ガヤガヤとした喧騒の中、猪が描かれた大きな絵馬の近くでマフラーに顔を埋めながらゆっくりと小さな紙切れを開いていく。ほんの少しの緊張感。隣に立つ硝子の「中吉かぁ」という声を耳にしながら目に飛び込んできた文字に息を飲む。たった一文字。噂では聞いていたけれど"初めて"見たそれに思わず私は固まった。







「うわっ、凶」






ひょこり、と隣から覗いた硝子がハッキリと読み上げたことでその文字が現実味を増してくる。今までほぼ毎年おみくじを引いてきたけれど凶なんて私が引いたことも愚か、友人や家族内でも見たことが無かったのであまりのインパクトに唖然としてしまった。お正月のおみくじに凶や大凶は入っていないなんて噂を聞いたことがあったけれどあれは真っ赤な嘘らしい。あまりの不吉な兆候にプルプルと震える手で書かれている文章に目を通すけれど、分かってはいたがロクな内容が無くてどんどん気が滅入ってきた。商いはまだそんなに私には関係ないだろうけど、待人も来なければ、失物も見つからない。学問はそんなに悪くはないみたいだけど……願事は今年は叶わないとまで言い切られている。硝子もほぼ同じペースで私の結果を見ていたらしく、散々だねとまで言われてしまった。






「あ、でも恋愛運は悪くないじゃん」
「"この人より他に無し"?……って言われてもなぁ」






残念ながら私にはおみくじが言うような"この人"は思い当たらない。それとも今年に出会う誰かを指しているのだろうか。どちらにせよこの結果が対して自分の得にならない事だけは確かだ。うーん、と睨めっこしているうちに段々と露出している指先が寒さでチリチリと痛み始めて思わず息を吐き出した。1月の冷たさに白い蒸気が空に昇るのをぼんやり見つめていると、その先に立つ夏油くんの姿が目に入る。彼もまたおみくじを買い終えたらしい。私達を見つけた彼はふ、と口元を緩めると砂利を踏み締めながらこちらに近付いてきた。






「何だか浮かない顔だね」
「私は中吉、で、こっちが……」
「凶……」
「え、凶?」






初めて見た、と物珍しそうな夏油くんの反応に若干切ない気持ちを抱えつつ私も、と同意しながら「夏油くんは?」と尋ねると、ん?と少し小首を抱えつつ自身のおみくじを広げてくれた。そこに書かれているのは「末吉」の文字で、私もあまり良く無かったんだ、とくすくす笑った。それをじっ、と見つめた硝子は、でも捺よりよっぽど結果いいよと追い討ちを掛けてくるので胸が痛い。実際夏油くんのおみくじに書かれている内容は末吉と思えないほど前向きな内容が多い。





「"転機が訪れる"とか願事は叶うとか……」
「夏油くん凄い良いこと書いてるよ……」
「でも末吉だからね」





所詮は、と苦笑する彼が明らかに私に気を使っているのが分かる。そうだね……と一応肯定したけれど2人が顔を見合わせて肩を落としたのを見る限り信用はされていないらしい。夏油くんはうーん……と視線を彷徨わせてから、あ、と一言呟いて「捺、あっち行こうか」と誘った。彼の視線の方向には何人かの参拝客が集まっている。その手に握られた私達と同じ紙と、何段にも分かれて張られた紐に羽のように無数に絡みついているそれらを見て夏油くんが何をしようとしてるのか悟り、私は数回、力強く頷いた。












……のが、少し前のことだ。夏油くんと硝子もついさっきまで隣に居たはずなのに私が結ぶ場所を探している間にすっかり姿を消していた。ものすごく人気の神社って訳でもないのにこうも忽然と見失ってしまうなんて、と頭を抱える。昨日もそうだけど何だか最近気が抜けてしまっているのだろうか、迷子ばかりでこれじゃ子供みたいだ。かと言ってこれを結ぶ前にここから離れてしまってもどうしようもないので取り敢えず良い場所を探さなくてはいけない。既に数え切れない程の私と同じ、あまり良くない結果のおみくじが連なっているけれど、なにせ私の持つ結果は"凶"なのだ。

この二年呪術師として学んできたからだろうか?凶が持つ負のパワーを移してしまう気がして、何だか他の物と並べるのは申し訳なかった。この紙自体に力は無かったとしても、人の伝承や想いが集まりやすい場所だからこそ気を付けたい、と思ってしまう。だからまだ数が少ない、出来るだけこれからも人目につかなさそうなところに結んでおきたかったんだけれども……これが結構、難しい。一応少し外れた場所を見つけたけれど、それでもやっぱりそれなりの量のおみくじが結ばれていた。横に伸びている紐を見る限りやっぱり一番上は高い位置で結び辛いらしく、数えられるくらいの枚数しか付けられていない。狙うならここかなぁ、と数分格闘してはいるけれどプルプルと震えるふくらはぎと時間が経過するにつれて重くなる両腕に中々苦戦している。なるほど、確かにここは女性一人だと難しいかもしれない。でも……と恨めしく思いながら紐を睨みつけ、自分の身長を呪う。次でダメなら諦めよう、絶対諦めよう、だから最後にもう一度、ともう何度目かになる台詞を心の中で唱えつつ、私はぐっと気合を入れて両腕を高く持ち上げた。








「何してんの?」
「っ、え、」







突如、背後から掛けられた声に思わず振り返る。それと同時に出来るだけ小さく折り畳んだ"凶"が私より二回りほど大きな手に抜き取られていった。シンプルな黒コートに冬らしい真っ白な髪と肌が眩しいくらいに映える左腕にベビーカステラの袋を抱えた彼は、光を反射して輝く青い瞳をゆっくりと吟味するように動かして、ふーん、と一言呟いた。いつの間にか私の背後に立っていたその人……五条くんはふ、と馬鹿にするように口角を持ち上げて「お前、ほんとついてないな」と笑った。それに返す言葉もなくて……そうだね、と薄く笑みを作ったが、彼はわかりやすく額に皺を寄せる。何でこんな変なとこ来てんの?と辺りを見ながら疑問を投げかけてきた彼に一瞬、本当のことを伝えるべきか迷った。正直しょうもない理由だと思うし、言ったところで散々馬鹿にされるのがオチだろう。口籠った私に五条くんは益々嫌そうな表情を浮かべると、何迷ってんだよ、と見透かしたような口調で吐き捨てる。……馬鹿にされるのも分かっているけれど、彼がこういうハッキリしないことを嫌がることも、私は知っている。そして、どちらが彼の機嫌を損ねないかも分かっている。こうなればヤケだ!と「凶のパワーを他のおみくじに移してしまいそうだった」ことを伝えれば、五条くんは目を開いて、はぁ?と本気で理解出来なさそうな顔をした。




「そんなこと気にしてんの?お前、」
「いや、その……何となく……」
「……そもそも結ぶのは悪い運気を此処に留めとくのが目的だろ」





移した方が良いだろ、寧ろ。と呟く彼の言葉は正論だった。確かにそういう意味なら私一人が気にしても何も変わらないのかも知れない。でも、もしこれで何か悪いことが起こってしまったら?いつかあたった任務でこれが何かの原因となっていたら?そう考えると、どうにも中々引く気にもなれなかった。五条くんはそんな私を酷く呆れた表情で見つめると深く息を吐き出しながらゴソゴソとコートのポケットを弄った。そこから出てきたのは少し端が折れている私のと同じ種類の紙切れだ。彼はその紙を一度ある程度広げてから、先程私の手から奪った"凶"を重ねて、くるくると包み込んでしまった。驚いて声を漏らす私に我関せずといった様子で彼は素早く重なった二枚をそのまま細長く折り畳み、少しの背伸びもせずに先ほどまで私がずっと格闘していた一番上の一番端に、あっ、という間に括り付けてしまったのだ。






「ハイ、終わり。……傑んとこ戻るぞ」
「……え?ちょ、っと待って……!」
「何?」
「今何して、」






結んだ。と端的に答えた彼にそれはそうだけど!と思わず反論してしまった私は多分何も悪くないと思う。だって、あんなの初めて見たし、聞いたこともない。何もかもに理解が追いつかなくて、どういうことだと問い詰めた私に彼は「俺ので包んで結んだ」と一言でそれを表現してしまう。それは、そうなんだけれども……と言い淀む私に五条くんは面倒臭そうに口を開いた。





「……俺の方が結果が良かった。それで包んだらお前の言うアホみたいな呪いパワーが漏出しないだろ」





多分。と締め括られた彼の言葉に……そうなの?と目を丸くした私にお前が言い出した理論だろ、と手をひらひらさせる彼は自分は何も知らない、と物凄く無責任な態度だったけれど、今の私にはただただ驚くしかできない。だって、そんな考え方、少しも思いつかなかった。確かに負の力を出来るだけ遠ざけるより、その力自体を断ち切ったり、減らす方が何倍も現実的に感じる。まぁどれもこれも私の想像と空論でしか無いけれど、……つい、少し前を歩く五条くんにどうしても気になることがあり「五条くんは結果、何だったの?」と投げかけると、彼は淡々とした声色でたった一言、そう発した。








「大吉」







たった四文字。それだけで五条くんは、自分の行為に物凄く大きな説得力を持たせた。最早もう私が何か言うのも野暮だ、とすら感じた。……おみくじの結果すら彼らしいなんてことあるんだなぁ、としみじみ頷いた私が思わず「良かったの?」と尋ねると、彼は突然その場に立ち止まりこちらを振り返った。五条くんは今日見た中で一番苦くて、一番何か言いたげな顔をしたけれど、すぐに紙袋から取り出したカステラを思い切り私の口の中にぐりぐり押し込み、鼻を鳴らしてまたスタスタと歩いて行ってしまった。彼の足の向く方向には夏油くんと硝子が立っていてそれぞれ片手にフランクフルトや焼き鳥と言った思い思いの食べ物を持っていて随分初詣を満喫している様子が見て取れる。不思議と温かい気持ちが広がったのは二人と合流できたからなのか、それとも彼のおかげなのか、何方にせよ案外今年も良い年になりそうだ、なんて、そんな期待を胸に抱きながら私もみんなの元に走っていった。……また、高専への帰り道で夏油くんが不意に私に「悟、恋愛運だけはダメだったらしいよ」と顰めた声で言ったけれど、私がただ首を傾げるだけだったのは言うまでもない。








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