映画オタクとその天使









「今日なんか気合入ってんね、彼女?」






母さんの冷やかしの声にそんなんじゃ無いってば、とあからさまに声を上げながら早足で玄関を飛び出した。最後に見た母さんの口角が上がった楽しそうな笑みがなかなか頭から離れなくて霧掛かった複雑な感情に支配される。……そんなんじゃない、でも、遠くも、無い。向かう先はいつもと変わらない行きつけの映画館なのに、地面を踏みしめる僕の足を覆っている靴は普段ロクに履いたことのない革靴。おしゃれは足元から!なんて文言を長年信じて来なかったけれど、都合のいい時だけ適応してしまうあたり僕は僕でどうしようもない奴なのかもしれない。



いつもの道、いつもの風景、いつもの映画館……そして、いつもと違う人影。緩やかな風で靡いた布地の薄いワンピースが浮き上がるのに慌てて目を逸らした。まだ彼女とはこんなにも物理的な距離があるのに僕の目はすぐに彼女を見つけ、彼女の纏う服装に格好悪く心臓を鼓動させている。胸元に手を当てて深く、深く、呼吸した。こんなに緊張したのはいつぶりだろう。最後に数度近くの店のショーウィンドウでゴミが付いていないかを確認して、僕は大股で彼女の元へと一歩ずつ前へと歩いていく。スマートフォンに落とされた視線が、その横顔が、とても綺麗だと思った。






「……お、遅くなってごめん……!」
「あ、順平くん!」






つい数秒前まで静かに画面を見つめていた瞳が僕を捉え、柔らかく歪んだ。瞬間的に頬まで上がりかけた熱を必死に冷ましながら、行こうか、とチケットを取り出すと嬉しそうな笑顔で僕を迎え入れた彼女はコクコクと頷いて隣をついてくる。僕より低い位置にあるつむじを何度も見つめてしまうのは男としてのサガなのだろうか?



映画館の入り口に入ってすぐ、ロビーでジュースを買った僕を小動物のようの丸っこい目で見つめた彼女にハッ、と肩を揺らした。最早癖というかルーティンになりつつあって気付かなかったけれど、この時代に態々映画館で食べ物や飲み物を買う客はきっと珍しい。実際映画中に飲み物全てを毎回飲み切るかと言われるとそうでは無いし、寧ろトイレに行きたくなっては困るのであまり飲み過ぎないことの方が多いくらいだ。携帯性や利便性を考えると他の店やコンビニでペットボトルを買う方が経済的で残りも出ない。そんな事は勿論分かっているけれど、少しでも僕の好きなこの場所の運営に貢献する為、買ってスクリーンへ入ることが当たり前になっていた。



どうしよう、もしかして引かれた……!?なんて、慌てて彼女を覗き込もうとしたけれど、僕がそうするより先に彼女は人が並んでいない売店に歩いていき、僕が買った物よりワンサイズ下のドリンクを片手に戻ってきた。ぽかんと口を開けた僕に「順平くんとお揃いにしちゃった」と擽ったそうに笑った姿は、最近見た映画のヒロインのような無垢で美しい女性ソックリで涙が出そうになる。あぁ、彼女は美しい。今日は素晴らしい一日になりそうだ……そう、思っていたのに。







「掴みは良かったのに突然ゾンビ物になったよね、よく分からないところでめちゃくちゃ薄味の恋愛要素も入ってきたし……しかもあのラスト……何も分からないまま爆発オチって映画的にタブーだよ」
「うーん……確かに最後はよく分からなかったかも?」
「分からないっていうか客に分からせることを放棄してたよね……予算も無さそうだし……B級映画と名乗る事もクソ映画としてまとめられもしない一番最悪なパターンっていうか……」







口から溢れる不満や疑問は途絶えない。ただひたすら思った言葉を口にして、吐き出して、気持ちの昂りと共に自然と足取りが速くなる。役者はそれなりに有名な人を揃えているのに何であんな脚本になってしまったのか理解に苦しむ。CGも安っぽかったし、演者に金を当てて他をおざなりにしたという事だろうか?無難なものを選んだつもりなのによりによって"この日"に面白くないと大々的に語るのも難しいポジションの映画を見てしまうなんて僕はつくづく不幸だ。矢継ぎ早な感情は彼女に聞かせるものではないと思いつつ、中々落ち着かせるのは難しい。謝らないといけない、こんな話気分がいいものではないだろう。彼女はきっと困ってしまう。けれど、渦巻くモノや伝えなければいけない事柄が溢れて上手く纏められなかった。






「……順平くんってさ」
「っ、な、なに……?」
「本当に映画、好きなんだねぇ」






一瞬みを硬くした僕が拍子抜けしてしまうような台詞。ふにゃんと柔らかな笑顔を携えて告げられた言葉に僕は目を丸くする。でも直ぐに それをきっかけとして「こんな映画を選んでごめん」と謝ると、彼女はゆっくりと首を横に振ってみせた。






「私は順平くんと見れただけでいいの」
「えっ、それ、ほんと……?」
「うん、ほんと」






だけど、こくんと頷き肯定を示した彼女はふと何かに気付いたように瞼を開いて眉を大きく引き下げると「こんな理由じゃ映画を冒涜してるかな……?」と心配そうに問いかけてきた。冒涜なんてそんな!と慌てて否定した僕は僕でやっぱり都合の良い人間だ。映画がいくら無味でも、好きな女の子と過ごせた時間を買ったと思えばそう悪い気がしないあたりゲンキンなのかもしれない。さらりと僕の手を取ってもっと順平君の好きな話を聞かせてよ、と僕を導く君はきっと、どんな映画のヒロインにも敵わないくらい魅力的だ。






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