備え付けられているテレビが20:02を示していた。女性リポーターがマイクを片手に必死に渋谷の現状を語る画面の中には血まみれの男性や、露出度の高い猫のような格好をしている人も居て中々混沌とした絵面を映し出している。そんなふざけた格好で真面目にインタビューを受ける若者を見るに、既に付近では大混乱が予想されるだろう。ある程度のところで車を止める方が渋滞なんかに引っ掛からないで済みそうだ、と考えて、信号で止まった時に助手席の彼へと目を向けた。





「……五条くん。あの調子だと道が混むと思うから、」
「手前で下ろすって?了解、何処でもいいよ」





サラリ、とその申し出を許可した彼に小さく頷きながらすぐに視線をフロントガラスへと戻す。普段とは違う重苦しい沈黙が落ちる車内には四方から圧迫感のある息苦しさと、ピンと張られた弦が目の前に置かれているかのような緊張感の二つの側面を持ち合わせている。今日、ハロウィンの渋谷で起こっている異様な事件は去年の百鬼夜行のようなきっと後世にも伝わるような事件になるのではないか、そんな予感を肌に感じて身震いした。湧き出しそうな不安をグッと堪え、強くハンドルを握る。頭の中で思い返されるのはついさっき伝達された、今手の空いている術師やそれに関わる人間全体を召集する呼び掛けについてだ。


"五条悟を連れてこい"と叫ぶ若者達が渋谷のスクランブル交差点に突如現れた帳によって捕らえられているという窓からの報告。呪力を持たない一般人が五条悟という名前を知る筈もなく、それが最近多発していた特級呪霊と呪詛師による犯行だと断定した上は、今私の隣に座っている彼1人にその場を任せることを決定した。……ただでさえ少なく稀少な術師をこれ以上減らさない為に。勿論上はそこまでハッキリと断言した訳ではないので、あくまで私の勘でしかないが恐らく大きくは違わない筈だ。確かに術師は貴重な存在である。分母も少なければ様々な理由による離職率も高く、シビアな仕事。それでも対する呪霊という存在が減っているという確証も結果も出ておらず、そもそも呪霊の原理を見るに、今の人類の生き方では"呪い"を根絶することは現実的ではない。それでも私たちが諦めてしまえば瞬く間に呪霊による被害が増え、人間の世が壊滅しかねない、そんなギリギリのバランスで今の世界がある。……いたちごっこなのだ。







『五条悟を早く連れてこいよ!』
『何処にいんだよ五条悟!』
『早く助けてよ!五条さ……』






煩わしさに手を伸ばしかけた私より早く、五条くんの指がモニターの電源を落とす。くつ、と喉の奥を鳴らしながら私に目を向けて「そんな顔しないの」と笑い掛けた。こんな時でも、あんな状態で自分を待つ人間が大勢いても尚、余裕を保つ事が出来るからこそ彼は最強なんだろうと身につまされて素直にごめん、と謝罪した。呪術師を支える側の私達が冷静さを欠いては世話がない。反省の念を込めてアクセルを踏み、可能な限り心地良い運転を心掛ける。せめて、私が今出来るコンディションの整え方くらいはキチンとしておきたかった。





「今の渋谷付近の状況は?」
「……東急百貨店の東横で一般人だけを閉じ込める帳が降りてる。直径で言えば1キロくらいを覆ってる」
「一般人ねぇ……で、みんな僕を呼んでるってワケ?人気者は辛いね」
「周りには一級術師を軸にした班が3つ配備されてて……皆五条くんの動きを待ってる」





術師に好かれても面白くない、と鼻から息を軽く吐き出した彼からは軽薄なオーラは感じられない。彼のどうすべきかの最適解を考える静かな空気感を側で感じるのは学生の時以来な気がする。今回の事件の主犯は恐らく交流会を襲った特級や七海くん達が出会ったツギハキの呪霊で間違いはない。……アイツらには知性がある。一般人を人質にして五条くんを誘い込む作戦自体はチープな物だが、その安っぽさが嫌な想像を掻き立てた。数回に渡る会敵で向こうも彼の強さを理解している筈なのだ。何の対策もしていない、なんて馬鹿な真似はしないだろう。だからこそ今回の事件の狙いは大方、五条くん本人だと考えられる。


……上がそれをどう捉えているのかは定かではない。私程度の末端ですら思い付くような考えに至らないとは思えないし、どちらかと言えば彼の強さを信じている、という事だろうか。確かに他の術師ではあの特級達とやり合うのは難しいのが現実だが、にしてもやっぱり彼への負担が大き過ぎる。これは日々の任務でも言えることだが、昨今では五条くんでしか対応出来ない案件が多すぎるのだ。報告書やデータとして纏める仕事をしている補助監督としては数値としてもそれを感じている。ここ数年で明らかに昔より強い呪いが増えていた。特級と呼ばれる呪霊が年に何度も現れる中、呪術界での特級は彼を含めてほんの一握り。実質、フットワークが軽く高専との繋がりが深い彼がそれに充てがわれることが殆どで、休みと呼べる休みなんて五条くんには中々存在しないのだ。



友人として、その現状をどうにかしたいとは思っている。それでも案件によってはどうにも出来ない事の方が多い。結局は五条くんの負担となり、彼だけで片付けられてしまう。今の日本の呪術界は五条悟という1人の人間の犠牲の元に成り立っている。……その事を憂うたびに私はいつも思うのだ。五条くんは今の世界において、有名な文豪が書いた「蜘蛛の糸」のような存在だと。小説と違う点で言えば彼は蜘蛛の糸のような細く断ち切れそうな人間ではない、ということぐらいなもので、一縷千金である現状は何ら創作と変わりはしない。虎杖くんが臨死した時に教えてもらった、五条くんが教育に携わろうとしたキッカケの話をぼんやりと思い出しながらすっかり夜が落ちた道路を走り抜ける。東京の街並みはこんな時でも煌びやかで、美しい。





「今回、捺は何処に配置されてるの?」
「夜蛾先生と一緒に硝子が控えてる場所で待機予定かな……電波も届かないみたいだから私の術式を使って怪我人の情報共有と運搬をすることになると思う」
「……そっか」





五条くんは何処か安心したように息を吐き、グッと背中を伸ばしてみせる。窓の外に見える景色は徐々に渋谷へと近付いていた。備え付けられているデジタル時計は18という数字を光らせている。適当な駐車場を探して街中でタイヤを動かしながら、街灯に灯った光や、店先に置かれたジャック・オ・ランタンに複雑な心境が滲んでいく。ここ数年のビッグイベントにもなっている渋谷での仮装したハロウィンの日を狙って来るあたり、呪霊側は人が多く集まる日程を把握していた、という事だろう。現代の世情を理解した呪詛師が味方に付いている可能性が高いというのは向こうにとって相当なアドバンテージだ。古来より伝わる概念から生まれる事が多い呪霊は人の言葉を理解できても風習までは分からないことが多く、それを理として戦うのも大事な戦法になるのだが……今回は恐らく、一筋縄ではいかない。どんな呪詛師が居るのかはまだ情報として入手出来ていないが、出来れば確認はしたい。きっと今日がどうにかなったとしても、それで終わりにはならないだろう。今後何年も争い続ける事になるかもしれない。ならばやはり相手を知る、という作業は重要になる。……向こうが五条くんを知っているように、情報とは大きな武器なのだ。



幸いにも今は夜だ。秋の暮れということもあり陽が落ちるのが早く、影も多い。建物が多い東京ではその分影も広くなり、この術式を活かすには最適な場所だろう。それを踏まえて夜蛾先生も硝子の近くに私を置いたんだと思う。影に溶けて移動する、というのは私の専売特許であり他の術師に邪魔される可能性は極めて低い。負傷した人々を運ぶ最中に狙われては元も子もないので、こういう時に私の陰影操術は真価を発揮する。呪力を切らさない限りは他の影も操れるので同時に複数の人々を移動させる事もできるだろう。情報伝達でいえば影は話す事ができないので応用は難しいが、私がその分動いて現場の術師に伝えに行けばいいだけなので特に問題はない。外敵から侵入されない場所を介して移動できる、と言うのは私の術式の中でもかなりのウェイトを占めている重要な点である。……硝子がこんな前線に待機させられることも久しぶりだ。その分呪術界としても今回の事件を重く見ている、という事が伝わってきた。それは五条くんへの信頼が薄くなるほどに相手を評価しているのか、それとも相手を"知っている"のか。一介の補助監督にはそれ以上は計りかねる。





「"特例"は?」
「……今は、出てない。でも、」
「場合によっちゃ申請するつもり、ね」





彼の声を聞きながら空いた白線の中に黒い車をバックさせて、丁寧に、細やかに駐車させていく。いつもよりも繊細な自分の運転は、無意識に彼を行かせたくないと思っているような、そんな気にもなった。……胸騒ぎがする。渋谷の一角なのに妙に静かな空間が、星も見えない濃い雲が、何か意思を持っているような気さえする。悪意を持った空気が横たわり、私達に何かを期待をするような、嫌な感覚。自然と自らの首元へと手を伸ばして、確かにそこに提げられているチェーンに指の腹が触れた。人肌で温められ、金属らしさを失った紐を引き上げて、一番下に位置している星をぎゅ、と握り込む。高専から連絡が来て直ぐに家を飛び出したけれど、特に今日は何となく、彼の御守りだけはこうして身に付けておきたかった。


止まった車の中で刻一刻と時間が過ぎていく。室内灯の光が徐々に霞んでゆき、次第に小さく閉鎖された車内がまた暗闇に包まれた。五条くんは、動かない。私はどうしても彼に、降りないのか、と促す事が出来なかった。ドアに手を伸ばそうとするたびに心地の悪い動悸が胸の奥を支配していく。我儘でしかない、そんな自覚があるのに五条くんをどうしても送り出したいと思えなかった。ふ、と目を閉じて思い出されるのは昨日の晴れやかな青空と、その下で手を取って歩いた高専の風景。懐かしさばかりが込み上げて、少しだけ学生時代に戻れたあの瞬間。こんな感情何処かに捨ててきてしまったと思っていたのに、人間は簡単にそんな事はできないのだと悟った。私は、五条くんを行かせたくない。理由なんてない、ただの直感だ。でも、どうしても、この扉を開けたくなかった。





「……捺、」
「ごめんなさい、私……」
「後ろ、いこっか?」
「……へ?」





にっこりと、私の思いを見抜くような微笑みだった。驚きの声を漏らした私を尻目に彼はシートベルトを外すと大きな体を精一杯屈めて後部座席へと移動した。イテ、と軽くぶつけた頭を押さえつつも転がるように何とかそこに座った五条くんは隣をポン、と叩いて「おいで」と私を呼び掛ける。何をするのか、何をされるのか全く検討はつかない。でも、それでも私は、いつの間にか彼に倣うようにボタンを押して導かれるままに五条くんの元へと体を動かしていた。不安定な足場で支えるように腕を出してくれた彼に掴まりながら直ぐ側へと腰掛けた私は、改めて五条くんと向き合う。さて、と仕切り直すように呟いた彼はアイマスク越しに私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。





「……今から少しの間、僕も捺もただの自分になってみない?」
「ただの、じぶん?」
「そう。しがらみとか、仕事とか……しなきゃいけない事をちょっとだけ忘れて、2人で話そうよ」





どう?と持ち掛けた彼の言葉を拒む理由が私には無かった。静かに首を縦に振り肯定してみせた私に五条くんは良かった、と柔らかな声で目を細める。シートに背中をべっとり付けて凝り固まった筋肉を伸ばした彼は、あー……と唸りながら「行きたくねぇ〜」と愚痴を零す。……行きたくないの?と瞬きしながら思わず問いかけた私にそりゃそうでしょ、と返す彼からは宣言通り先程までの緊迫感だけがスコン、と抜け落ちてしまったように感じる。まだ戸惑いのある私と比べて、こうやって器用に切り替えられるところもまた、五条くんが最強である理由の一つなんだろうな、としみじみと感じさせる。




「何で、嫌なの?」
「そりゃ呪霊と戦うよりはこのまま捺と2人でドライブしてるほうがいいじゃん」
「ドライブって……」
「知らない土地まで車走らせてさ、目的も無く遠くまで行くのってなんか青春って感じじゃない?」




青春、と評された彼のプランは凄く甘美なものだった。楽しそうに話す声に釣られるように持ち上がった私の口角が、……いいかもね、と穏やかな返事を言葉として紡いで、五条くんもまたそうでしょ?と得意そうに笑った。明るい調子で息を吐き出した彼はそのまま捺は?と私の顔を覗くように問いかける。私が今、全てのしがらみを放り出せる立場ならば何をするだろうか。何処に行こうとするのだろうか。思案するように少しだけ視線を持ち上げて何も見えないただの天井を眺めたけれど、当然視界に映し出されるものは灰色で味気ない車内の景色でしかない。





「……結構難しいね」
「そう?」
「仕事の事を忘れようとしても……やっぱり直ぐに現場に行かないとだめって気もするし、そこに居る人たちを助けなきゃとも思うけど、」
「……うん」
「でも……五条くんに、いってほしくない」





暗い車内が前の道路を走っていく車のライトに時折照らされて一瞬明るくなっては直ぐに光を失う。遠くで聞こえるクラクションの音がぼんやりと人気の少ない街に反響して、耳の中が揺れるような感触を覚えた。ぎゅ、と膝に乗せた自分の掌に力を込めたけど、五条くんの大きな手に包むように上からギュッと握られる。顔を上げた私の目の前で、彼がもう片方の腕でアイマスクを下げると持ち上げられていた髪がふわり、と元の場所に戻り、宇宙を秘めた瞳と視線が交わった。どうして?と続きを引き出そうとする優しい声と、蒼い目に唇が小さく震える。もっと強く指先を中に入れて拳を作りながら「怖い、」と吐き出された不安は呪術師には不要な感情だ。





「五条くんに何かあったらと思うと不安で、どうしようもなくなる……」
「……」
「五条くんのことはちゃんと信じてるし、そんなのあり得ないって思ってるのに、こわくて……仕方ないの」
「……捺」





五条くんは名前を呼んだ。覆う手から伝わる力を少し強めて、それから私の体を自らに引き寄せるように、ぎゅ、っと抱き締めた。布ズレの音ともに彼の胸元あたりに頬と左耳が当てられて、淡々と一定のリズムを刻む拍動と確かな体温に五条くんの存在を強く感じる。今、私の隣で彼が生きている、そこに彼がいる、そう実感しただけで息が詰まりそうだった。五条くんは、暖かかった。だいじょうぶ、平仮名みたいな柔らかさで彼は言う。小さい子をあやすみたいな声色で、大丈夫、大丈夫、と五条くんは私を落ち着かせた。





「心配してくれてたんだね」
「うん……」
「……教えてくれてありがとう。僕も捺の事めちゃくちゃ心配だよ」
「う、ん」
「でも、ちゃんとネックレスまで付けてくれちゃって、ちょっと安心した」





一応魔除けらしいし?と言いながらクスリと笑う五条くんは凄く自然体だった。優しく私の頭から背中にかけてを撫でながら偉い、と褒める彼に「……子供じゃないよ」とほんの少しだけ反抗すると、知ってるよ、なんて、もっと面白そうに笑われてしまう。こんな状況なのに、あとほんの少しもしたら戦いに身を投じるはずなのに、五条くんはやっぱり楽しそうだった。そんな疑問を感じ取ったのか、寄せる腕の力を緩めた彼はじっと私の顔を見て、うん、と何処か晴れやかにひとつ頷いた。





「夜蛾先生も分かってるなぁ」
「……先生が?」
「そ。僕に気合を出させるならこれしかないって思ったんだろうね」




そう言いながらも彼は私の顔に掛かった髪を指先でそっと退けて、綺麗な微笑みを浮かべている。まぁそうじゃなくてもやる事はやるけど、と、五条くんは少しずつエンジンをかけて行くかのように瞳に宿る光を増やして行く。あつく、燃えるような意志が込められたそこから、私は目が離せなかった。確かに彼の言う通り、私を送迎に任命したのは夜蛾先生だった。上も詳しく人員配置に首を突っ込む訳でもないから誰からも異論は無かったけれど、よくよく考えれば不思議な話だ。五条くんは蒼を使えばある程度の距離は一人ですぐに移動できるし、現場に急ぐ目的だけならば、車を使う理由も無い。なのに何故、五条くんもまた何も言わず助手席に乗り込んだのだろうか。瞬間的に過った違和感の答えはすぐに彼の口からシンプルに導き出される。





「こうやって捺の顔見てからだと頑張らなきゃって思うもん」
「五条くん……」
「俺が護りたいもの、護らなきゃいけないもの……ちゃんと大切にしないとね」





勿論可愛い生徒達も、と付け加えられた彼の後腐れのないからりとした言い分は、素直に私の胸の奥へと溶け込んでいく。……彼の言う通りだ。私は私なりに、私が護りたいものを護るために立ち上がらないといけない。その為にはこんな所で立ち往生していてはいけない。消えかけていた蝋燭の火が彼の体によって風から遮られて、そしてまた点火されたような高揚感が背中に駆け巡った。……弱気になってはいけない、気持ちで負けては始まらない。大丈夫。今日も私は、やれる。その為にも五条くんはこうして時間を作り出してくれたんだと思う。するり、と彼の腕から抜け出した。彼に慰めてもらう時間はこれで終わり、後は私が自分で動かなくてはならない。五条くんへの感謝の気持ちを込めて私は自らドアノブに手を……






「あ、ちょっとタンマ!!!」
「っ、え!?」





ぐいっ、と勢いよく手首が引かれて、私の体は五条くんの腕の中へとあまりにも簡単に引き戻されて行く。決意に満ちていた思考が線路から脱線してしまい、目を白黒させて困惑する私に、彼は慌てて謝りながらも大事な事なんだ、とかなり真剣な様子で此方を見据える。整った顔立ちに向けられる真っ直ぐな視線はどうにも居心地が悪かったけれど、なに?と改めて私は五条くんに問いかけた。





「……キス、したい」
「……え?」
「そしたら俺、めちゃくちゃ頑張れるから」





ね?と小首を傾げつつ告げられた"大事な事"に頭が追いつかない。でも私がそれ以上反応するより先に五条くんの綺麗な目が、口が、近付いてくる。いつの間にか回された腕にガッチリと体が固定され逃さないとでも言いたげな彼の吐息が肌に触れる。びくりと跳ねた肩に少しだけ彼は口角を持ち上げた。バクバクと煩いくらいに心臓が跳ねて、苦しくて、頭の中が五条くんでいっぱいになって、そして……







「……んむッ」
「……だ、だめ」






……彼の唇は、私の手の甲に触れた。咄嗟に自分と彼との間に手を挟んで壁を作るようにして阻止した私に彼の眉がぎゅ、と不満そうに中心に寄って行くのが分かる。そっと離れて行く顔が明らかに"なんで"と訴えてきているのを感じて胃が痛くなった。別に、私も嫌ではなかったのだけれども、でも……言い淀む私に五条くんはしたく無かったのか、と非難の目を向けているが、私だって考えなしというわけではない。隙あらば2回目を狙う彼をどうにか押し返して狭い車内の中で出来るだけ距離を取ってから、私は小指を立てた左手を彼の前に突き出した。





「やくそく、して欲しいなって思って……」
「約束?」
「キスはその……い、嫌じゃないけど!」
「……うん」
「……生きて、帰ってきてからね、って……」





だめかな……?とそっと五条くんの様子を伺うように私は彼を見上げる。五条くんは瞼を大きく押し広げて瞳を丸くし、暫くそのままぽかんと固まっていたけれど、すぐさま自分の腕を持ち上げて私のより長い小指を綺麗に絡める。喉がそっと上下するのが見えて少し恥ずかしく思いつつも2人で指切りを行い、確かな約束を交わした。そっと、名残惜しそうに離れて行く指先と、融けて流れそうな青。それでも彼は何処か満足そうに「……絶対約束だからな」といつもより少しトーンを落とした声で囁く。そして、フライングをするみたいに私の額にちゅ、と可愛らしい音を立てて口付けをしてから車を降り、堂々と地面に足を付けた。一瞬固まった私が慌てて後を追うように外に出た頃にはもう、五条くんはひらりと腕を振っていた。






「……いってきます」






街明かりを背後に不敵に笑う彼は、私の、いってらっしゃい、の一言を聞いてから弾かれるようにして飛び立った。びりり、と彼の目のようなブルーの呪力が辺りに衝突して、一拍遅れた衝撃波が私の髪を持ち上げる。もうとっくに見えなくなった五条くんの去った空を見つめてから、パチン、と両頬を自分で叩いて運転席に乗り込んだ。思い切りシートベルトを引っ張って肩から腰に掛けて道を作り、しっかりとハンドルを握り直す。向かうのは先生と硝子が控えている3号線の料金所。私は今からただの閑夜捺から、補助監督の閑夜捺になる。絶対に彼は帰ってくる、そう信じながら窓を開け、風を切るのを感じながらアクセルを踏み込んだ。




2人の約束



prev | next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -