私にとって、五条悟はもっとも身近な憧れであり、畏怖の念を抱くような存在だった。
彼は私達の中でも、いや、同年代の呪術師の中でもずば抜けて優秀だった。単純な呪力も近接戦闘のセンスすらも彼は常にトップレベルだ。高専には他にも素晴らしい呪術師が多数在籍していたけれど、年上の先輩方に全く劣らず……それどころか全くの追従を許さないほどに五条くんは常に前線を走り抜けていた。幸か不幸か、彼と同い年で同級生だった私は彼の強さをよくよく知っている。彼は歳を重ねるごとにその才覚を現し、卒業を控えた今、最強だなんて囁かれるようになっていた。彼も私も、まだ20歳になったばかりの子供なのに。キラキラとした笑顔を浮かべる彼にどんなプレッシャーがあるのか想像すら出来ないし、もしかしたらそんなもの感じる時期すらとうに過ぎてしまっているかもしれない。それでも、お節介だと分かっていても、私は彼のことをそれなりに心配していた。硝子に少しだけこの話をした時は散々呆れられてしまったし、お人好しだと鼻で笑われたのは、まだまだ記憶に新しい。
それもそのはず、私は彼に昔から物凄く嫌われているのだ。何がきっかけだったのか、何が彼の気分を損ねたのか未だに理由は分かっていないが、彼は酷くあからさまに私への態度は厳しかったと思う。それこそ硝子や彼の親友と比べると余計にそう感じてしまった。1年や2年の時は真剣にそれを悩んでいたけれど、今はそうやって悩む時間すら無くなるほどお互いに忙しくなってしまっていた。4年生の今、学生である私たちは既に呪術師として現場に駆り出されていたし、特に五条くんなんて、難しい任務には必ずと言っていいほど引っ張られていたと思う。少し前の彼なら嫌がっていた筈なのに、最近は二つ返事で赴いているのは多分、"何か"を忘れたかったんだと思う。だって、私もそうだったから。
「ごじょうくん、」
久しぶりに彼の名前を声に出して呼んだ時、あまりに緊張して少し声が震えた。振り返った彼は私の記憶の中よりも大人びた顔をしていて、またどうにも頭の奥がくらくらした。……捺?と驚いたように目を開いた彼は私を見て、何だよ、と至極まともに聞き返す。すらりと伸びた足と真っ白な髪、星を閉じ込めたみたいな青い瞳、そのどれをとっても完璧な彼はつい、目を細めてしまいそうなほど、眩しい。
「これ、いる?」
「……なに、コレ」
「……その、チョコレート」
「は?」
「バレンタインの、チョコレート」
バレンタイン、という単語に五条くんは少しだけ肩を揺らした。じっと穴が開きそうなほどに私の差し出したチョコを見つめた彼はきっと、今日が2月14日ということすらも忘れるほど忙しかったんだと思う。想像していたのと殆ど変わらない反応に少し苦笑いしつつ、どう?ともう一度尋ねると突然彼はバッ、と勢いよく私を見た。その大きな目で真剣に見られるとなんだか妙に心が騒ついて落ち着かなくて、少しだけ視線を左右させたけれど、五条くんは多分そういう態度は嫌いだろうから逃げ出したくなったのをグッと堪えた。
「……手作り?」
「う、うん……あの、変なものは入れてないけど、気になるなら適当に捨ててくれたら、いいから」
「あ?なんで捨てるんだよ」
「……ゴ、ゴメン……」
「……あ、いや、」
こわい。やっぱり、こわい。五条くんの身長で見下ろすように威圧されるのは何年経っても慣れない。私のそんな思いをすぐに察知した彼は少し肩の力を抜いてくれたけれど、苛立った様子なのは見ていて直ぐに分かるしなんだか申し訳ない気持ちになった。気を遣わせてしまう自分も、やっぱり嫌だった。五条くんはそれ以上何も言わなかったけれど、それはそれで私も居心地が悪くて、口から出たのは「任務頑張ってね」とかいう当たり障りのない応援で、でもそれに「……おう」と小さく返事を返してくれた五条くんのことが、やっぱりどうにも憎めずにいる私は、彼女の言うお人好しに分類されるのだろうか。も、もうすぐ卒業だね、と更に普通の話題を提供した私に眉を盛大に顰めた五条くんの顔を見ると物凄い罪悪感が湧き上がる。彼にとって嫌な話題だったのかもしれない。五条くんは何か言いたげに口を開いたけれど、溢れたのは舌打ちだけで直ぐに踵を返してしまう。彼の歩く先には補助監督さんが回してくれた車があって、本当にタイミング悪い時に渡してしまったんだなぁと後悔する。ごめんね、五条くん、と音にならない謝罪を大きな背中に投げかけて、私もまた次の任務に備えるために寮へと足を向ける。その瞬間にはもう、一瞬見た五条くんの酷く苦くてもどかしそうな表情のことなんて、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。