「大人2枚で」






そう言って爽やかに笑った五条くんを見て受付のお姉さんがぽかん、と彼を見上げているのに心底同意するように頷いた。一瞬仕事を忘れてしまったらしい彼女は慌てて手配を始めたけれど、やっぱり五条くんはカッコいいんだなぁとしみじみ実感してしまった。


……今日もきっかけはいつも通り突然だ。案外すぐに終わってしまった呪霊退治の後、彼に連れられるがままに訪れたのは結構名の知れた有名な水族館だった。初めは驚いたし一応建前上止めはしたけれど、妙に楽しそうな彼を阻止する事は難しく、敢えなくこうして二人で入場することになってしまった。かくいう私も水族館なんて子供の頃に家族と行ったきりだし、ほんの少しワクワクしているのも事実。軽やかな足取りでゲートを潜った彼はパンフレットを開きながら矢継ぎ早に話し始めたので思わず「楽しそうだね」と呟いてしまったが、彼は当然だという顔で「捺とデートだからね」なんて言い張るのでこっちが恥ずかしくなってしまった。こういうところが五条くんはずるい。





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色とりどりの魚がアーチ状になった水槽を器用に泳いでいくのをひたすら目で追いかけた。今はこんな面白い展示があるんだなぁと感心してしまうのは私が大人になった証なのかもしれない。でも、それでも大人でさえこんなに楽しく見れるならそれはそれで悪くない気さえもした。静かな音楽が流れる中、寄ってくる魚の口元をつついてくすりと笑う。ぱくぱくと口を動かし続けて何を考えているのか分からないこの顔がなんだか愛らしい。



「捺〜?」



と不意に伸びた声で私の名前を呼んだのはいつの間にか後ろを歩いていた五条くんで「楽しい?」と目を細めて問いかけて来た彼に素直に首を振って新鮮で面白いと伝えると、五条くんは安心したように息を吐き出して、良かった、と微笑んだ。良かった、という表現に少し引っかかりを覚えつつ、五条くんは?と尋ねると、彼はんー…と迷うような仕草をしてから「色んな意味で楽しいよ」と答えていた。その本意が全く読めなくて首を傾げた私に僕のことはいいの、と彼は次の展示ブースに誘導するように私の背中を押していく。なんだか腑に落ちないなぁ。




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五条くんの大きな手が明るい水槽の上に置かれて、その部分が影になって映し出される。そんな姿がすごく幻想的に思えて私は自然と眩しいものを見た時のように目蓋を細めた。元より色素の薄い彼は水族館という空間に誰よりも溶け込んでいるような気がする。作られた美しさではない、自然とそこに在り、それでいて他とは違う不思議な魅力を携える彼に平日で少ないながらも、近くを通る人通る人が目を奪われている気持ちが分かる。五条くんは綺麗だ。ここに立つと青白い彼がもっと透明で、尊いものに感じられる。そんなことを言うと五条くんは自信たっぷりに笑うか、それとも不思議そうな顔をするのか、どっちだろう。


水槽からの反射を取り入れて、いつも以上に青く深く煌めく瞳はこの水族館のどんな魚よりも価値のある物だと思いながら、私は一枚だけ、大水槽に映る優雅な彼のシルエットをデータとしてスマホの中に保存した。こんなにもきれいな人なのに、口から出る言葉が俗っぽく素直にジンベイザメに興奮する物ばかりなのもギャップを感じさせている。なんだか愛おしくて、つい薄く笑ってしまった私に不満そうに口を尖らせるのも凄く子供っぽい。ジンベイザメの"やばさ"を語る彼に微笑ましく頷いて、背伸びまでして水槽を食い入るように見つめるその"少年らしさ"にひっそりと日々の疲れが癒やされていくような気がした。これが五条くんセラピーというやつなのかもしれない。……硝子辺りは嫌そうな顔をしそうだけれど。







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太陽の光に被さるように大きなイルカと背筋が伸びたしなやかなお姉さんの体が宙を舞ったかと思うと、私の体は突如、隣に座っていた五条くんに思い切り抱き寄せられていた。突然の出来事に「うわっ!?」と可愛げのかけらもない声を上げ、ぽすりと五条くんの肩口に乗っかったまま彼を見上げた瞬間、けたたましい音を当てて飛び散った大粒の水滴が容赦なく客席に落ちていくのがスローモーションのように私の瞳に映った。





目の前に座っていた仲睦まじいカップルは組んでいた腕を離して絶句しているし、周りでも叫び声が響いている。私が今日着ているのは仕事終わりの黒いスーツ。これが濡れていたらと思うとクリーニング等々…………血の気が引く思いだ。幸いと言うべきか、自分達の事で精一杯な彼らは私たちの周りにつぅ、と、傘を伝うように水滴が流れる様子を誰も見ていない。くい、と眉毛を持ち上げてどうだ?と暗に伝えてくる彼に……ありがとう、五条くん。と何の曇りもない感謝の言葉を誠心誠意伝えると





「僕、便利でしょ?」





そう言って彼はクツクツ喉の奥を鳴らして面白そうに笑って見せた。いや冗談ではなく本当に便利で素晴らしい能力だと思います。一家に一台五条悟の時代だな、なんて戯ける姿に正にそうだ、と心から感じながら、私は周りの惨劇に何度も真剣に頷く事しか出来なかった。






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彼のこの動作が如何に本気かどうかを見極めるように見つめ、声を掛けたが、彼は「超本気。めっちゃ本気」といまいち本気度が微妙に伝わってこない表現で宣言し、あー、と大きく口を開いた。



五条くんが甘党なのは知っている。ついさっき買ったばかりのチョコレートのアイスクリームをペロリと食べ切ってしまったのも見ていた。……だからと言って、私のソフトクリームを一口あげるのはそれはもう"そういう事"になってしまうような気がしてならない。彼は渋る私にきゅるりと音が聞こえそうなくらい元々大きな瞳を丸めて強請り、結局私はそれに根負けしてしまうのだけれども。五条くんに向けるようにしてクリームを差し出すと丁寧な挨拶の後に白い歯を見せながらかぷり、と大きな口が満遍なく白を咥え去っていく。唇についたクリームを舌先で舐めとり、機嫌良さそうな顔をする彼と複雑な顔でそれ見下げる私。





「食べないの?」





少し意地悪そうに彼が尋ねた。完全に楽しんでいるな、と思いながらもそっと上書きするように冷たく甘い塊を口に入れ、それが口腔の熱に蕩けていくのを感じる。「可愛い」と揶揄うように呟く彼にばか、と抗議しながら、こんなの最近のカップルでも中々見ないよ、と訴える私に見せつけてやればいいじゃん、と調子良い彼はやっぱり悪いやつだと思う。








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近年よくネットニュースやテレビで見かける水族館でのクラゲの展示は、私も入場前にパンフレットを見た時から気になっていた。エスカレーターを降り、さらに深い位置にまで進むとただでさえ薄暗かった通路が最早光の全てを遮断するかのような闇に包まれる。そこで唯一の明かりとして存在する水槽には優雅に、無機質に、水晶玉のような芸術的なオブジェの中でふわふわと泳ぐクラゲが居た。



吸い寄せられるようにそれを見つめて、ブームの理由は永遠に見ていられそうな不思議なこの空気感にあるのかも知れないと感じた。……不意に隣に立つ彼の手が触れる。咄嗟に引こうとしたけれど、何故か五条くんの大きな手はそれを許さず、するりと私の掌をギュッと握り込んでしまった。弾かれるように彼を見上げたけれど、精巧に作られた人形みたいに綺麗に笑うだけでそれについて言及するつもりは全く感じられない。遊ばれてる、と本能的に感じ取り、できるだけ無関心を貫こうとしたけれど力が弱くなったり、強くなったり、挙句には指先で手の甲をくすぐったくなるくらいのペースでなぞられるのにどんどん集中力が削がれていく。恥ずかしくて、ドキドキして、こんなのクラゲどころじゃないのに指摘したら負けたような気がして痩せ我慢する。多分、五条くんにはそれがバレていると理解しつつも、少しくらいはそうやって反抗してみたくなるのは素直じゃないから、なのだろうか。ここが暗くてよかった、今の私の顔はきっと人に見せられたものじゃない。





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「……楽しかったね」






結局、私の口をついて出たこの数時間を総括した感想の言葉は前向きで素直な意味しか籠っていない。久しぶりの、しかも平日の水族館はちょっとした息抜きには最適で、程よく疲れるくらい歩けたり、視覚的な癒しを得られるのは中々良い趣味だと思った。ほんと?と探るような目で見つめてくる彼に本当だと頷いて、この気持ちをどうにか伝えようと未だ重なっている五条くんの手にそっと、力を込めるように握った。



私の合図に気付いた彼は少しだけ驚いてから一度ほんの数センチだけ繋がった手を離すと、器用に私の指と自身の指を絡めるようにして握り直した。あ、と頼りなさげに溢れた声とじわびわと上った熱を誤魔化すみたいに沈み始めた夕陽に目を向ける「次は他の水族館も行こうか」なんて自然と次のお誘いをしてくる彼にどう答えるべきか迷ったけれど、難しいことを考えずにそうだね、と柔らかく肯定することにした。彼は任務で遠くに行くことも多いし、私も何かと彼について行く機会に恵まれている。こう見えて仕事尽くめの彼が少しでも楽しめるならいいことだと思うし、何より私も五条くんと二人で過ごすのは嫌いじゃない、それどころか好きな方だと思う。




ふたつ分の影が長く伸びて私達の後ろをついて回った。今度もきっと、こうやって、でこぼこと身長差のある真ん中で繋がった影を見ることになるんだろうなと想像して、つい笑みが零れてしまった私に、どうしたのかと彼は問いかけたけれど、そんな想像をした自分が気恥ずかしくて誤魔化すみたいに首を横に振った。こんなの私が彼とのデートを楽しみにしているみたいじゃないか。……でも、今日みたいな日を世間でデートと呼ぶのであれば、それはそれで悪くはないなぁ、と思ってしまう辺り、私は随分彼に染められてしまっているらしい。








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