消しゴム








あっ、と小さく声が零れた。跳ねながら木目の床を転がったソレは隣の席で肘を付きながら黒板を見つめていた真依ちゃんの足元で静止する。気付け真依ちゃん!そんな気分でじっと彼女に視線を送ると、どうやら私の念が伝わったらしい。不意に彼女が私の方にチラリと目を向けたのだ。交わった変わらず美人さんな瞳に対して指を下に向け「とって」と唇だけを動かすと、真依ちゃんは少し瞼を細めて読唇術を始める。そんなに難しい単語かな!?と内心少し面白くなりながら彼女の行動を観察していたが、数秒程してやっと意味が伝わったらしい。真依ちゃんは体を屈めて机の下に長い手を伸ばした。





「……あ、」




今度声を零したのは真依ちゃんの方だった。指で摘んで持ち上げたもう随分小さくなった消しゴムをマジマジと見つめて、彼女は、まさか、とでも言いたげな顔を私に向ける。その反応に一瞬首を傾げたけれどすぐに蘇ってきた記憶にハッ、と息を呑み、それからゆるゆるとだらしない笑顔を浮かべた自覚がある。面食らった真依ちゃんは「アンタね、」と恥ずかしそうに頬を赤く染め、半ば投げ渡すように私に消しゴムを投げつける。それでもきちんと私のテーブルの真ん中に収まった白くて小さな物体にニヤニヤといやらしい笑みが止められない。普段銃を扱うだけあって彼女のコントロールは流石なものだ。返してもらった私の"宝物"とも言える端が欠けたソレを爪先で軽く突いて、ふふ、と短い吐息を落とす。これは真依ちゃんと私の、ある種思い出の品なのだ。











「真依ちゃんの術式って消しゴムも作れるの?」





今思えば不躾な言葉だったと思う。……まだ一年生になって日が浅い春の日。筆箱の中を見て見事に部屋に消しゴムを忘れた事に気付いた私は手持ち無沙汰に教室の中をキョロキョロと見渡した。まだ先生は来ていないけれど取りに戻って間に合うのかは微妙な時間帯。どうしようかなぁと考えている私の視界に飛び込んできたのは、まだあまりロクに話した事も無い、お隣の女の子。凛とした顔立ちと整ったスタイルが魅力的な綺麗な女の子。その瞬間に思い出したのは入学時の挨拶で聞いた"構築術式"という単語だった。当時まだ大きな訓練も始まっていなかったので彼女の術式の詳細も知らなければ、見た事すらなかったあの時期の私は、本当に軽い気持ちで、これで話すきっかけになればアリかな、なんてつもりで真依ちゃんに初めて話しかけたのだ。





「……はぁ?」
「やっぱりダメ?対象が限定されてたりする?」
「そんな事はないけど……どうして急に消しゴムなんて、」
「忘れちゃって」





あっけらかん、と言い放った私に真依ちゃんは物凄い顔で此方を見ていた。複雑そうな、困ったような、それでいて何処か決意に満ちた表情だった。今でも焼き付いて離れない印象的な表情で、いいわよ、と頷いた彼女はそっと息を整える。妙な緊張感が辺りに漂って、なんだか私まで掌を強く握ってしまった。しなやかな彼女の手が合わさり、次第に透き通った海のような神秘的で美しい光を発し始める。朝だというのにその特別な輝きからどうにも目が離せなくて言葉を失っていた私は、ふ、と彼女の指先が震えているのに気がついた。よく見れば真依ちゃんの肌からはどんどん血色が無くなっていて、呼吸も荒くなっている。様々な可能性が頭の中をぐるりと回って、そうしている間にも彼女の体が揺らいだ。





「ッま、って!!」
「っ、は、ぁッ……はぁっ……!!」





咄嗟の行動だった。私は気付けば彼女の両掌を思い切って引き剥がし、術式を解除させていたのだ。ぐったりと机に倒れ伏した彼女の指の隙間から、ぽとり、と大きな音も立てずに市販の3分の2程度の所で歪に構築された消しゴムが落下する。……迂闊だった。無から有を生み出す術式なんて、代償が小さい筈が無いではないか。どうにか顔を持ち上げた彼女の鼻からはさっきの光とは対照的な真っ赤な血が流れており、動転した私は彼女を殆ど無理矢理おぶって医務室に向かって全力で足を動かした。運んでいる最中、私の背中の上で「私の術式は大したものじゃない」と弱々しく呟いた彼女に十分過ぎるくらい大したものだよ!と叫んだ事がつい昨日の話のようだ。



結局、大事には至らなかったが、あまりに私が配慮不足だったのは目に見えていたので医務室から戻った彼女に何度も謝りながら魂の結晶とも言える消しゴムを返そうとしたけれど、少し黙り込んだ真依ちゃんは「一度渡したものを返せなんて言わないわよ」と目を逸らし、小さく鼻を鳴らす。これを使い切るまで許さないという遠回しの圧力なのかとあの時は疑ったけれど、今ならわかる。あれはきっと、真依ちゃんなりの優しさだったのだと。






「……いつまでそれ持ってんのよ」
「使い切るまで?」
「嘘つき。ちっとも減ってないじゃない」
「……折角真依ちゃんから貰った物が無くなっちゃうの、なんだか勿体無くて」






疑いの篭った目を向けてくる彼女に慌てながら私の素直な気持ちを伝えると、真依ちゃんは珍しく目をまん丸にしてから「……消しゴムくらい別にいつでも作ってあげるわよ」と窓の外へ逃げるように首を回す。授業が終わるまで今日はもう彼女は私を見てくれなかったけれど、ショートカットの黒髪の隙間から見える耳に紅が差していることを、彼女は知っているのだろうか。そう、相変わらず真依ちゃんは私の可愛い友人なのだ。









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