ゑいごうの誓い






「人間の婚儀の装いも悪くはないではないか」





クツリ、と面白そうに喉を鳴らした彼は逞しく生えた腕の内二本を使って私を抱き寄せる。節と筋肉が浮き上がった"ソレ"は私の頭なんて、果汁溢れる果実のように軽々と潰してしまえるのだろう。けれどそうはせず、豪胆ながら柔らかく肌に触れる彼の手付きが好きだった。こんなに上等な着物を纏った経験がなくて緊張していたけれど、宿儺様がくだらない嘘を付くような人ではない事を理解している。……もっとも、彼は人ではないのだけれど。



「伝統的な白無垢です、お気に召しましたか?」
「あぁ、精巧で美しく……お前らしい」
「そんな……身に余る光栄です」
「ちと布が多く脱がせ難いのが玉に瑕だがな」



黒真珠のような爪先で、唯一露出した私の首元に指を這わせた彼の動作にふるり、と小さく肩を震わせる。喉仏の上を通る私の物と比べ物にならないくらい太く、大きな親指の圧迫感に息が詰まり、一層笑みを深めた彼は喉の小さな峠を越えていく。少し歪んでぼやけた視界に彼を捉え、それを見た宿儺様が私を宥め、甘やかすように頸を撫でたのに小さく声を漏らした。俺が恐ろしいか?と楽しげに投げかけられた質問に首を横に振り、思わず、分かっているでしょうに、と呟くと、彼は機嫌良さげに「あぁ」と切長の瞳を爬虫類のように細めていた。私が生まれ育ったこの小さな村を守り抜こうと戦ってくれた宿儺様。ここではまさに英雄と呼ぶのに違いないが、今回敵対したかの大国ではきっと、伝承のように数百年以上彼の姿が恐ろしく描かれるに違いない。腕と瞳が四つある異形の怪物"両面宿儺"と囃され始める日もそう遠くないだろう。





「……いつかの未来、貴方様はどんな存在として後世に伝えられるんでしょうか」
「さてな、人間の考えることは分からん。大方虐殺と暴虐の限りを尽くしたとでも描かれるだろうよ」





画一されてもつまらんな、と鼻を鳴らした彼の興味を失ったかのような視線が虚しく見えた。豊穣をもたらす鬼神であった"両面宿儺"がいつから、そして何処から、残忍で残酷な生き物だと描かれるのか純粋な興味に近しい感情と言葉にできない寂しさを感じる。彼はこんなにも暖かいのに。


そう考えるほど堪らなくなって、宿儺様の掌を強く握った。私より一回りも二回りも大きな手は決して全てを救う神の手では無いが、全てを奪うための物でもない。現に私は、私達は彼に救われた過去を持っている。朝廷の元に下らないのであれば全ての交易を止めるどころか村を焼き払うと言い出した軍に怯え、藁にも縋るような想いで私達は土地神に身を捧げた。正確に言えば"私が"米握りを持った贄となり、代々伝わってきた妖怪とされる両面宿儺を呼び出す儀式を行ったのだが……どうやらそれは成功したらしい。大欠伸をしながら目覚めた彼に差し出した艶やかな握り飯を面倒そうな顔で口の中に放り込んだ宿儺様は途端に瞳を揺らし、大きく瞼を見開いたのだ。幸運な事に彼は随分な美食家だったらしい。山からの湧き水で作った米や野菜を酷く美味そうに食していた姿が忘れられない。それ以来私は毎日堂に入り、米や作物を献上し続けた。私達は彼を信仰するだけで見返りを求めることはしなかったが、宿儺様は朝廷の人間が攻め入った時、村の入り口にて軍勢と対峙し、全てを退けてしまったのだ。驚きと感謝の念を伝えた私に「お前の飯が食えなくなるのは面白くない」とたったそれだけ言って自らの堂へと帰って行ったのだ。


……その日以来。彼はこの辺りの土地神として村からは崇められ、朝廷からは正に"妖怪である"と呼ばれるようになった。噂では宿儺避けの呪いまで生み出されたらしいが、それを伝えると彼は腹を抱えて笑い、それだけで俺を退けられたら苦労はないだろう、と機嫌良さげに話していた。




「見れば見るほど……馬子にも衣装ですね」
「俺はそうは思わん。よく似合っている、誇れ」




彼との出会いを思い出し、ふと自らの服装に視線を落とす。家に伝わる白無垢は確かに美しく透き通り此処の山水を思わせる仕上がりだが、私が着てはその真価が発揮されない。苦く笑った私に宿儺様は堂々とした口調でそう言うと顔の前に下がった白布の隙間から手を滑らせ、私の頬を数回撫でた。柔な触れ方に目を細めた私に「俺が選んだモノに文句を付ける気なのか?」と彼は口角を持ち上げる。そんな筈ない、そんな事するわけない。それでも不安に駆られる自分が少しばかり憎い「三日三晩お前の顔を見て飯が食いたい」と告げられた言葉を偽りだとは思わないが、彼と夫婦(めおと)になる自分を想像できずにいる。宿儺様は私の肌に触れながら続けた。





「いつかこの身が呪いに堕ちるなら、人間達は伝記でもなんでも残せばいい。呪いなのだから記憶に残れば残るほど力を増す」
「……宿儺さま」
「どんな書物を読んでも名前が刻まれているほど、深く、凶悪に。……そして、お前は生まれ変わっても尚"両面宿儺'"の名を目にし、また俺を求めればいい」





彼の声に思わず打ち覆いを持ち上げた私は、ただ真っ直ぐな瞳を向けてくる宿儺様と視線を交えた。血のように赤い虹彩が愉快そうに湾曲し、いいのか?と喉を鳴らす。彼が言いたい事が何なのかよくよく分かっていたけれど、私は目を逸らさなかった。





「"妖怪"に顔を見られては一生付き纏われるらしいが?」
「……その為に、見せたのです」
「……良い覚悟だ」





いつかお互いの身が朽ちた時、それでもまた巡り会えるように。隔てるような白布を取り払い私と彼は額を合わせて目を閉じた。その時確かに、私は幸せだった。妖怪と噂される存在と生涯を誓い合い、繋がりを感じたことが嬉しかった。何処かの、いつかの世で、また彼に会える。そう信じて。……そんな言葉で締め括られた誰かの伝記の最後のページを捲り、ふ、と息を吐き出した。高専の貯蔵庫に資料を取りに来た筈なのに、差し込んだ夕陽にちょうど照らされるように床に転がっていた古書を導かれるように読み耽ってしまっていた。本物、なのだろうか。真偽は定かではないが……かなり年季を感じるし、何より綴られた文は全て当たり前かもしれないが手書きなのだ。




「……宿儺、さま」




ふ、と無意識に呟いた言葉の響きに脳が震える。初めてそんな呼び方をしたのに、どういう訳か馴染みが良い気がしてならない。文字として書かれているだけなのに、あの日見たという赤い瞳が鮮明に想像できる。不思議な感覚だった。まるで自分が自分ではないような、そんな、





「閑夜?」
「っ、いたどり、くん、」





突如背後から私の名前を呼んだ彼に息が止まる。違う、彼は今、ただの虎杖悠仁だ。どったの?と首を傾げる彼の目は、宿儺のものではない。何でもないよ、と慌てて誤魔化してから適当に押し込んだ古文書。彼の隣を歩きながら寮に帰る間もその事が頭から離れなかった。見上げたそこにある彼の顔は間違いなく虎杖くんである事に、少し残念な気がするのは何故だろう。落ち着かない感情を抱えた私はその日眠りに落ちる寸前に「やっと見つけた」と茹だるような執念が込められた声を聞いた、気がした。







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