芽吹き

※本誌ネタ












彼の第一印象は"変わった人"だった。いや、今も大抵はそうだけど。







虎杖くんが高専に戻って来た時に出会った彼は脹相、という名前らしい。受胎九相図から生まれた、人間でも呪霊でもない異質な存在。初めこそ警戒していたが、彼と関わり、その言動を見ているうちに自然と力が抜けてしまったのが事実だ。彼はただ、残りの九相図である6つを弟として認識しており、兄としての責務を果たそうと立派に生きているだけなのだ。一応私は彼のお目付役として抜擢されたが、実際彼は特に大きな問題を起こす様子は無い。同じく何故か弟として認識されている虎杖くんからは「悪い奴ではない」と教えられていたけれど、本当に言葉通り、彼は全くと言っていいほど悪い奴では無かったのだ。



渋谷での一件では私達人間側と対立していたが、彼の行動理念の根底はあくまでも兄弟への愛情で、それが遂行できる立場であれば究極どんな勢力に付くことも厭わないのだろう。基本的に表情筋の動きが乏しく、物静かな彼との交流にはかなり苦戦したが、一度虎杖くんの話を振ってみれば、切れ長の瞳を見開きながらテーブルを挟んだ反対側に座る私へと身を乗り出したのだ。膝の上で手を組みながら真剣に相槌を打ち、真っ直ぐ見つめてくる視線がどうにも擽ったかったが、その一件以来私は彼との関わり方を学んだ。……彼はとても分かりやすく扱い易い。だが分かり易いということは、今築いている信用を崩すような真似は出来ない、という言葉とも同義である。彼の行動理念と私達の向く方向がずれ始めたならばきっと、彼は違うレールを自ら歩きだすのだろう。彼は"兄"なのだから。






「はい、脹相さんこれは?」
「……これは何だ」
「駄菓子です、やっぱり知らないのかな」





机に並べた一本10円程度の麩菓子をじっと見つめる彼の姿は人間の大人にしか見えないが、その実この世に生まれ落ちたのはつい最近の事らしい。そして、眉を下げて半ば睨むようなその視線が故意ではないと知ったのもまた、つい最近の事だ。食べられるのか、と問いかけて来た彼に頷いて袋を開けてから手渡してやれば、節のある大きな男性らしい手が私の元に伸びてくる。まだまだ知らない物が多い彼は私から見ると兄ではなく"弟"のような気がしてならないのだが、こうしてふとした瞬間に男性であることを感じると何だか少し照れ臭くなってしまう。そんな感情を誤魔化すように食べてみてください、と慌てて彼に促せば、脹相さんは小さく首を縦に振り、相変わらず血色の悪い口元で麩菓子に一口噛み付いた。彼の何処となく品のある食事姿を見るのが私は嫌いじゃない。普段は顔に出る感情が乏しいのに、こういうときに限って七変化する頬や眉に愛おしさすらも感じられた。





「美味しいですか?」
「……悪くは無い」
「良かった!他の味もあるんですよ」
「何、他の味が?」





随分食い付きがいい。これは結構気に入ったのかな、なんて。ひっそりと考察しながらも複数手渡した味を吟味するようにパッケージから目を逸らさない彼はやっぱり可愛らしい。好奇心旺盛で、興味の無いことには反応すら示さない彼は殆ど子供のような物だ。生まれたばかりなのだから大差は無いのかもしれないが、私が彼に抱えている今の想いは母性に近しい気がしてならない。まだそんな歳じゃないのになぁ、と思いながらも駄菓子を頬張る脹相さんはやっぱり微笑ましかった。九十九さんはそんな私を見て「君は彼をペットか何かと勘違いしていないか」と豪快に笑っていたっけ。いつか飼い犬に手を噛まれないようにね、とウインクしていた彼女の姿がまだ記憶に新しい。


一頻り食べ終えた彼が丁寧に両手を合わせながら頭を下げるのを見届けて、返事の代わりに私もしっかりとお辞儀をする。"いただきます"と"ごちそうさま"の文化も私が脹相さんに教えたが、見ての通り彼はすっかり習得しているらしい。半分は人間だと言いながらも裏を返せば半分は呪霊の彼に食への感謝という感情が理解出来るのか不安だったが、要らぬ心配だったらしい。脹相さんは特有の文化として受け入れるどころか、自ら率先して宣言してくれている。彼の身体構造として食事を摂取する必要性は極めて低いようだが、これがひとつの楽しみになっているのであれば、それに越したことはない。





「……前から、気になっていた事がある」





不意に脹相さんが呟いた。彼は右手を自らの胸の上に置きながら不可解そうに顔を顰めている。まさか痛みでもあるのだろうか?受肉した結果、確かに彼は限りなく人間体に近付いているが、 その内部までが人間と同じであるかどうかは見ているだけでは分からない。もちろん病院になんて行けないので臓器に問題があった場合は更に大きな問題に発展する可能性がある。少し緊張した面持ちで「どうしましたか?」と尋ねた私に彼はきゅ、と左胸あたりの服を掴みながら、ぽつ、と零した。






「最近、妙に胸が苦しくなる」
「……えっ!?何かの病気ですか?」
「常にという訳じゃない。……お前とこうして顔を合わせた時に限って、」






そう言いながら彼は私の手を取ると、自らの胸元に押し当てるようにそっと乗せた。えっ、と思わず困惑した声を漏らした私を見つめる脹相さんの顔は真剣そのもので「……こうなるんだ」と固く思い詰めたように彼は項垂れている。とく、とく、とく……確かに彼がここに生きている証が肌から伝わってくる。まさかそんな筈がない。こんなの、漫画やドラマでしか見たことない。でも、彼はそんな"漫画やドラマ"を知らない。はぁ、と彼が吐き出した悩ましく熱っぽい吐息に背中が震える。脹相さんは自らの胸元に当てた私の掌を包み込むように彼自身の大きな手で握り込むと、真っ直ぐと射抜くような視線を向けた。彼は無知だ。そこに横たわる感情の意味をきっと知らない






「……これ以上酷くなったら、また教えて下さい」





結局私は"先延ばし"にする事で逃げてしまった。尻尾を巻いて、これ以上育つのを恐れて、陽の光を遮るように彼の気持ちに蓋をした。脹相さんは素直に首を振ってから一言、すまない、と落とした。彼に謝られるのは何だか気が引けて、悶々としたまま私は脹相さんから目を逸らす。彼が謝ることなんてひとつもないのに。彼の謝罪は私達の関係性の裏付けでもあり、それがまた私のつかえになってしまう。……でも、この時の私は知らない。辛い出自だった彼に芽生えた不確かで未知な感情は、力強く根を張り、茎となり、やがて蕾をつけることを。後日、相変わらずの鉄面皮のまま「悠仁がそれは"恋"だと教えてくれた」と言い放った彼にひっくり返りそうになったのは言うまでもない。






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