知らない感情









「加茂くんって良い声だよね」







それは正に、突然、というのに相応しい。脈絡なく掛けられた言葉に顔を上げると、同級生の閑夜は椅子の背もたれの部分に肘を付きながら何処か感心したような顔を私に向けてる。彼女の発言に返事しようとしたが、それより先に肌が露出した細い足が大股開きになっているのに気付き「その座り方は感心しないな」と小言を漏らした。しかし、彼女は更に目を輝かせながら、やっぱり良い声だ、と呟くばかりでどうやら私の注意は届いていないらしい。小さく息を吐き出してもう一度、正しく椅子に座るようにと伝えると、閑夜は眉を顰め、はいはい、と少々面倒臭そうな顔をしながら立ち上がり、ぐるん、と乱暴に椅子を回転させた。膝よりも上にある彼女の下半身を包む布切れが舞い上がったのに咄嗟に視線を逸らしつつ、私の足元にまで響いた振動に思わず苦い顔を浮かべたが、本人は気にしていないらしい。





「……前から言っているがスカートはもう少し、」
「長くしろって?」





それ聞き飽きたよ、と口を尖らせた彼女はこれでも長くしたんだと訴えてくるが、私にはあまり変化が分からなかった。5センチも長くしたんだよ!と指先で大体の寸法を示していたが、閑夜の親指と人差し指の間は明らかに5センチよりも幅が広く「それだと10センチはあるぞ」と思ったままに呟けば、彼女は頬を膨らませて加茂くんってホント真面目、と不満気に吐き捨てた。……自分が真面目かどうかを自らの尺度で表すのは難しいので自覚はあまり無いが、加茂家の人間として謹厳実直に生活しようと努力はしている、と伝えると、彼女は不可解そうに首を傾げる。





「キンゲンジッチョク、って何?」
「慎み深く真面目な様や、誠実性を兼ね備えた人柄のことを指す四字熟語だ」
「あぁ、つまり加茂くんってことね」





なら納得、と何でもないように頷いた彼女に少しだけ目を見開いた。あまりにも簡単に紡がれたその響きはむず痒く、褒め言葉にしては出来すぎている。何と返すべきか思い付かず、そう見えるだろうか、と疑問を投げ掛けると彼女は呆れたように肩を落として「加茂くんじゃなかったら他に誰が似合うの」と瞼を細めていた。そうか、と落とした声が仄かに動揺に震え、彼女の顔を見ていられなくなった私にパチパチと瞬きをしながら口角を持ち上げる姿は妙に楽しそうだ。





「なに?もしかしてこういうの言われ慣れてない?」
「……このくらいは当然だと扱われる事が多いんだ」
「ふぅん……"ゴサンケ"って大変なんだね」





私には出来る気がしないよ、と体を竦めた動作を見て「そんなことない」と動かそうとした唇の目の前に、ふ、と、細く今にも折れてしまいそうな女性らしい人差し指が立てられた。その仕草が何を意味しているのか理解出来なくて困惑したまま閑夜、と彼女の名前をぽつりと落とすと、笑窪を頬に乗せた含み笑いを滲ませて空気を抱くように腕を広げながら話し始める。






「加茂くんは術式も強くていつでも冷静沈着だし?」
「いや、そんな事は、」
「肌もツルツルで顔のパーツも整ってて美人だし?」
「……君は、本気でそんなことを思っているのか?」
「本気だよ、とっても本気。だからそんなに難しく考えなくていいのに」






加茂くんは昔も今もこれからもきっと頑張ってるだろうから。そう言いながら小さな手を私の髪に伸ばし、指先を毛束に絡めた彼女は穏やかな表情をしている。まるで小さな子供をあやすようなその行為に……子供扱いか?と尋ねた私に彼女は首を縦にも横にも振らず、ただ声を上げて喉を鳴らした。どうだろうね、と誤魔化すような手口を使って会話を閉じた彼女にこんなにも大人らしい対応ができるなんて、とほんの少量の嫌味を込めて心の中で愚痴を消化させる。君は、本当に不思議な人だ。





「さっきも言ったけど良い声だし!私なんかと比べたらよっぽど"キンゲンジッチョク"だよ」
「……そうだろうか」
「お節介すぎるのは玉に瑕だけどね」
「それは、君もだろう」





私ぃ?と分かりやすく疑いの目を向ける閑夜に今度が私が笑みを溢す番だった。そうだ、と頷きながら、彼女の行為を鏡に映したように反射させ、錦糸のような髪に己の指を櫛代わりに差し込んだ。瞳がビー玉みたいに転がり落ちそうな程大きく瞼を開いた彼女は酷く間が抜けている。愛玩に近い感情で彼女の頭を撫で続け、彼女がしたように褒め称えてやれば私と比べて血色が良い頬が更に紅に染まっていく。あー、とか、うー、とか。母音ばかりが端から滑り落ちていくその姿を見ると、私の胸は温かい色合いで包み込まれ、その奥からジクジクと鈍い痛みに似た拍動が響くのを感じた。これは一体、何物なのだろうか。






「……ならお互い様ってことで両成敗、みたいな?」
「今日の所は、そうしようか」
「今日の所はって、なに?」
「……私にも"これ"が何なのか分かってないんだ」






無知を認めるのは恐ろしい事だ。それでも何故か、彼女にはそれを曝け出しても良いと思えた。彼女は意外そうに私を見ると「加茂くんにも分からない事があるんだね」と何気無く呟く。言葉以上の含みが感じられない、全く他意がない素直な台詞に、そうなんだ、と笑って、私もそれを肯定した。今日の空らしい抜ける晴天のように穏やかで澄み切った心が軽く、奥のつかえが取れたような気がした。私は、彼女に向けるこの感情の名前をまだ、知らない。






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