「"抱くまで出られない部屋"ァ ……?」
「……なんだろう、これ……」
捺の不可解そうな声が部屋に響く中、無造作に置かれた紙に書かれた文字にドクリ、と心臓が嫌な音を立てたのが分かる。ほぼ正方形の無機質な部屋には無駄に大きなベッドと小さなテーブル、幾つかの箪笥のようなものが置かれていた。……当たり前だが、俺も捺も知らない場所だ。そもそも俺達はついさっきまで任務に出ていた筈だった。大したことのない二級呪霊を祓う代わり映えのしないソレは何の苦労もなく終わりを告げて、お互い怪我も無ければ、話すことも無く、本当に何もかも面白味にかけていた。……それが、どうだ?気付けば突然こんな意味の分からない部屋に投げ出され、挙げ句の果てに"出られない"とご丁寧に注意喚起されている。そんな事を訴えかけつつも堂々と設置された扉のノブを下げたり、そのまま押し引きしてもやはり、というべきか固く閉ざされたままそれが動く気配は無かった。
ちらり、と隣に立つ彼女に目を向ける。うーん……と唸りながら今にも破り捨てられそうな安物の紙を眺めている捺は難しい顔をしていた。空間捕縛系の誰かの術式?だとかなんとか呟きながら真剣な表情を浮かべているが、あまり焦った様子は見られない。それを眺めていると、どうにも、なんでこんな時は肝が据わっているのか小一時間問い詰めてやりたい気持ちになった。だってそうだろ、可笑しいだろ色々、そもそもよりによってなんで"抱くまで出られない"んだよ……!!
思わずぎゅっと拳を握り込んだ。かなりの力が篭ったそこには俺の言葉にできない思いがぎっしりと詰め込まれている。だって、そうだろ。俺はこれでも捺の事が好きなのだ。所謂友人としてでは無い。恋愛だとかそう言う方向性の"スキ"をいつの間にか抱えてしまっている俺にとってこの状況は全くもって嬉しく無いどころか最悪だった。いや、抱くってナニ?と自問自答しているが何度考えてもあの必要以上にデケェベッドに押し倒してヤれって事だろ!?としか思えない。もしこれが呪詛師の悪質な罠だとして「一人になるまで殺し合え」なら、まだ目的が分かりやすく安心できる。いやまぁ、これはこれで困るのは困るけど明らかに高専の敵側の犯行だと断定できるし、精神的にも肉体的にも生徒である俺達には大打撃!そりゃ向こうもハッピーだろう。こっちだって思惑に乗らないようにどうにか対策を考える方向へと思考を切り替える事が出来るし、まあ、結果的にやりやすい。
……となれば尚更「抱くまで出られない」ってどういうことだよ。いや、可笑しいだろどう考えても。なんで抱くまで出られない事にしてしまったんだよお前らは、と見えない敵らしき存在に心の中でツッコミを入れた。社会的死を与えたいだとかそういう事なのか?にしても周りくどすぎるというか……メリットが全く見えてこない。寧ろ俺にしかメリットが無いとも言える。身内の仕業か?とも思ったけど俺達はまだ高専に戻っても無かったし、たとえアイツらだとしても捺にとってこんなにヘビーな条件を付けるとは考え難い……というか、まぁ、あり得ないだろう。
考えれば考えるほど薄気味悪い状態だ。正体も分からない誰かが俺と捺がセックスするのを見たいとでも言うのだろうか。そんなもん俺だって見たいわ。つーかシたいわ。俺でも膝を曲げずに横になれそうなおあつらえ向きな大きさのベッドはやっぱそういうことなのか?さっさとヤれって天の導き的な何か?なんて、悶々とした思いが募りに募っていく。ぺたぺたとドアを触って確認している彼女の小さな背中を見つめるうちに、あー……と意識せずとも声が漏れて頭の奥の方が熱を持ち始めた。あのほっそい腰を思い切り引っ掴んでやりたい、隙ばっかの首筋に噛み付いてやりたい、脚を開かせて恥ずかしそうな顔するのをずっと眺めていたい、俺ので善がる捺を、見たい。一体どんな顔をするんだろうか、どんな声で啼くんだろうか、どんな風に俺を呼ぶんだろうか。妄想なら腐るほどやった。頭の中で数え切れないくらい犯した。最低だって分かってても止められるものじゃなかった。
こんな部屋、俺が本気で呪力を込めればきっと壊せないものでは無いだろう。なのにそれに素直に頷くことが出来ない自分は酷い男だ。分かっていても、惜しいと思ってしまう。そう、これはチャンスなんじゃないかと。実際はチャンスでもなんでもなくて、俺だけが満足する行為に過ぎなくて、彼女の意思や感情はどこにも反映されていないとしても、それ以上に渦巻く欲望に思考が溺れていく。……抱きたい。捺を、抱きたい。益々煩くなっていく自分の拍動が彼女にも伝わってしまいそうな気がした。
「…くん、五条くん!」
「ッ、は」
「五条くん!大丈夫……?」
いつの間にか俺の前には捺が立っていた。心配そうに此方を見上げて顔を覗き込む仕草からは純粋な俺へと気遣いだけが感じられる。頭に登っていた血液がゆっくりと心臓に還るのを感じて、籠っていた熱が逃げていくのが分かった。ふ、と力の抜けた掌には一気に汗が噴き出して制服の端で咄嗟に拭い取る。冷えた頭が先程までの考えを、ダメだろ、それは、と否定した。俺の感情もそれに追従したように誰にという訳でもなく首を縦に振る。……ダメに決まっている。俺のことをなんとも思ってない捺を無理やり抱くなんて、あり得ない。自分がそう考えることが出来た事に酷く安心した。まだ、俺は間違っていない。……考え事してた。とだけ口にして、問題ないことを伝えると捺は一瞬困ったように顔を歪めたが、一応は納得したらしい。ドアを調べても開きそうになかったと申し訳なさそうに眉を下げる彼女に「そこ退け」と言い放った。
「でも……」
「いいから。お前、ベッドにでも入っとけ」
「五条くん、何を、」
「扉ぶっ飛ばす。どうなるか分かんねぇし離れとけって言ってんだよ」
俺の言葉に目を丸くした捺はすぐに首を何度も横に振った。私だけ隠れるなんて……!と声を挙げるその顔は真剣そのもので、いつもは柔らかい色を秘めた瞳が強い意志によって鈍く、激しく輝いているのが分かった。もっと何か言ってやろうかとも思ったけれど、捺がこういう時に意地でも動かないと俺は知っている。どれだけ厳しい言葉でも跳ね除けるような態度でも、歯を食いしばって立ち上がる根性があることを、知っている。盛大に舌打ちした。そして、絶対に動かないと燃える彼女の肩を勢いよく自分に引き寄せた。何処まで成功するのか、これを壊そうとした時何が起こるのかは本当に分からない。でも、捺を傷付けることだけは許さない。無下限を彼女の周りにも張り巡らせながら意識を集中させた。護ってみせる、こういう時に結果が出せない術式なんて何の価値もない。驚いていた彼女もまた自身の術式を発動させ俺たち2人の立つ床に影を広げた。何かあればそのまま飛び込む算段なのだろう。捺らしい考えだな、と少しだけ口角を持ちあげてから腕を構えた。これで全てを、決める。
「……離れんなよ、捺」
「……!うん、絶対離れない!!」
彼女のハッキリとした声で宣言されたそれと同時に捺は俺の体に腕を回した。応えるように俺も捺を体を抱く腕に力を込めた。そして一点に呪力を集め……ようとした。"チン"と気の抜けるチープな音が部屋に木霊して、つい、気が抜ける。揃って見上げたドアの上には安物みたいなポップ体で「おめでとう!」と書かれていた。まさか、と思ってカッコ付けて作っていた指を解いてノブに腕を伸ばせばあまりに軽く、あまりに簡単に扉が開いていく。外から入り込んできた風で俺と捺の髪がふわりと浮き上がった。「……涼しい、ね」「……夕方だしな」彼女がたっぷりの沈黙の後に呟いた言葉と俺の返事は夏の夕暮れの中に消えていく。これが何だったのか、誰のせいだったのか、どのくらいの時間が経ったのか、色々と疑問は尽きないが、一番に俺が思ったのは間違いなく"抱くってこれでいいのかよ"……に違いなかった。
「その……早くこうすれば良かったね」
「……結果論だろ」
ほんのつい先程まで、如何に犯すか考えていた相手がフォローも込めて曖昧に笑いかけてくるのをまともに見れるほど俺は図太くない。襲い来る罪悪感を吐き出すように深い深い溜息が出た。……男子高校生に下手な夢を見させるなよ、そう責任転嫁しないと精神をまともに保てる気がしない。その後、俺たちがそこから一歩出た瞬間に消え去った扉が何なのかは未だに分からないがハッキリとしているのは俺がどうしようもない馬鹿だって事だけだった。