夜中と部屋明り








初めて彼女を見た時、きっと誰もが思う。桃ちゃんは、可愛い女の子だと。






そんな認識が崩されたのはとある日の夜中だった。なんとなく目が覚めてしまい、ふらふらと高専の廊下を歩いているとキッチンの方から物音が聞こえたのだ。一瞬にして緊張した体は随分闘いの日々に慣れてしまったな、と思ったけれど、近付くにつれて見えたぼんやり灯るオレンジ色の光の奥に佇む小さな人影に力が抜けた。……食堂の机に座っていたのは桃ちゃんだったのだ。足先が完全に地面に設置していないサイズ感は微笑ましく、ピンクと白のふわふわで構成された可愛らしいパジャマは彼女によく似合っている。だけど、いつも結んでいる髪を下ろし、美しい金色の髪を自然と流したその姿は普段の少女のような魅力とは違い、少し大人っぽくも見える。人工的な色味ではない自然なブロンドは、眩くて精巧な人形のようにも思えた。愛嬌と清純さが共存する今の桃ちゃんはとても魅力的だった。



……が、彼女をが手にしているのは海外のおしゃれなティーカップやお茶菓子ではなく、この部屋の明かりと似たような色合いの煎餅に目玉焼きが乗っかった"たこせん"だったのだ。ソースとマヨネーズがたっぷり掛けられたその光景に衝撃を受け、視線を天井付近に持ち上げたけれど、壁に掛けられた時計は相変わらず真夜中を指している。こんな時間にあんなものを……?と寸前まで呼ぼうとしていた名前を嚥下して胃の中に落としたけれど、かなり疑問は残る。突如崩れた彼女のイメージにどうして良いか分からずその場に立ち尽くしていると、ふ、と遠い目で無表情にたこせんを貪っていた彼女の青い目が私と交差した事で後に引けなくなった。あ、と一言だけ零した彼女はほんの数秒だけ取り繕うと努力していたけれど、すぐに肩を落として「……やめた」と呟く。傍に置いていた煎餅の袋から新しいものを一枚取り出してソースとマヨネーズ、加えて天かすまでを振りかけてから、自分の前の空席の前にセッティングしてみせた。





「おいでよ、捺も食べれば?」
「え、あ、うん……」





戸惑いまじりに彼女の前に腰掛け、煎餅の端の方を軽くパキン、と割って一口。少し緊張しつつ飲み込んだそれはこの時間に食べるにはジャンクな味で、それでいてどこか癖になるモノがあった。自然と口をついて「美味しい、」と呟いた私に彼女は目を細めてイタズラっぽく笑う。そうでしょ?と得意気な表情がなんだか珍しくて、促されるままに頷いた私に桃ちゃんは満足そうだ。





「東堂くんとか加茂くんと話してるとストレス溜まる時あるしね、たまには夜食も重要なの」
「……そ、それは否定しないけど……よくここで食べてるの?」
「ん?うん、カップラーメンとかワンタンとかスープとか……」





他何かあったかな、とボヤきながら桃ちゃんはぶらつかせていた足を椅子の座面に持ち上げて堂々と胡座をかくと机に肘を置きながら、うーん、と悩んでみせる。数秒してから顎で示すみたいに私の後ろの棚に首を振った桃ちゃんに従って水道管が仕舞われている戸棚を開くと、スーパーの袋いっぱい詰め込まれたポテトチップスやカップ麺が無造作に……というかほぼ無理矢理押し込まれているではないか。いつ雪崩を起こしてもおかしくない積み上げ方をされているのに思うところはあったけれど触ったら触ったで私が崩してしまいそうだったので、細心の注意を払いながらそっと扉を閉めた。





「こんなにあったんだね……知らなかったよ」
「私とか先生がたまに買ってきて入れてるの。捺も食べたいならシェアする?」





もしゃもしゃといつから持っていたのか分からないスルメを貪りながら桃ちゃんが私に尋ねてきた。最早私の中にあった可憐な女の子という印象が薄れた彼女はそれでも深い海みたいな綺麗な目をしている。なんと答えるのが正解なのか分からずに曖昧に頷きつつ「考えておく」と答えた私にふーん、と桃ちゃんは大して気にしていなさそうな返事を返した。綺麗にホワイトニングされた歯列が容赦なくイカを噛み切るのを眺めている間に一体どのくらいの時間が経ったのだろうか。

ぺろりと小さな体に煎餅とイカを収めてしまった彼女はティッシュで指先を拭ってから曲がった背中を伸ばすように、グッ、と大きく背伸びをする。軽く飛び降りるように椅子から降りた桃ちゃんは相変わらず慣れた手つきで使っていた皿を流し台に持っていくと蛇口を捻り、ある程度の勢いで水をシンクに流し始めた。適量以上の洗剤を適当にスポンジに垂らした彼女は、明らかに一枚の皿を洗うのに必要ないぐらいの泡で食器を包み込み、依然として滝のように流れ続けていた水流でざっくりと洗剤を流し切ると乾燥機の中に放り込んで赤いスイッチを押し込む。機械的な駆動音を響かせながら他にも入っていた幾つかの箸や皿ごと水気を飛ばす様子を確認した桃ちゃんは絵に描いたような大きな欠伸を落とした。





「お腹もいっぱいになったし、そろそろ寝ようかなぁ」
「……なんて言うか、意外だった」
「……私のこと?」




きっとそう言われることをある程度予想していたのだろう。首を回して私を見た彼女に「こっちが本当の桃ちゃんなの?」と曖昧な問いを投げかけたけれど、桃ちゃんは考えるように視線を外してから頬に手を当てて小さくて仄かに色付いた唇を開いた。




「どっちも私だと思うけど?」
「え?」
「アンタが思ってたワタシも、今見たワタシも……どっちも私にとっては"わたし"だから」





彼女の答えはハッキリしていた。そこに嘘や偽りは感じられず、曲がらない真っ直ぐ爪先からてっぺんまでを貫くような桃ちゃんの自認はたとえ綺麗な髪をしていても、可愛らしい服を着ていても、少し杜撰であっても、美しかった。思わずある種憧れに近い感覚を抱いた私は咄嗟に何か言おうと口を開いたけれど、悲しいことに少しも彼女のようなハッキリした言葉は出てこない。代わりと言うには微妙だが「……やっぱり、考えとくじゃなくて、私もシェアしたい」という確かに意思を伝えると、桃ちゃんはパチクリとまつ毛を擦り合わせてから悪戯っぽく口角を持ち上げて「……なら、今度はカップ麺二つ用意して待ってるからね」と可笑しそうに笑った。




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