「……あいつら遅くね?」
「ヤってんじゃない?」
「ハ?」
「冗談だって」
全く笑えない冗談をかまして来た同級生を睨みつつ、残り2人を帰り待つ。たまにこうやって誰かの部屋で飯を食う事があるけれど今回は見事にじゃんけんに負けた俺の部屋になった。部屋提供すんのは色々めんどくせぇし最悪な役回りに違いない。傑と硝子はまだしも捺に見せられないもんは取り敢えず閉まった筈だ。一応確認したほうがいいか?とキョロキョロ部屋の中を見渡したけど心配そうな物はない。傑に借りてた漫画と捺に似てないかと押し付けられたコンビニ雑誌はちゃんとさっきアイツの部屋に置いて来たし、昨日ゴミ箱のゴミは全部捨てた。流石に大丈夫だと思うけど……何で考えている俺の思考をピンポイントで読んだかのように「今更焦んなよ」と前に座る硝子が笑った。煩ェ、好きな女子部屋に呼ぶんだから焦るに決まってんだろと半ば開き直っていると、ガチャリ、とドアが開いてコートを着た2人が入って来た。
「2人共、待たせてごめんよ」
「おじゃまします……」
慣れたように足を踏み入れる傑とおずおずと頭を下げながらドアを閉めた捺の姿を視界に入れつつ、傑が持っていた袋を受け取ってその辺から引っ張ってきたテーブルの上に並べる。プラスチックの容器に入っているのは人数分にプラス2本した合計6本の恵方巻きと小分けになった福豆だった。俺より先に何で6?と尋ねた硝子に傑はマフラーを外しながら「俺ら男子高校生なんで」と俺に目を向け笑って見せる。そう、大体こういうの一本じゃ腹減ってしょうがないんだよな。よく分かってんじゃん、とつられて口角を上げて返しながら席を詰め、帰って来た2人が座るスペースを空けた結果、捺がテーブルを挟んで俺の前に座り、その横に硝子。俺の隣には傑……と、まぁいつもと特に変わらない位置に収束した。
「今年はどっちなの?」
「あ、さっき帰って来たときに夜蛾先生が山側って教えてくれたよ」
「何で知ってんだよあの人」
「さあ……私達のために調べてくれたんじゃないかな」
ふぅん、と返事しつつ取り敢えず一本手に取ってテーブルと反対方向に体を向ける。隣に座る傑と2本ある時ってどういうルール適応なの?と何となく問いかけたら「二兎追うものは一兎も得ずじゃない?」だとかクソ適当な事抜かされたので取り敢えず肘で小突いてから、俺達はほぼ一斉に食べ始めた。咀嚼音すらも聞こえない、シン、と静まり返った部屋。4人で揃っててこんなに静かなことなんてまぁ無いな、と思いつつ齧り付く巻き寿司は割と美味いし太くて食べ応えがある。結構いいの選んできたなアイツら、と思いつつもぐもぐと口を動かし、なんやかんや腹が減ってた影響でぺろりと一番に平らげてしまった。……これはこれでなんか暇だな。
隣の傑はまだ真剣に方角向いて食べてるし、邪魔しようとしたら普通に腹殴られかけたので途中でやめた。くるりと机の方を向き直って残りの2人を見たけれど、硝子は硝子で最早全ての法則を無視して恵方巻きをめちゃくちゃ食べやすい大きさにカットしていた。衝撃の光景にコイツいつの間に……!?と驚く俺を尻目に人差し指指を立てて「シーっ」みたいな仕草をしていたけど、お前のは最早喋らないとか関係ないだろ、とツッコみたくて仕方が無かった。せめて傑が食べ終われば……なんて考えつつ机に肘を付き、ふ、と硝子の隣を見た。
初めに視線を向けた紙皿の上には、硝子とは違い無惨にバラバラになった恵方巻きは置かれていなかったので、謎の安心感を得ながら捺の口元に目をやる。両手で必死に支えながら小さな唇で挟み込むように咥えられた恵方巻きはやはり捺には大きすぎたのだろうか。少し苦しそうに目を細めて眉間に皺を寄せる必死そうなその顔は初めて見るものだった。…………はず、なのに、何だろうかこの既視感は。その正体を探るようにマジマジと彼女の様子を観察し、頭の中にモヤモヤした感情を募らせていく。本当こう、つい最近見たような……?
表現しづらい感覚に襲われながら必死に自分の記憶を探っていく。そんなに昔じゃない、多分ここ数日……いや、昨日?いやいやそんな訳、と、真剣に捺を見つめていたけれど、不意に一度恵方巻きから口を離した彼女が片手で頬の横に垂れて来た横髪を耳に掛ける仕草を目にした瞬間、全てが脳内でリンクしていくのを感じた。それと同時に、あまりに自分が最悪なものを想像してたと理解し、物凄い罪悪感に襲われ始める。いや、そりゃ俺だって一応……捺のことは、好きだし。夜もそれなりに世話になってはいるけどこれはダメだろ、やべえだろ、妄想にしてもガチで嫌われるヤツだろ、と、必死に自分を抑制するも、これも男の性と言うべきか。自然と俺の目は主に彼女の肩から上あたりに固定されている。やめろ!見るな!という良心の呵責と今後絶対こんな機会はないんだから目に焼き付けろ!と叫ぶ俺が心臓のあたりを飛びまわっているような気がしてきた。無音だからこそ拾うことが出来る唇との隙間から漏れる小さな吐息、きゅっと寄せられた眉、具が溢れてこないように顎を動かすその仕草、どれを取っても俺の腰の辺りをジクジクと熱くさせている。
目を閉じて何度もかぶりついてはやっとのことで一口分噛み切った捺は少し上を向きながら口の中へと押し込んで、ごくり、と喉を動かした。ふ、と肩の力を抜いて息を吐き出す動作と、美味しそうに、満足そうに微笑んだ表情。そして改めて咥え直す瞬間のほんのり濡れた瞳で見上げるようにしてカプリ、と噛み付く"ソレ"にずきん、と痛む。何がとは言わないがめちゃくちゃ痛む。でもまた一生懸命に奉仕しようとする健気な捺がすげー可愛くて、エロくて、興奮…………と、そこまで思考が支配され、はた、と俺に向けられた視線に気づく。油が無くなったブリキみたいにギギギと首を90度回すと、信じられないものを見た、と言わんばかりに頬の筋肉が驚きに打たれ固まっている傑の顔があった。彼もまたいつの間にか恵方巻きを食べ終わっていたらしく、俺と俺の股間に交互に視線を向け、明らかに「ドン引き」と表情に浮かび上がっている。慌ててこれは違う、と弁明しようとした俺を遮るように、
「っ、美味しかったぁ……」
「ごちそうサマ〜」
なんて、女子2人が言葉を発し始める。ふにゃふにゃと幸せそうに笑う捺にまたこう、俺の意思とは関係なく反応する"俺"に鎮まれ!と上から手をやったが、傑はもっと最早軽蔑に近い眼差しを向けている。そして、否定するタイミングを完全に失った俺を一瞥してから立ち上がった彼は軽く片手を挙げるとにっこり、と貼り付けたような笑みでこう言い放った。
「折角だし、今から豆まきしようか」
悟が鬼で。と続けられた言葉にキョトンとする2人と、反論するに出来ない俺。手渡された紙のお面は恐らく恵方巻を買った店でついでに貰ったであろう簡素な代物だ。これで反省しろと言いたげな傑の目に負け、渋々それを受け取り、その後グラウンドに出てから割とガチな豆巻きバトルが展開され、最終的に罪滅ぼしも兼ねて捺からの豆を甘んじて受け入れたのはもう随分懐かしい出来事だ。
………ぼんやりとそんな馬鹿みたいな記憶を思い出したのは、実は、今日が節分だからっていうのと、今現在まさに!優しい僕が生徒たちのために買ってきた恵方巻の残りを、当時と殆ど同じ構図で彼女が頬張ろうとしているからである。食べ盛りの学生達はおやつ感覚なのか一本ずつパックから取り出してそれぞれが味の感想を平然と話しながら容赦なく噛み切って豪快に食していて、それはそれで面白かったのだけれども、こっちはそうはいかない。もしや、と思って堂々と捺の目の前を陣取って正解だった。何だか懐かしいね、と笑う彼女も昔を思い出しているらしく、柔らかい目で恵方巻を見つめているけれど、その愛しそうな視線と「懐かしい」なんて言葉選びに口角がニヤニヤと持ち上がる。何これ、当時の彼が忘れられなくて再会記念ご奉仕みたいなシチュエーション?
「美味しい?」
「ん、おいひ、」
「……そっかぁ」
周りにつられるように声を発した彼女にニコニコと笑顔を見せる。流石に僕も当時ほど飢えてはいないから勃ったりはしないけど相変わらず良い眺めではある。必死で可愛くて愛しいその姿は今でも褪せないものだ。ふ、と最後に残された一本に目を向ける。今彼女が食べているサイズより少し細身でちょっとリッチな鰻オンリー巻き。思い立つままにそれを手に取り「はい、あーん」と勢いで彼女の前に差し出せば、何度か瞬きして戸惑いながらも、はむ、と口だけで咥えてみせる。上目遣いに僕を見てよく分かっていない捺にちょっぴりゾクゾクして、いいねぇ、と声が弾んだ。
そうやって、ん、ん、と小さな声を漏らして頑張っている姿を堪能していた僕だったけど、突然背中に当時のアイツみたいな鋭い視線を感じた。ひょい、と少しだけ振り返ると、明らかに怒っている恵を筆頭にちょっと一歩退くように引いた悠仁、ゴミを見るような野薔薇……と中々個性豊かな反応を示している。あ、これヤバイな、と察した頃には時既に遅し。鰻巻きは野薔薇に回収され、ズルズルと悠仁と恵に引き摺られるように捺から引き剥がされた。「先生それは流石に……」と眉を下げる悠仁と「最低ですね」もう彼女に近付かないで下さいと接近禁止令を発動する恵。2人も好きな子ができたら僕の気持ちが分かるよ、と肩をポン、と叩いたけれど、それでは誤魔化せなかったらしい。眉を寄せてイラついた顔で影絵を作ろうとしたので悠仁に全力で止められていた。クツリと喉を鳴らして笑う僕を奥から不思議そうに見ている捺にひらひらと手を振ったけど、あんなヤツに振り返さなくていいと野薔薇に止められて彼女は困惑しているようだ。まぁ、こんな賑やかな節分も悪くないな、と思いつつ、袋から今度は僕が自主的に貰ってきた鬼の面を片手に「食後の運動に豆まき、しよっか」と皆を誘った。初めはめちゃくちゃテンションが低かった皆も僕に当てれた人には豪華賞品が!なんて条件をつければ途端に立ち上がり準備体操を始めている。僕達の頃よりよっぽど素直だな、と思いながら面から伸びる紐の部分に指を掛けてくるりと回した。そんな僕や生徒達を見て座っていた捺もゆっくりと目を細める。きっと彼女も同じ気持ちなんだろう。さぁ、一体誰がついて来れるかな?