臓器提供意思表示








「私って売ったらどのくらいのお金になるの?」
「……突然だね」






雨の日の昼下がり。優雅に紅茶を飲む彼女にふと、思いついた疑問をぶつけると冥は伏せていた瞳を持ち上げて太く長い三つ編みを揺らした。彼女と会うのは実に二ヶ月ぶりだろうか?海外も視野に入れて貪欲に仕事に向き合う冥の生き方は羨ましくもあり、到底私には真似出来ないものばかりだ。所謂美魔女の域に片足をつっこんでいる彼女と私は同期で、つまり同い年な訳で。それゆえ彼女の実年齢も自ずと導き出されるのだが……とてもそうは見えない。いつまでも美しく自信を失わない輝きには目を見張ってしまう。



「金に困っている訳じゃないだろう?」
「もちろん、そこまで浪費してないよ」



と聞き返してくる彼女に素直に首を縦に振る。私だって呪術師だ。彼女ほど"がめつく"は無いけれど、生きていくには十分すぎる額を……それどころかお釣りが出るくらいの給金を得ている。比喩ではなく命懸けの仕事なのだ。そのくらいの手当がないともっと呪術師離れは深刻になるだろう。高専付きの呪術師の私でもここまで貰えているんだ、フリーを貫く彼女の手持ちや貯金はきっと想像を絶する。実際まだ互いに若い頃、通帳を見せてもらった時は倒れるかと思った。冥は私の反応を見て面白そうに笑って「君も私の下でフリーになるかい?」と誘ってくれたけれど、そもそも冥の所で働くなら真のフリーと言えないだろうと指摘すれば冥は少しだけ口元と眉を緩めて、そうだね、と笑った。美しい琥珀色の紅茶に落ちた瞳の感情は、読めなかった。


現代の世論とは乖離した男尊女卑、家柄差別、御三家問題……基本的に呪術界は女性が一人で生きるには厳しい。それどころか場合によっては男性もひどい扱いを受け兼ねない場所だ。……この世界の一線に立つ女性は総じて髪が長い事が多い。目の前に座る彼女もそうだ。スカイブルーの美しく手入れされた長髪をそのままに活動するのはある種の反骨精神でもあり、自我の現れとも言える。女性であることを捨てないどころか、それも手数の一つとして武器にしてしまえる彼女の強かさが、私は嫌いではない。冥は小さく息を吐き出すと、そんな相場私が知っていると思うのかい?と首を傾ける。優雅な動作とその仕草は私のツッコミ待ちなのだろうか。




「知らないの?」
「いいや、知ってる」
「ほら」
「……でも一概には言えない。貧しい国では日本円に換算しても1万円前後な場合もあるし、例えば君のような女なら、」



「数十万ドル以上になるよ」さらりと告げられた事実に大きく目を見開く。一瞬思考が停止して、脳内で換算された値段に思わず短くか細い声を吐き出す。分かってはいたけれどあまりに馴染みのない感覚で私に付けられた値札が相場を見た時に高いのか安いのかすら定かではない。でも、私という人間にも価値ある値が付くこともあるのだと思うとなんだか不思議な気分になる。大したことは何もしていないのに。




「血液は3万、眼球は10万、心臓なら3000万の世界だよ」
「うわぁ、生々しい」
「売るなら片肺がおすすめかな、生きては行けるさ」
「売らないってば」
「……だろうね」




呆れにも近い声だった。もう一度カップに口をつけて私が買ってきた紅茶を喉に通した彼女はどこか物憂げだ。彼女が変わっているのは元からだけど今日は特に変わっている。臓器別の値段かぁ、と纏められた簡素なページをスマホで覗いたが、案外そう言った価格が先頭に公開されていて複雑な気持ちになった。もちろん臓器提供、という医療が存在する以上悪いことではない。だけどきっと、私が死ぬ時にはまともに提供できる臓器すら残っていないのかもしれないと思えば乾いた笑みが零れた。せめて誰かのために役立てたいと思ったのにな。




「臓器提供の意思カード、先週書いたんだよね」
「へぇ?」
「でも折角渡せても金を受け取る人がいないからさ、冥の名前にしておいた」
「……私に恩でも売るつもりなのかい?」
「ううん、ただの押し付け」




でもお金になるから良いでしょう。そうして喉の奥を揺らした私に冥はほんの3秒ほど黙り込んでから何処か不満げに「……そうかもしれないね」とぼやく。彼女の表情や感情は読み辛いと皆言うけれど、私は案外分かりやすいと思っている。これは今、確かに不服な時の顔だ。





「モノの価値は相手の需要によって変わる。その人間がモノを強く求めていればいるほど金は釣り上がるからね。……コレクターなんて呼ばれる奴らがそうさ」




不意に冥が口を開いた。当たり前とも言える世の摂理に金の回り方。それは事実であり、常識でもある。彼女は私に何を伝えたいのだろうか。冥の整えられた爪先から零れ落ちた角砂糖を溶かすため、細やかに陶器と金属を擦らせ円を描いていたティースプーンが動きを止める。夕焼けのような色をした紅茶は、今度は彼女の口には運ばれなかった。




「1億円、」
「え?」
「1人の健康な人間の臓器や皮膚を売れば大体そのくらいの値段になるんだ」
「そうなの?」
「ああ。だから私は君を1億で買うよ」
「…………は?」



あまりに突飛な発言に抜け切った声が溢れた。冥にはいつもの余裕そうな笑みは無く、真剣な片目が私を捉えていた。私を1億で買う?あのケチで細かいお金命の女が?次々と浮かぶ私の疑問に取り合う前に彼女は言葉を続ける。




「残念だけど私は欲しいモノを手に入れるときの手段をこれしか知らないんだ。その体や臓器を何処の誰かも分からない人間に渡すくらいなら私に譲ってくれないかい?」
「……ええと、それって告白ってこと?」
「……今のを聞いてそんな甘酸っぱくて感じなことを考えられる君の神経を疑うよ」



そういうところを気に入ってるんだけどね、と付け加えられた響きは決して冗談ではない。軽い調子ではあるが、そこに秘める想いや力は確かなものだと伝わってくる。そして私も、それを冷やかせるほど私は冷たい人間ではなかった。とはいえ1億なんて大金を自分の為に使うのは些か勿体無い気がする。それならいっそ、




「……じゃあさ、その1億円を元手にしてもっと荒稼ぎしてよ」
「元手に?」
「そう。買い切りじゃ無くて更新制、みたいな」
「確実に私だけのモノになる気はない、と?……中々妬けるね」
「満足するよりちょっと満たされないくらいが良いってよく言うじゃない」




冥は目を細めて酷く楽しそうに喉を鳴らして笑った。妬けるなんて言いながらも、こういう取引が好きなことも、多少のゲームのゲーム性があった方が楽しめることもよくよく知っている「乗ってあげるよ、君の提案に」そう言って上品なカップを持ち上げた彼女にまるでアルコールをぶつけるような勢いでカツン、と乾杯してやった。素面でこんなことやってのける冥も私も、結局は相当な馬鹿なのかもしれないな、なんて。そんな事きっと、出会った時から分かっていた事実なのだ。








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