お手を拝借






人々の笑い声や話し声が無数に響く眩しいくらいの会場を人の間を縫うように潜り抜ける。入り口で爽やかな笑顔を浮かべるウェイターに会釈を返しつつ、カツカツと不安定なヒールを鳴らして私は足早にバルコニーへと飛び出した。





欧米を思わせる白くて厚みのある手摺りに体を預けて、深い深い息を吐き出す。あぁ、疲れた……と、殆ど無意識に口に出していた自分に驚きつつ、慌てて周りを見渡したけれど幸いにも私以外の気配は無かった。だけど、正直、無理も無いと思う。パーティーの空気感に騒いで、美味しい料理やデザートを楽しむ生徒達みたいに若くは無いし、この格好だってあまりに着慣れない。 腕全体を覆う袖口が開いた繊細なレース、腿から大胆にスリットが入った丈の長いスカート……28歳の自分が着るには無理がある気がしなくもない。こんなの昔任務で潜入調査した時以来な気がするし、あの時は私だって学生だった。月日が過ぎるのは速いなぁと本格的に感じてしまうあたり、やっぱり歳は取りたくないものだ。





「やっと見つけた」
「……っ、五条くん」





不意に背中から掛けられた声にびくり、と肩を揺らしたけれど、その相手が見知った人間だと気付き、力が抜けていく。そんなに驚かなくてもいいのに、と喉を鳴らして笑った彼は私を真似るように自らの肘を手摺りに掛けると「で、何してたの?」と小首を傾げて私に問いかける。……身長のせいもあるけれど、明らかに腰位置が高くすらりとしたスタイルの彼に、黒い締まったスーツはお世辞では無く本当によく似合っていた。一応今日の会は呪術師ばかりが集まっているし、私もアイマスクを付けた彼に見慣れたから問題は無いけれど、この服装に黒いマスクを付けているのはスパイ映画か何かに出演している俳優にも見えた。要するにちょっとだけ、アヤシイ。





「こういう場所も服も慣れてないから……ちょっと疲れちゃって」
「まぁね、僕もそんなに好きじゃ無いからよく分かるよ」
「……さっき野薔薇ちゃんとデザート山盛り食べてなかった?」
「甘いモノに罪は無いからね」





ひらひらとハーフグローブを付けた手を揺らしてハンズアップする彼は全く悪びれるつもりが無いらしい。けどまぁ、それも五条くんらしいと言えばらしいかな、と少し笑った。そうやって彼らと同じように楽しめる彼は私なんかよりよっぽど若々しいし、悪いことじゃ無いと思う。けれど、確かにそう言われてみると、五条くんも五条くんで何だか少し疲れて見えた気がした。呪術界においての彼のネームバリューは凄まじいものだし、生まれ持った美しい容姿はその分目立ってしまうので、私みたいに静かに抜け出すのもきっと至難の技だ。そう考えるとなんだか少し同情してしまって「お疲れさま」と自然と労いの言葉が零れ落ちた。





「こんな所にまで逃げてきた"お姫様"にそう言って貰えるなら疲れた甲斐があったかな」
「……なら五条くんは謁見に疲れた王子様、ってこと?」





キザな言い回し位に対抗するつもりがあった訳じゃないけれど、思考するより早く口から飛び出した私の言葉に一瞬面食らった彼が布越しに数度瞬きするのが分かった。でも、それからすぐにプッ、と吹き出し、ケラケラと声を上げて一頻り笑った彼はナイロンで覆われた指先をアイマスクに掛けて、ぐいっ、と、一思いに脱ぎ去ってしまったのだ。ふわり、と風に乗って舞い上がった毛束が藍色の空に浮かんだ月明かりに照らされてキラキラと上質な糸のように輝く。閉じられていても形の良さが見て取れる瞼がゆっくりと押し上がり、くっきりとした綺麗な二重が目元に浮かんだ。そして、中央に静かに鎮座する夜空の恒星全てを詰め込んだ青い宝石がピントを合わせるみたいに私を捉えた。澄んだ球体はあまりに透き通っていて、情けなくぽかん、と口を開けて見惚れている私の姿を薄い像として反射させている。理解の及ばない物を目にした時、ひとは大抵何も言えなくなるのを身に染みて感じた。私のそんな反応に言及することなく、肩肘をついて顎を支えた五条くんは口角を持ち上げながら、言う。






「このまま何処か、2人で行っちゃおうか?」
「……それ、冗談?」
「君の答え次第かな」






何処まで本気なのか定かでは無い。それでも一瞬、そんな馬鹿なことを真剣に考えてしまいたくなる雰囲気が彼にはあった。漠然とした問いかけに未来が無いと頭では理解しているのに、五条くんなら本当に"何処か"に連れて行ってくれるような気がしたのだ。悩んだ末に私が導き出したのは「……皆が待ってるよ」という、肯定でも否定でも無い、ある種他人任せな逃げの一手だった。そんな私の返事に五条くん長い睫毛を擦り合わせてから不思議と唇に喜色を浮かべ、そうだね、と頷いた。







「なら、戻ろうかオヒメサマ」
「……その言い方、流石に恥ずかしいんだけど………」
「いいじゃん。こんな扱いしてくれる人と出会うの、人生でそうないよ?」
「それはそれでちょっと失礼な気がする……!」






もしかしたら他にも居るかもしれないでしょ、と口を尖らせた私を見た彼は柔らかく目を細めると、かもしれないね、と他人事みたいに呟いた。言葉自体とは裏腹な穏やかな口調に少しだけ心拍が速くなる。手摺りに付いていた肘を持ち上げた彼は背筋を伸ばし、スーツのジャケットを軽く引くと、まるで本物の王子様のように私の目の前に左手を差し出した。さっきまでとは違う、学生時代の彼みたいな悪戯っ子を思わせる無邪気な笑い方。思わず、きゅ、と胸が締め付けられる。だって、こんなの、







「捺の言う通り。確かに他にもそんな相手は居るかもしれないけど……こんな良い男にエスコートされるのは無いよね?」







核心的かつ、確信的なセリフ。気取っているようでナチュラルにすら感じさせる彼の持ち得る全てのものが"反則"だと思った。結局折れたのは私の方で、おずおず彼の差し出したグローブ付きの手に自らの掌を重ねると、元々眩い瞳を更に輝かせて、じゃあ行こうか!と五条くんは会場への道のりを歩いていく。意気揚々とした軽い足取りの可愛らしさに白旗を上げざるを得ないあたり、やっぱり彼は狡いひとなのだと私は再確認した。








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