ロンリーオンリー







「最近、あまり味がしないんですよ」






とある夏の日、私は懇意にしていた先輩に日頃の愚痴を溢すような口振りでそう告げた。話のとっかかりは多分、今度の任務のお土産は何が良いかだとか、そういうモノだった気がする。夏油くんは薄味のものが好きなんだっけ?と問われて最近の自分の食事事情を回想した時、咄嗟に口を突いて出た言葉に先輩は目を丸くした。その反応に「間違えた」と気付いた時にはもう既に後の祭り。どういうこと?と詰め寄ってくる彼女の視線から逃れることができず、私は初めて他人にこの術式の"欠点"を開示した。




「それで味覚が鈍くなってきた……ってこと?」
「恐らくですけど……私にも本当にそれが原因なのかは分からないですが」




だからここ暫くは味の濃い食べ物を選んでます、そう言って笑顔を浮かべた私に先輩は露骨に眉を顰める。そりゃあそうだ。突然後輩からこんなことを言われてもきっと困らせるだけだろう。そう思っていたから悟や硝子にも、誰にも伝えた事はなかった。一生この事実を墓場まで持っていくつもりだった。それがひょんな不注意で開示することになるなんて思ってもみなかったけれど。今の自分の中に浮かぶ感情はしくじった、の一点張りで溜息が落ちそうになる。普段調子の良い彼女が黙り込んでしまうくらいなんだ、やっぱりこの話はタブーだった。このまま此処で二人座り込んでいても空気が重くなるだけだろう、と、判断した私は何かと理由を付けてその場を後にしようと先輩の方に顔を向けた、が、その瞬間を待ち侘びたようにふわり、と鼻腔をくすぐる甘い匂いに回し続けていた思考がピタリと音を立てて静止したのが分かった。たった一瞬の邂逅、掠め取るように触れた唇、当然私より座高の低い彼女は下から掬い取るようにキスをした。




「っ、な、」
「……どう?」




何が、どう、なんだ?理解が追いつかなくて固まる私に先輩は首を小さく傾げてから細い指先を私の頬に当てがって、背伸びでもするみたいにもう一度可愛らしいリップ音を鳴らす。味わうような、食むような口付けにやっと自分が何をされているのかを理解して顔だけじゃなくて首や耳にまで熱が込み上げたのが分かった。何故、どうして、沸き立つ疑問に応えることなく彼女はその行為を続けようとする。拒まなくては、そう思いつつも脳に抜ける女性的な香りに自然と力が抜けて、思考が侵されていく。キスの経験が無いわけじゃない、でも、顔見知りとこんなことをするのは流石に初めてで、最早どうにかなりそうだった。




「っ、これは、どうだった……?」
「何が、ですか、いきなりなんの話を、」
「私のキスでも味、しないの?」





生理的に紅潮しつつも、照れとか他の感情全てを感じさせないような、ただの興味で作られた表情に「……は?」と思わず間抜けな声が漏れた。ぽかんと口を開いた私にこれでもダメ?と再度問い掛ける先輩の姿にやっと今の行為の理由を悟り、ほぼ反射的に大きく肩を落とした。そんな事のためにこの人は私にキスをしたのか?正直少しも納得がいかなかったけれど、私の返事を待ち侘びるような視線に「……わからないですよ、そんなの」と呟いた声が自分の声が酷く頼りなかったことは忘れられない。






「っ、ふ、」
「ん……っ、夏油くん、どうしたの?」
「……少し、昔を思い出して」






息継ぎの暇を与えないほどの接吻に私の胸を押し返した彼女はあの日みたいに無邪気に首を傾ける。十年ほど前の酷く懐かしい記憶が蘇り、以前よりも少しだけ大人びた彼女の顔を見つめた。結局、私はあれがきっかけとなり彼女を自分の道に引き込んだ。……正確に言うともっと他に理由はあったけれど、彼女なら自分を受け止めてくれるような気がした。若気の至りといえばそれまでだが、当時の自分の審美眼はあながち間違っていない。だって彼女は今日この日まで私の前に居続けている。……男ってのはつくづく単純だ、キスひとつで女性を好きになってしまうのだから。





「……先輩は、どうして私に着いてきたんだい?」
「……その呼び方久しぶりじゃない?」
「たまには悪くないだろ?センパイ、」




うーん、と、悩んでいるのかいないのかイマイチよく分からない反応を示した彼女は、そうだなぁ、とぼやくと縁側の奥を見つめる。晴れやかな青が広がる空には薄い雲が掛かるばかりで殆ど晴天と呼んでも良いくらいの寒凪だ。空の色を反射させた透き通る瞳は一つの結論を導き出したらしい。ゆっくりとした動作で私に視線が向けられた。




「夏油くん、雨の日に捨てられた子犬みたいだったから」
「……それは、喜ぶところなのかな」
「一応、カワイイってことだよ」




だからほっとけなくてね、と微笑みを浮かべた彼女には慈愛が溢れている。袈裟を着た私にいじらしく体重を掛けながら「満足した?」と尋ねてきたセンパイにふ、と私も口角を緩める。……もう少し君の口付けの味を堪能させて欲しいんだけど?そう言って彼女の髪を撫でた私にセンパイは仕方ないなぁ、と瞼を下ろして長い睫毛を小さく震わせる。この顔はきっと、私だけの特権というやつだ。触れることを許可してくれた彼女の言いたいことは大方分かっている。きっと早く帰ってきてくれだとかそういう内容だ。例年から行くとクリスマスに向けて味が濃いチキンでも用意してくれているんだろう。その期待に応えるべくして、半ば誓いの意味を込めて私は一度、改まってキスをした。触れるだけの"それ"にセンパイは少し不満そうに口を尖らせていて、なんだ、十年で随分欲張りになったな、と思った。はいはいと仕方なさそうな仕草を見せながらも性急に抱きすくめてしまうあたり、きっと我儘で欲張りなのは貴女より私に軍配が上がるのだろう。そんなことを考えながら私は今度こそ、熟れた唇に噛み付いた。







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