「ご、五条先生〜!!!」
「先生!やっと見つけた……」
「五条先生……閑夜さんが……」






聞き慣れた声と忙しない足音にゆっくりと振り返った。息を切らしながら此方に向かって高専の廊下を走ってくる一年生3人に微笑ましさを感じつつ、ひらりと手を振って笑いかけたが、どうやら彼等はそれどころではないらしい。一体何があったのか、と首を傾げたが、目の前に来るなり困り果てた表情で僕を見る野薔薇と悠仁、そして恵の腕に抱かれた……





「……ねこ?」




1匹の"猫"が居た。一瞬野良でも拾って来たのかと思ったが見た目はペットショップで見かけるくらい小綺麗で明らかに"雑種“という言葉で一括りには出来なさそうな雰囲気を感じる。何処かの家から逃げ出して来たのだろうか、と少し顔を寄せたが、そこに感じる気配と呪力に兎に角身に覚えがあり過ぎてマスクの中で数回瞬きをした。丸くてキラキラした目の奥に感じる助けを求めるような視線、猫なのに不思議と表情豊かに感じるその顔付き。にゃーん、とひと鳴きしてみせる頼りなさげな声に思い出したのは学生時代のとある任務での出来事だ。まさか、と自分の感じたままに「捺?」と呼び掛けて、パッと華やいで見えた猫の頬と、生徒達3人の反応に確信を得た。この猫は僕の同級生閑夜捺に違いないと。









する、する、と短めの毛並みに触れてゆっくりと彼女を撫でていく。彼女と呼ぶのが正しいのかは分からないが、どちらにせよ可愛らしいことには変わりない。3人の話だと今回の呪霊は車から降りた途端に襲ってきたみたいで、咄嗟に反応した彼女が術式を発動させ3人を離れた場所に送り出し、その場に残された捺だけが猫にされてしまったらしい。まぁ如何にも彼女らしい理由だと感心したが、自然と自分を犠牲にする性格は昔から抜け切ってはいないようだ。そこは今度改めてもう一度話さないとなぁ、と考えながら、僕が捺に呼びかけて腕を広げてやれば、露骨に安心したようにその猫は恵の手からこちらへと器用に飛び移ってきた。大方生徒に迷惑を掛けるのが彼女のポリシーに反していたのだろうけど、恵はなんだか少し複雑そうな顔をしていた。僕の隣に座った野薔薇と悠仁は感心したように捺さん大人しいな〜と呟いて、ぽやぽやと目を閉じ掛けている小動物を見つめている。





「猫になっても性格とかは捺さんのままなのかな?」
「そうだよ、意識もちゃんとしてるんじゃないかな」
「……なんで先生が猫になった時のことに詳しいのよ」
「昔僕も一度経験済みだから。ね、捺?」





額の辺りを指先で撫でて当時のことに関して話を振ると、猫はナァンと高い声で鳴いて返事をした。ほらね?と悠仁に目を向けると彼は素直に感動しているらしく「俺のことも分かりますか?」と楽しげに猫と視線を合わせている。捺猫は小さな鼻を悠仁の手の甲にぴたり、と寄せて体で応え、その仕草に野薔薇と悠仁が感嘆の声を漏らしていた。気ままな本物の猫とは違い、呼び掛けにも素直に意思を示したり、僕の手に擦り寄ってくるその仕草は非常に分かりやすい。人間の姿でもこれくらい甘えてくれたら万々歳なんだけどなぁ、と想像しつつ満足げに緩んだ猫を撫で回し続ける。まぁ、これはこれでアリだけど。……あぁ、そうだ、と思い出したように懐を探り、夜蛾学長に報告しに行った時に次いでに取ってきた"それ"を取り出した。リン、と手の中で鳴った音に恵が僕の方に目を向け、手に握られたものを視認した瞬間、ギョッと目を見開き、ちょっと、と慌てた様子で声を掛けてきた。





「何してるんですかアンタ……!?」
「え?猫っていえば首輪でしょ。鈴付きの」
「首輪ァ!?」





野薔薇と悠仁も恵と同じように驚いた顔をしてその場から多げさなくらいに飛び上がった。そんなに変だろうか、と首を傾けつつ捺の首元をくるりと覆うようにぐるりと巻きつける。苦しくないか確認するために指を入れて、ある程度のゆとりを持たせながら金具で止めてやると、猫はもぞもぞと体を動かして僕の膝の上で座って、じっとこちらを見上げてくる。本人は何が何だかあまり分かっていない様子だが、その造形と揺れる銀の鈴にマスコット的な雰囲気が高まって何とも味わい深い愛らしさが込み上げてきた。捺は可愛いねぇ、と思うままに伝えて、腰のあたりと頬を同時にするすると刺激してやれば心地いい良さそうなのを隠さずにとろり、と目元が落ち始める。僕に首輪を付けられて、それでも気持ちいいことに抗えない動物的な様子に何とも言えない気分がじくじくと押し上がってくるような気がして、思わず口角が弛緩した。背中に這わせた掌にふるりと体全体を震わせて、濁りのない瞳が細くなる。猫を通してそれ以上の何かを見るつもりは無いのだけれども、アリかもしれないと思うのは許されてもいいだろう。





「にゃ、」
「あ、」
「……先生には任せられません」





ヒョイ、と軽々と宙を浮く捺猫を抱き上げたのは恵だった。明らかに不審そうな視線で僕を見下ろしてから猫を撫で上げていくその手付きには慣れを感じさせる。影絵で作るのも動物が多いし、彼自身基本的に動物が好きなのだろう。熟知した撫で方に最初はおろおろと首を回していた捺はすぐに大人しくなり、自身の体を恵の服へと擦り付け始める。毛が付着することをものともしない恵は中々のテクニシャンらしく、猫はグルグル、と僕が触れた時では出さなかった低い声で喉を鳴らし始める。それが満足している時のものであることは過去の経験からもすぐに理解した。


一応当時の僕達と同じく、彼女には人間としての思考や感情は残っているらしいが、それ以上に猫としての本能には抗えないらしい。そうすることをわかっているかのように体をくねらせて「もっと」とアピールする姿は板に付いている。伏黒凄え!ちょっと私にも抱かせなさいよ!やいやい、と争い合う3人と1匹は教師としてはなんとも微笑ましい光景だ。捺も満更では無さそうだし、3人とも柔らかい顔で猫に触れている。呪術界にいると何かと感覚が狂いそうになることも多いが、こうやってたまに息を抜ける時間が存在するのは悪くない事だ。高専にもセラピードッグとかセラピーキャットみたいなのが必要なのかもしれないなぁ、と思いつつ膝に力を入れてゆっくりと立ち上がる。ぐいっと背伸びをして体全体を伸ばしながら足の関節を軽く振って、そして、






「……あ!?」
「あれ捺さんは!?」





にゃーん、都合よく鳴いた腕の中の小さな体にくすり、と微笑む。ごめんね無茶して、と撫でてやった僕は、その声を聞いて顔を上にあげて驚愕したように指差してくる可愛い可愛い生徒達にじゃあね、と手を振り、そのまま屋根の瓦の上を駆け出した。ああぁぁ!?と背後から悠仁のショックを受けた叫びが響くのを耳に入れながら大人気なく奪い取った彼女を抱えて適当な蔵の中へと転がり込む。高専の建物は日によって姿を変えることもあり、きっとそう簡単には見つからないだろう。見つかったところでまだ彼らに捕まるほど歳を取ってはいない筈だ。


薄暗い空間に幾つかの光の線が窓の外から差し込むその部屋の中には運が良いことに使われていないマットレスや布団が積み上げられており、これは好都合だと捺を抱えてごろり、と寝転がって体を預けた。少し埃っぽくもあるが、寝心地自体は申し分ないだろう。そうしてから抱きこんでいた捺を……というか猫を解放してやると、彼女は辺りを不思議そうに見つめてから僕の顔の前に腰を落として、にゃん、と何かを主張するように鳴いた。最強であっても流石に猫の声までは分からない。





「なぁに?」
「ニャーン」
「うーん……」
「……」
「一緒にお昼寝しよ、ダメ?」
「……ナーン」





とんとん、広げた自らの腕の上を指で誘うように触れる。おいで、と昔から皆がそうする根拠もない動物を呼ぶときの伝統的な仕草。実際これがどの程度本物の動物に理解されているのかは定かではないが、相手は猫であり、猫でない。僕の行動の意図はきっと理解出来るはずだ。ちらり、と顔を見て、ちらり、と腕に視線を向ける。それは昔から変わらない困ったときの彼女の癖で、どうすべきか揺れていることが手に取るように分かった。……僕の時も戻るまではある程度の時間が必要だった。結局足掻くよりも大人しくしている方が良かったろ?と真剣に猫に話しかける姿は何も知らない人が見たらきっと滑稽なものなんだろうな、と思いつつ根気強く呼び掛け続ける。






「……にゃん」





短い返事の声。……折れたのは彼女の方だった。器用に腕の中へと体を滑り込ませてこてんと倒れるように横になった小さな体にどうしようもなく口元が緩んでいく。あぁ、可愛い、そう思いながら潰さないように気を付けながら抱き込んでいつも以上に華奢になってしまったその塊にそっとキスを落とした。いくら癒されるような光景でも彼女を奪われるのは頂けない。外ではきっと僕達を3人が必死に探しているんだろうけど、何故か見つかる気はしない。理由は特に無いけれど、この瞬間は永遠にも近いような、そんな気分にさせられる。零れた光が僕の背中に降り注ぎ、黒が熱を吸収してゆっくりと全体へと伝導し始める。温かくて、眠くなって、薄らいで行く意識の中でもう一度彼女の体を優しく撫でてやった。ごろり、唸るように落ちた声が拒否を示さないことに安堵していつの間にか僕はそのまま眠りの中へと落ちていった。



結局、僕達が見つけられたのは空が夕方に差し掛かるように赤くなり始めた時間帯で、お互いで体を絡ませて眠るその姿と、人間の姿に戻った捺の首元にしっかりと付けられた首輪に多大な誤解を招き、夜蛾先生にめちゃくちゃ締められる事になるのを夢に微睡む僕は、この時はまだ知る由もなかった。






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