私が彼の訃報を聞いたのは、12月24日の夜から25日へと変わろうとするような、そんな時間だった。






東京と京都それぞれに放たれた呪霊千体を祓う為、当時の私は京都高専の生徒を現場に送り届けて学長の指示のもと共に戦いに参加していた。上から報告を受けた内容は、東京高専に突如として現れた"呪詛師"夏油傑が乙骨憂太と接触。その後東京と京都で「百鬼夜行」と名付けられた大規模な鏖殺を宣言し、それを重く見た夜蛾正道が呪術師として総力戦に臨む意向を示した、という内容だった。……夏油傑、彼は元東京高専で呪術師を志していた生徒であり、とある事件から呪術規定9条に基づいて処刑対象とされていた……私の、友達だ。


楽巌寺学長からその話を聞いた時、私が思ったのは「どうして、出てきてしまったんだろうか」それだけだった。彼は約10年近く呪術界では指名手配されている。呪術師皆がずっと捕まえられずに手を焼いていた死刑囚だった。なのに、どうして今になって?勿論彼が人間を大勢殺したのは事実だ。でも、だからといって私が彼と過ごした学生時代は無かったことにはならないし、温和で優しくて、怒ると少し大変で、面倒見の良い彼を知らなかった事には出来なかった。出来れば私は彼を殺したくなかった、彼に死んで欲しくなかった。それはきっと、硝子や五条くんも同じだと思う。


京都の街を走りながら影から影へと移っていく。他の呪術師や学生のフォローをしながらクリスマスの夜が過ぎて行くのを感じる。じわじわと下がっていく気温に体力が奪われる中、憎いくらいに綺麗な夜空が私たちを見下ろしている。分かってはいたが、京都に彼は居なかった。特級に分類される彼を祓えるのはきっと、親友である彼しかいないのだろう。それが分かっているからこそ苦しかった。確信はない、でも、そんな予感がしていた。


不意に、地面に足を取られた。体が傾いてつんのめり、慌てて反対の足を前に思い切り踏み出す。なんとか転ばずには済んだけれど一体何が、と視線を落とすと、愛用していたブーツのラバーがべろりと不格好に外れていた。それが目に入った瞬間、頭の中へと流れ出した数年前の彼との記憶。












今日の任務は本当に大変だった。元々の予定では二級呪霊だけだったはずなのに、その取り巻きのように他の呪霊も湧いてきてずっと動きっぱなしだった気がする。夏油くんと2人だったのがまだ救いだったけれど、その分たくさん迷惑を掛けてしまった。彼はフォロー上手だし優しいから私のミスに怒ったりなんてしなかったけれど、それはそれで胸の奥が騒つく。2人で任務に出る時は何かと五条くんと一緒のことが多かったから、彼の柔らかさにはなんだか申し訳なさを感じてしまった。ある意味ハッキリダメだったところを指摘してくれる五条くんとの方が気兼ねないのかも知れない……いや、やっぱりそれはないかも、めちゃくちゃ緊張しちゃうし……


ずるずると重い体を引きずりながら夏油くんの一歩後ろを歩く。彼の肩のあたりの服が少し切れて赤くなった肌が覗いているのを見て眉を寄せた。お互いに怪我もしたし、単純な疲労も溜まっている。早く高専に返って硝子に手当てを頼まないと……まずは夏油くんの傷を、



「っわ!?」
「おっ、と、」



考え事をしていたのがダメだったのか、突然何かに躓いた私はあろう事か怪我をしている彼の背中に思い切りぶつかった。必死に謝りながら咄嗟に離れて問題の地面を見ると、最近下ろしたはずの靴の底があまりに無残な状態で外れてしまっていて、思わず言葉を失う。私と同じように目線を落とした夏油くんはきょとん、とした顔をしてからそれを見つめるとゆっくりとその場に蹲み込んで「ちょっとごめんね」と軽く私の足首を支えた。王子様みたいな仕草にぎょっとして足を引きそうになったけれど、あまりに真剣に確認している夏油くんにぎゅっ、と口を噤まざるを得ない。彼は暫くそうして見ていたけれどゆっくり首を横に振って、ダメそうだね、と苦笑した。




「ううん……でも、どうしようかな…」
「足を悪くするから脱いだ方がいいとは思うけど……」




でもどうにも出来ないから、と曖昧に笑い返した私が気にしないでと声をかけて迷惑を掛けないように歩き出そうとしたのを夏油くんはそっと腕を取って制すると、蹲み込んだまま、その広い背中を私に向けた。まさか、と呟いた私にどうぞ、と何処か楽しげに言った彼の笑顔の圧に結局断り切れずに乗せられてしまったのは強く印象に残っている。自分もキツい筈なのに「捺は今日頑張ってたからね」と穏やかに褒めてくれる彼の声色が心地良くて、気恥ずかしくてどうしようもなくて縮こまる私に彼はもっと可笑しそうに微笑むのだ。案外彼は意地悪かもしれない、と改めて感じたのはこの日からで、私は艶のある綺麗な長い髪をただ恨めしく見つめていたのだ。












気付けば辺りは静かになっていた。全員に通達されたのは「夏油傑の処刑が五条悟によって決行されたこと」そして「最悪の呪詛師夏油傑は無事に粛清されたこと」だ。なんだか現実味が無くてその場に座り込み、外れかけていたラバーを力を入れて無理やり剥がしとって投げ捨てた。嫌な予感は当たるものだな、と自嘲して空を見上げる。今日は天気が良かった。細かな雲がなくてよく見える星々が私を見下ろしている。きっと東京で同じ景色を見ているであろう彼に想いを馳せて息を吐き出した。ごめんなさい、そんな役目をあなたに負わせてしまって。ごめんなさい、あなたの辛さに気付けなくて。





彼もいつか、空の輝きの一つに生まれ変わるのだろうか、親友の手によって生涯を閉じた貴方は、天国へと昇れるのだろうか。きっと彼がここにいたら私たちは地獄以外あり得ないだろう、なんて口角を上げながら言いそうだなと思って膝を抱えた。虚しいものだ。彼はもう、ここには居ないのに。


せめて迎えた終わりが穏やかなものであればいい、と願って口から溢れた白い煙のような吐息は魂が飛んで行くみたいだった。五条くんの手によって終わった夏油くんの酷く短く、線香花火みたいな燈は、穏やかに地面に落下して、色を無くしたんだろう。その場にも居合わせることができない無力な私は溢れた涙を次世代の少年少女たちに見せないように無理やり拭うことしか出来なかった。……夏油くんは酷い人だ。私に、五条くんや、硝子に、こうして毎年クリスマスに貴方を思い出させるであろう強烈な記憶を植え付けるなんて、ほんとうに、ひどいひとだ。







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