面白いからいいんじゃね?」という鶴の一声により無事に彼女の隣で寝る権利を勝ち取った俺は今こうしてずっと安らかな寝顔を眺めている、ということだ。お触り禁止なんて契約は最早どうでも良い。こうしていられるだけで高揚するというものだ。……初めはとにかく嬉しかった。可愛い彼女がすぐ近くにいることが堪らなく幸せだった。だが次第にふわりとした甘い匂いや、重力に従って流れる髪と服。そして俺のベッドに捺が寝ているという事実に妙な感情が湧き上がる。ごくりと唾を呑み、興奮にも似た衝動を必死に押さえつける。そんなことをする度胸が自分にないのは分かりきってはいるが、だからと言って理性を解くわけにはいかない。手の甲の薄い皮膚を抓りながら冷静を保とうとする俺は側から見ると健気に見えて仕方ないだろう。つーか実際健気、多分。
柔らかそうな頬も、艶のある唇も、長くセパレートした睫毛も、どれもが俺を誘っている。開いた胸元に一瞬目がいったが、慌ててすぐに目を逸らした。男として見ていたいキモチはあるが、これで下が反応したら一巻の終わりだ。この状態で抜くことなんて出来ないし、苦しい夜を過ごすことになるだろう。流石にそれは避けたい。耐えろ、俺の良心。耐えろ俺の理性。そんな願いを込めて無理矢理目を瞑った。
……と、どうにか気合いで持ち堪え、大して眠れない夜を過ごした俺は無事に優勝を果たし、これでやっと眠れるだろうと他人がいなくなった部屋のベッドに飛び込んだが、鼻腔をくすぐる確かな彼女の残り香に全くもって眠ることは出来ず、というか我慢出来なくなり、その甘い香りを所謂"オカズ"に致してしまい、後に暫く想像を絶するような自己嫌悪に襲われることになってしまった。あぁ、こういうのはやっぱ欲張るもんじゃねぇ!!!
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Q.五条が特定の女性に誠実になるイメージが沸かないそうですがどう思いますか?
何度か瞬きさせた捺は顎のあたりに手を置いてうーん、とその質問の意図をしばらく考える。こんなくだらない質問だというのに真剣に向き合おうとする姿勢には相変わらず真面目な性格が滲み出ていた。暫くしてからゆっくりと彼女は、五条くんは、と口を切ったように話し始める。
「五条くんは……かっこいいし、色んな女の人からも好意を持たれやすい人だと思うけど……誰かを裏切るような人じゃないと思う、かな?」
そう言う彼女は真剣な顔をしている。冗談や、そういった類のものではなく、心からそう思っているのであろう表情が物語るのはきっと彼との無数にある思い出が脳裏を過っている証拠だろう。ふふ、と薄く唇を緩めて笑った彼女は穏やかに、そうやって心からの信じているかのような口調で続けた。
「だからきっと、本当にそういう人が出来たなら大切にしてくれるんじゃないですかね」
実際見たことはないですけど、と語る彼女の柔らかな空気感にインタビュワーの力が抜けてしまった。ありがとうございます……と感謝を述べながらふらふらと歩いていく。目指すのは聞き出せと命令してきた彼本人の元だ。一応彼女からの反応は悪くはなかったし、きっと大丈夫。理不尽なことは何も言われない。そうやって唱えながらインタビュワー……こと、伊地知潔高は自身の先輩に当たる五条悟が待機している車の中へと乗り込んだ。
「で、どうだった?」
「いやその……五条さんにそういう方が出来たらきっと大切にしてくれるだろう……と仰っていましたが…………」
「……へぇ、それだけ?」
「え、ええ……」
五条のいつもより幾分か低い声に伊地知は肩を震わせる。別に悪い回答ではなかったはずだ。寧ろかなり良いイメージを持たれていることが伝わってくる、そんな答えだったはずなのだが彼にとっては何が気に食わなかったのだろうか。そうして怯える後輩に気付きつつも五条は纏わせている呪力を弱めはしなかった。別に怒りや負の感情で渦巻いている訳ではないのだが、少しばかり気に入らないことには違いない。
「自分がその大切な人だとは思わないワケ、ね」
中々燃えるなぁ、と笑いつつもそれが何処か焦ったそうに感じるのは気のせいだろうか。五条は確かに怒ってはいなかったが、絶妙に心がざわつくような、そんな気にさせられていたのだ。彼女を大切にしている、そうして自覚するくらいには今の自分は誠実に向き合っているつもりだ。でもそれが届ききっていない事はやはりどうにも、もどかしい。
また、そんな五条を見ていた伊地知も何処か複雑な心境を抱えていた。きっと五条さんの想いは彼女にキチンと伝わっているんだと思う。同僚でもあり、先輩でもある彼女があんな顔をする所を伊地知は今まで見た事がなかったのだ。だが……それ以上に彼女は自分に自信が無いのでは無いか、そう感じた。確かにもし自分が家入さんに好かれている、なんて噂を聞いたとしてもきっと信じられないのと同じで、彼女にとって五条さんという存在は身近であり、遠い人なのかもしれない、そう思い当たったがそれを言葉にすることは憚られた。五条さんにこれ以上絡まれても任務が進まないのはたまったものではない。シートベルトを付けて「出発します、」とどうにか話を切り上げる伊地知は、やはり優秀な補助監督であった。後ろの席に座る五条からの視線に耐えながらも、今日も彼は最強の術師を乗せて今回の事件現場へと急ぐのであった。