ゆら、ゆら、と伝わってくる振動が大きくて何とも言えない不快感が込み上げる。文句を言うように喉を鳴らすと、彼女はそれに申し訳なさそうに笑って、もうちょっとだけ我慢してねと伸びてきた指先を右腕で叩き落とした。あ、と声を挙げて何処か寂しそうに目を伏せた捺を見た両側の2人は俺が今彼女にしたみたいに腕を上げ、ぺちぺち、と毛むくじゃらのそれで俺に攻撃を仕掛けてくる。おいやめろ!と歯を見せると、当然だと言わん顔で鼻を鳴らして「唯一無事な彼女への態度とは思えないよ」「そうだそうだー」と抗議してきた。硝子はほぼ傑に乗ってるだけだろ、と不満を抱えつつ唸った声が、ナ〜と間抜けな音となって高専の校舎に響いていく。……そう、今俺たちは猫になっていた。






捺が抱えた3匹の猫にギョッとする夜蛾先生を視界に入れつつ、ついさっきの任務についてぼんやりと回想する。別に、難しい任務ではなかった。動物霊の一種で階級も低く、祓うのは一瞬で済んだのだが、そいつが消える直前に噴き出された煙のようなものに包まれた瞬間にはもう、全てが遅かった。咄嗟に捺を押し出して彼女だけは回避させたが、俺の無下限があっても防げなかった強力な呪いの正体は"猫の姿になる"というものだったのだ。咄嗟の選択にあの煙を選択出来なかったのが俺のミスだが、まさかこんな事になるとは夢にも思わなかった。近くに立っていた傑と硝子も被害を負ったらしく、するりとした触り心地の黒猫と、口元に斑がある灰色の猫へと既に小さく様変わりしている。かくいう俺の姿を確認するため、固まっている捺を置いて近くの水溜りを恐る恐る覗き込み、そこに映し出された毛量の多い白猫を見て絶句した。分かってはいたがやっぱり猫か……と吐いた溜息も鳴き声に還元されるのはどうにも気分が悪い。知能は落ちていないのが幸いだが、どちらにせよこのままではどうしようもない。困り果てたように3匹を見つめた捺は取り敢えず、といった様子で俺たちを同時に抱き上げると補助監督に連絡し、なんとか高専にまで戻ってきたわけだ。






「見る限り難しい術式では無いな。持って2時間くらいだろう」
「ならとりあえずは様子見って事ですかね……?」
「術者がすでに祓われているなら問題は無いだろう。捺、こいつらが戻るまで見ておいてくれるか?」
「それは構わないですが……」






俺たちの面倒を見る事に決まった捺は先生から隣の座敷の部屋を借り、障子を開く。腕の中から飛び出してさっさと駆け出していく俺たちに彼女は大丈夫かなぁ、と不安そうな声を漏らしながら中央にゆっくりと腰を下ろした。それを見て、にゃーん、とまさに猫らしく鳴いた傑は安心させるように座っている彼女の膝付近へと寄って行き。するり、と細い体を擦り付け始めた……って何やってんだアイツ!?



驚愕する俺を傍目に、硝子はと言えば堂々と捺の太ももの上あたりに飛び乗ると、そのまま目を閉じて丸くなっているし、なんなんだコイツらの順応性は。呆れるどころか一周回ってむしろ関心に近い感情を抱きつつも、俺があんなことをするのは明らかにキャラではないし、つーか、したくもない。どうすることもできずウロウロとその場を彷徨う俺は自由気ままという称号で我が物顔している馬鹿2匹を睨みつけた。お前ら人間的な知性を何処にやりやがった。硝子はそれでも我関せずという様子で転がり、彼女の右手を独り占めしており、寄り添う傑も額の辺りを指先ですりすりと摩られて猫ながらに蕩けた顔を浮かべる。そのどちらもが、俺をまるで挑発するかのように片目だけを開いてニヤついて見えるのはきっと気のせいではない。





「離れろ!心まで猫になる気かよ!!」
「っていっても私達今は猫だし?猫らしいことする方が自然だろ」
「硝子、悟は羨ましいんだよこう見えて」
「ああ、なる程」





ハァ!?と張り上げた声がシャーっと巷でよく聞く威嚇の声へと変化する。全身が毛羽立つような不思議な感覚に襲われつつ、んなわけあるか!と主張する俺の声を聞くつもりはないらしい。2匹はまた捺にアピールするように緩やかに尻尾を揺らし始める。一々俺に目を向けながら捺の掌に頭部を擦り付けたり、舐めたりを繰り返す灰色の猫。なぁんなぁんと鳴きながら「捺、ほら捺、」と呼び掛ける黒猫。あぁ、ムカつく……お前ら何楽しんでんだ、何満喫してんだ。ジト目で地面にいる黒猫に攻撃を仕掛けるも、それを見ている彼女には「五条くんはご機嫌斜めなのかな……」と微妙な反応をされるだけなのが実に虚しい。お前セクハラに近いなんかを受けてんぞ、気付け馬鹿。にゃーにゃーと煩い俺に傑は失礼だなぁと小さな肩を竦めて、悟が強情なだけだよ、とでも言いたげな反応をしている。



あのなぁ、と青筋を浮かべながら噛み付いてやろうかとも思ったが、それを察知したらしい黒猫は一際可愛らしく鳴いてみせると頭を持ち上げて捺を見つめる。それに気付いた彼女は膝の一匹をそのままに、なぁに?と小首を傾げていたが、やはり意思は伝わらないらしく、難しい表情で黒猫をひょい、と抱き上げたのだ。思っても見ない行動に目を開く俺を尻目に浮かんでいく傑は近くなった彼女の頬に鼻を擦り寄せてもう一度、にゃん、と短く鳴いた。くすぐったそうに目を細めて、どうしたの?わかんないなぁ、と言いながらも何処か楽しそうに見える捺は傑の頭を撫で続け、傑もまた鼻と顔を擦り付けるのをやめようとしない。仲睦まじい光景にも見えるが、あの黒猫の正体を知っている俺としては可愛さのカケラも感じられない最悪の状況でしかない。あれが人間だとしたら殆どキスしているようなもんじゃねぇか、アイツの危機感どうなってやがる。



じっと彼女と彼のやり取りを膝から見上げていた硝子は、狙いを定めるようにぴょんと近くのテーブルの上へと飛び乗った。かちゃ、と爪が触れる音がして、捺との視線が近くなった硝子はさっきの傑に倣うようにナーン、と長いトーンで鳴いて捺の名前を呼んだ。その行動に不思議そうにしながら一旦傑を畳の上に下ろした捺は四つん這いで硝子に近付いていく。ゆらり、と動いた黒いスカートになんとなく目が行って、慌てて顔を逸らしつつ、何となく嫌な予感を醸し出す硝子を止めるべくして俺もテーブルの上へと飛び乗った。猫の跳躍力というのは凄まじい。特に何の苦労もなく自分の倍以上の高さの位置まで行けてしまうのは中々不思議な感覚だった。





「今度は硝子かな、どうしたの?」
「うわ、なんで来たのアンタ」
「来るだろ!お前らさっきから捺に何する気だよ」
「猫らしくしてんのさ、ねぇ?」





同意を求めるように捺に声を掛けた硝子だが、当然ながらそれが彼女に届く気配はない。それでも構いはしないらしく、というか返事を求めるっつもりもなかった硝子は俺に「お前より私達の方がらしいだろ」とでも言わんばかりの視線を向けてくる。……大体猫になったからってそれに寄っていく意味もないだろ、と思った俺は少数派らしいが、この短時間でここまで慣れているお前らがおかしいという主張を曲げるつもりもない。フン、とそっぽを向いた俺に、こういう時に甘えとけばいいのに、と呆れた声の硝子に少しだけ耳をぴくん、と反応させてしまったのが悔しい。……俺は別に、そんなことするつもりはない。




「ナァン」
「ん?」
「ニャーニャー」
「うーん……分かんないかなぁ」




鳴き声としてでしか伝わらない俺たちの声に耳を傾けて笑う捺。動物が好きなのか、申し訳なさそうでいて、でも何処かしら楽しそうな表情や声色をこうして聞くのはどうにもむず痒い。普段より近くにある綺麗な瞳や美しい顔の輪郭にいつのまにか気を取られて見つめてしまっている自分自身に気付き舌打ちのような、文句に似た声を吐き出した。硝子は彼女の頬のあたりをチロリとざらついた舌で舐め、捺はそれに短い悲鳴を漏らす。ちゅ、ちゅ、と口付けるような行為に笑いながら、なになに?と必死に硝子の体を宥めるように撫で続ける手付きがあくまで柔らかい事にゆらり、と尻尾が無意識に動いた。



……あの手で、触れられたい。込み上げてきた自身の思考に、はっ、とした時には既に遅い。何を考えているんだ、と困惑しつつもこれが猫としての本能なのか、それとも俺の意思なのか判断付かないものだった。今まで捺に触れたい、と思うことはあってもその反対はあまり思うことがなかったのだが、これはどういうことだろうか。座っているだけでは如何にも居心地が悪くてテーブルの上を徘徊するようにクルクルと回る。いつの間にかテーブルの下にまで来ていた傑猫が「悟、」と俺に呼びかけた。





「素直になりなよ、こういう時くらい」
「……こういう時が特殊すぎんだろ」
「そうやって逸らさない。ね、ほら、一度やってもらいなよ」





捺の目には俺たちの会話はどう映るのだろうか。定かではないが俺と傑を交互に見ている辺り何かしらの音としては聞こえているのだろうな、とは思う。目を離した好きに彼女から離れていた硝子は俺の体を押すように体当たりにも似た行動を取り始め、ぐいぐいと捺の前にまで押し出されていく。いや、俺は、と逃げ出そうとするも傑まで上に昇ってきては押し出していくのを手伝い始めた。すっかり端へと追いやられた俺は何するんだと文句を言おうとした、が、それよりも先に足元が地面から遠のいて、同時に腕の付け根あたりに体重がかかるのを感じた。それは一瞬で、気付いた時にはもう、俺の体は柔らかなソレの上に乗せられていたのだ。





「ご、ごめん、危なく見えてつい……」
「……」
「嫌だった?」





する、する、と一定のリズムで撫でられる頭。首を通って摩られていくその感覚に俺の体が見事に固まる。温かい掌と温かい膝、の上……体験したことのない感覚に完全に頭の回転が止まったのを感じた。湧き上がるような心地良さと眠気にうっとりとした気怠さに支配されていく。気持ち、いい。うれしい。小刻みにされた感情に支配され、口から出たのはゴロゴロと喉奥で唸るようなそれだけで、負けたと言うべきか勝ったと言うべきか複雑な感覚に襲われた。ほら見たことか、と言わんばかりの2匹に見下ろされるのは腹立たしいがそれも気にならないくらいの穏やかに包まれていて最早それがどうでもいいとすら思える。






「五条くんの目は猫ちゃんになっても綺麗だね」
「……ナァン」
「当たり前だ……みたいな感じかなぁ」






……そこまで横柄じゃないぞ、と俺の言う声はきっと届いていないのだろう。まぁでも、こんな気分になれるなら案外猫も悪くはないかも、なんて、そう思った途端にボフン、と聞いたこともないような音と共に一等高くなった視界。あ、と耳に入った捺の声。感じた違和感にゆっくりと体の軸を回して、机の上で目を丸くして俺を見下げる人間姿の硝子と傑の顔が視界に映り気付く"あれ?俺戻ってね?"ぎ、ぎ、ぎ、とロボットのように顔を天井へと向けた。捉えたのは俺を見下ろす彼女と垂れ下がった髪の毛で、所謂膝枕というやつで、全てを理解した瞬間に俺は障子を蹴破るように部屋を飛び出していた。五条くん!?という驚愕した声を背中に受けながら当てもなくひたすら走り続け、熱を持った頭がクラクラと気分の悪さを助長する。何てタイミングだよこの野郎!!!!そんな気持ちを込めて意味もなく連続した「あ」を叫ぶその声はすっかり見知った人間の男の声だった。





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