犬も歩けば棒に当たる




「あ、」






先にそう零したのはどちらだったか。いや、きっと私の方だ。ぽつぽつ、と肌に当たる感覚はものの数秒で勢いを増し、厚い雲が覆う空がワッ、と堰を切ったように泣き始める。やばい、と俗っぽい声を零し、避難場所を探すために首を回そうとしたけれど、それより先に男の子らしい掌が私の手首を捕まえた。しゃけ、と独特の単語を呟いた彼はそのままぐんぐんと地面を蹴る速度を上げていく。いつか伏黒くんが「足が速い」と評価していたのを思い出しつつ私も交互に足を動かして置いて行かれないように必死になった。私のより少し高い位置にある艶のある彼の後ろ頭。普段ならサラサラと揺らぐその髪が、今だけは萎びた白菜みたいにボリュームを失っていた。





「高菜?」
「う、うん、大丈夫……」




ちょっと濡れちゃったけど。脇目も降らずに飛び込んだ軒下で狗巻くんの肩を借りながらそっと靴から足を抜く。しっとりとした独特の嫌な感覚にほぼ反射的に眉を顰めた私に彼は申し訳なさそうに眉を顰めた。別に彼が悪いわけじゃないし、単なる自然現象だから仕方ないのだけれども狗巻くんは責任を感じているみたいだ。寧ろ彼が屋根のある場所を見つけてくれなかったらもっと悲惨なことになっていたのは目に見えている。そう考えれば、ありがとう、と感謝の言葉が意識せずとも狗巻くんに向けられた。彼は一瞬目を丸くしてからブンブンと勢いよく頭と腕を振って「おかか!」と否定していたけれど、私が助かった事には変わりない。




「ううん、本当に助かったから。……私も狗巻くんも髪がぺしゃんこになったけどね」
「ツナマヨ、」
「え、タオル?でもそれ狗巻くんの、」
「おかか」
「…………わかった、ありがとう」




狗巻くんは案外頑固な所がある。彼の言いたい事をすべて理解できている訳じゃないけれど、こういう時の圧には何も言い返せない雰囲気があった。下げていたバッグの中から取り出されたスポーツメーカーのロゴが入ったマフラータオルを半ば押し付けるように私に手渡した彼はというとブルブルと犬みたいに頭を振って水気を飛ばしていた。どれだけそれに効果があるのかは分からないけれど、少なくともクリーム色の髪には少しだけ元の厚みが加えられている。羨ましくなる質感だなぁ、と思いつつ有り難く彼のタオルで少しずつ毛先の水分を拭っていく。流石に有名なスポーツブランドなだけあって給水力はかなりの物だ。あっという間に不必要な雨が抜けた髪はさっきよりも随分軽くなった気がする。





「大分水気が取れたみたい、今度洗濯して返すね」
「しゃけ、こんぶ」
「……うん、そうだね。この雨中々止まないかも」




まだ明るい時間のはずなのに光すらも遮る空は澱んでいた。このままじゃ高専に帰れるのも遅くなりそうだ。そう考えると深い溜息が落ちた。天気予報では雨なんて話聞かなかったのに、何というか、ツイてない。まだ机の上に残している明日提出の課題の存在を思う度に憂鬱な気分になった。私が天気を操れる術式ならどれ程良かったか、そんな夢物語を考えて現実逃避してしまうくらいにはこの雨が憎かった。狗巻くんはそんな私を暫くじっと見つめてから何か考えるように俯くと、ポン、と漫画みたいに手を打ち、丁度彼の後ろにあった扉の中へと飛び込んでいったのだ。一瞬の出来事にワンテンポ遅れてから、私はその扉を振り返る。雨宿りさせて貰っているお店の看板には少し古風な文字で「駄菓子」と刻まれていた。どうやらここは駄菓子屋だったらしいけど……狗巻くんは一体何をするつもりなのだろうか。少し背伸びをして何とか店の中を覗いて見たけれど、彼は店内をマジマジと見回って駄菓子を物色している。その最中にもトタンに打ち付ける雨音は一向に減る様子はない。また、ハァ、と下がり切った口角にまた溜息が浮かんだ。





「すじこ」
「っ、ヒッ!?」





頬に触れた冷気に、びくん、と肩が跳ね上がる。咄嗟に体が大して広くない軒下から離れそうになって、慌てた様子の彼がさっきみたいに私の腕を捕まえた。ぽたぽたと背後で聞こえる水面が揺れる音に鼓膜が震える。そこには片手に私を、もう片方の手にアイスを2本持った狗巻くんが立っていた。どうやら今のは彼のちょっとした悪戯だったらしい。縄か何かを引き寄せるような動作で私の体を改めてさっきまでの立ち位置に戻した彼は、ふ、と安堵の息を吐く。ここまで驚くと思わなかった、と言いたげな彼の仕草に寧ろ私が恥ずかしくなってしまった。





「だ、だってびっくりして……!っていうかそれ、買ったの?」
「しゃけ、しゃけしゃけ」
「え、私に?」
「しゃけ!」





ずい。そんな効果音を携えるように私の目の前に差し出された爽やかな色合いのサイダー味のアイスキャンディー。少しレトロなパッケージが駄菓子屋らしさを増幅させていてなんだか笑顔になってしまう。いいの?と聞き返した私に大きく頷いて見せた彼が持っているのも同じサイダーのアイスだった。雨の音を聴きながらカプリ、と青い氷に噛み付く。天気のせいで少し気温が下がったとは言え夏に変わりはない。染み渡る冷たさに鼻の奥がツンと痛むと同時に汗や湿気を弾き飛ばしそうな気持ちの良い味わいに目を細めた。……美味しい。呟いた声は隣に立つ狗巻くんに届いていたらしい。しゃけ、と同意の言葉が返ってきた。取り留めのない話をぼやく私に彼は相変わらずのおにぎり語彙で相槌を打つ。彼と仲良くなって暫く経って、私も今は少しその意味が分かり始めてきた。初めこそ仲良くなれるかも不安だったけれど、今では彼の優しさだったり、案外お茶目な所が凄く好きだ。心で通じている、なんて表現は格好付け過ぎかもしれないけれど、狗巻くんと話しているとそんな気分にさせられる。






「しゃけ!」
「……うん、上がったね」





サイダーが溶けて流れたみたいな青空。魔法でも使ったみたいな晴天と目を輝かせた狗巻くんを見て心の奥が優しい音を立てて動いた。カミサマっていうのは案外私達のことを見ているのかもしれない。最後の一口を食べ切った時「あ、」と思わず喉が震えた。私の反応を見て不思議そうに首を傾けた狗巻くんに一度瞬きしてから笑い掛けて「本当に魔法使いだったりする?」と眉を持ち上げる。残された木の棒を彼に見せ付けるように裏返すと、狗巻くんは透き通る紫色の瞳に雨上がりの空を映してから、しゃけ!と元気よく跳び上がった。そこに刻まれた"あたり"の三文字を見た彼が今度は私の手を握り、駄菓子屋の中へと小走りで駆けていくのが何だか子供みたいに純粋で、私まで晴れやかな気持ちになってしまったのだった。





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -