「大人2枚で」





チケット売り場のお姉さんに向けて、これ以上無いくらいの笑顔を浮かべた自覚がある。財布からカードを取り出してトレイに置いてから隣に立つ彼女にチラリと視線を落とした。任務のついでだから仕方ないのだけれども、僕も彼女もいつもと変わらない黒一色の服装なのがほんの少し残念だ。捺の水族館用の私服なんて絶対可愛い。そんな確信を得ているのでつい、勿体無い気がしてしまうが、今まで2人で水族館なんて夢のまた夢みたいな話だったのだから高望みはしない。気に入ったならまた別の機会にキチンとお誘いすればいいしね。



楽しんで来てください、とテンプレ的な受け答えをしてくれたお姉さんに愛想良く感謝を伝えながら彼女の前を歩き、ゲートのスタッフにチケットを提示する。もぎりではなくバーコードを読み取る方式に時代を感じつつも無事に通り抜け、去り際にパンフレットを2つ程拝借した。何をしようか、どこを見ようか、はやる気持ちで彼女に問いかけて、何度か瞬きをした彼女が五条くん楽しそうだね、と呟いたのに当たり前でしょと言い張る「なんたって捺とデートだからね」ほんの少し恥ずかしそうに視線を逸らした君は今日もやっぱり世界一可愛い。





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「うわぁ……」




そうやって感嘆の声を漏らした彼女の横顔は青く照らされていつも以上に綺麗に見えた。学生気分じゃないけれど、若い子の初デートに水族館が選ばれる理由を今、よくよく実感している気がする。厚いガラスに反射して見える子供みたいに目を輝かせた表情。明暗がハッキリした展示に映える自分だけの彼女。こんなの胸の高まりで済まされる筈がない。そっとポケットに忍ばせたスマートフォンを取り出して、スピーカーのあたりをグッと押さえながらカメラを向ける。隠し撮りなんて趣味が悪いなぁと思いながらも緩む口元をそのままに何度も画面をタップした。明滅と共にフォルダに増えていく捺の写真ににやけが止まらない。本当になんでこんなに眩しいのか理解し難い。


一瞬、動画にもしようかとも思ったけれど、この空気感に他の人の声が入るのはなんだか惜しい気がして写真だけに留める事にする。トンネル状に広がる水槽に首を持ち上げたり、彼方此方に視線を向けながら歩く彼女の足取りは普段よりも確実に軽いものだ。気に入ってもらえて何より、とゆったりと捺の後ろに着くようにして歩き始める。魚なんかより彼女を見ている方が楽しいというのは紛れもない本音だ。






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「うわ!ジンベイザメデッカ!!」





思わず水槽に手を当てて雄大に泳ぐ馬鹿デカい体をじっと見つめた。この水族館の目玉らしい1番大きな展示スペースに揺蕩うジンベイザメは水槽の中で圧倒的な存在感を放っている。他にもなんかめちゃくちゃ群れで泳いでキラッキラしてる小魚もいるし、座布団みたいなヤツとか鮫みたいなのもいるしカオス過ぎないか?ここ。


うぉ〜、と無意識に声を漏らしながら奥にまだまだ続く水槽に肩を当て体を沿わせるようにして歩いていると背後からくすり、と小さな笑い声が聞こえた「大きいよねぇ」とのんびりとした口調で頬を持ち上げる彼女の母親か何かのような態度を若干不服に思いつつ、でもヤバいでしょあれは、と抗議したけれど捺はうんうんと頷くばかりで本気でそう思ってくれているかは定かではない。なんだよ、と口を尖らせつつもう一度限定的に広がる太平洋に目を向けて、僕の方に向かってくるそいつに少し背伸びをする。やっぱデケェ。そう感動しつつも、五条くんだったら勝てそう、となんの気無しにぽつと呟いた彼女に当然でしょ、と返すのは忘れなかった。こんなサメ如きに負けてたまるものか。





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イルカショーってのは位置取りが大切だと思う。




そりゃ女の子にとっては可愛いイルカを近くで見たい気持ちと、万が一があれば困るってのが相反するんだろうけど、その点僕を彼氏にすると有用な特典が付いてくる。さぁ行きますよ!とショー担当のお姉さんが水に飛び込み、水の中だと死ぬほど動きが速いイルカが調教師の足の裏を押していく。中央まで来ると後は大技を決めるのみ、勢い良く飛び出したマリンスーツの女性と案外近くで見ると大きなイルカが空高くに飛び上がり、平日で疎らな客席からも歓声が上がる。



……ここまで僕のリサーチ通り。そして運命の瞬間が来るより早く、僕は彼女の体に腕を回して、ぐいっ、と一思いに自分の方へと引き寄せた。驚きの声を上げた彼女とほぼ同時に鈍い音を立てて降り注いだ水飛沫の雨が僕と彼女の周りの無限に阻まれ滑り落ちていく。僕たちの周りを綺麗に円状に囲むようにして水溜りを作るほどに濡れたベンチと石畳を見た捺はギョッとしてから素直に感謝の言葉を口にした。便利でしょ?と口角を持ち上げた僕に神妙な顔で頷く姿は中々どうして愛らしい。そう、僕はこういう時に重要な男なんだ、だからほら、彼氏にどうですか?なんてね。






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「……本気?」
「超本気。めっちゃ本気」





あー、と口を開けてお腹が空いてますとアピールする姿に彼女は手に持った白と青で綺麗に巻き上げられたソフトクリームと僕の顔を悩ましげな様子で交互に見つめている。因みに僕が頼んだのはチョコレートマシマシ甘々なアイスクリーム。別に特別美味い訳じゃないけど甘いものは基本的に嫌いじゃないのでそれなりに満足している。こういうのってここで食う雰囲気みたいなのが美味しいみたいなとこあるし。後はちょっとした"お口直し"に捺の手からあーん、して貰えれば後悔はないんだけどなぁ、と態とらしくカワイクしてみせると、仕方なさそうな顔で息を吐いてから彼女は僕の方へコーンを差し出してくれた。頂きます、と元気に挨拶してからかぶりつく。さっぱりとしたソーダ味が後腐れなくて本当の意味の口直しにもピッタリで素直に美味しい、と口にすると何とも言えない顔で捺は自分の手元を見つめている。





「食べないの?」
「……食べる、けど」




そわそわと恥ずかしそうに足を動かしてから意を決し、ぺろりと赤い舌を這わせる姿はすごくいじらしく、悪戯心を擽られる。別に間接キスに湧く年頃じゃないけれど、照れている捺はいつまでも見ていられる気がする。可愛い、と呟く僕にばか、とツンとしてみせたのにニヤケが止まる気配が無かった。






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一際暗いブースの中、ぼんやりとスポットライトのように照らされて展示された丸い水槽の中にはまるで空に浮かぶようにふわふわとクラゲが踊っている。長い尻尾をつけている奴もいれば、丸っこくて可愛い奴もいて中々コイツらは個性派揃いだ。小さく口を開いて覗き込み、そいつらに見惚れている捺はなんとなく面白くないけど。ふ、と目に入った垂れ下がった綺麗で細い指先にそっと、伺うように自分の手を当てる。……反応はナシ。いやでもこりゃ行けるかな、とそのまま滑り込ませるようにごく自然な動作で小さな手を捕まえ、握り込んだ。捺はびくりと肩を揺らしてまんまるな目で僕を見上げる。


ん?と首を傾げつつ、ぎゅ、と少し力を込めてやると背後にクラゲを漂わせながら彼女のまつ毛が震えたのが分かった。慌てて目を逸らして平静を装うとする健気なところが僕の胸を温かくさせる。あぁ、ほんと、可愛いなぁ。緩めたり、強くしたり、摩ったり……と、にぎにぎ遊ぶみたいに触れ続ければじわじわと彼女の動きが鈍っていくのが分かってどうしようもない気持ちに支配されていく。



……暗くなきゃ顔が分かんのに、なんて。水族館の意外な欠点に直面しつつもこうやって焦らされるのも悪くないかなと一人喉を鳴らした。今の捺はどんな顔をしているのだろうか。どんな風に僕の手と触れ合っているのだろうか。想像しては弾けて消えるイメージがもどかしくて、でもそれがすきで、もう少しこのままでも良いなとその一瞬を僕は味わい続けた。






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夕暮れの中、二つの人影が真ん中で繋がって地面に投射されている。周りに歩く家族連れがベビーカーを押して顔を見合わせながら水族館の感想を言い合っている。近くのカップルは今すぐキスでもしそうなくらい顔が近いし、自然もそういう雰囲気が生まれる場所なんだなとしみじみ頷く。僕達では、先に口を開いたのは彼女だった。





「……楽しかったね」





そう告げる目を細めたその表情は柔らかい。ほんと?と聞き返した僕にホント。と答えた捺はその想いをどうにか伝えようとしたのか、僕と繋がったまま出てきてしまった左手にぎゅ、と力を込めてくる。それが苦しくなるくらいうれしくて、たまらなくて、僕は自分の右手の指を彼女の細い指に絡めてしまった。あ、と零れた声と赤くなった顔は夕陽のせいなのか、その答えを知っているのは僕と君の2人しかいない。次は他の水族館も行こうか、と調子良く言う僕にほんのちょっとの沈黙を挟んでから、そうだね、と笑った捺はきっと満更ではない筈だ。いや、そう信じたい。


本当は水族館だけじゃなくて動物園とかイルミネーションとかもっと色々行きたい場所もやりたい事も溜まりに溜まっているんだけど、それを伝えるのはまた今度にしようと声を呑み込んだ。彼女と歩く夕暮れを大事にしたいから。……今はただ、僕にとってこの瞬間が愛おしくて、これ以上ないくらい素晴らしい出来事だって事を、君はちゃんと理解しているのだろうか。そっと覗いた横顔の血色や恥ずかしそうで、でも嬉しそうにも見えるそれを単純な僕は君の本心だと受け取ってしまうけれど、それでも良いのだろうか。いやきっと深くは考えてないんだろうな。そんな漠然とした確信を抱きながらも、それでも良いとすら思える。だって僕は今、死んでも良いとすら思えるくらいにしあわせだ。








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