泥舟に乗った気で









「禁煙同盟は何処に行ったの?」






指先に挟んだ細い筒を手放すことなく私の方を向いた硝子は少しだけ目を開いたが、すぐにクツ、と喉を鳴らして「さぁね」と答えた。真面目に言う気があるのか無いのか定かでは無いが、少なくとも彼女の禁煙人生はとっくに幕を下ろしていたらしい。まぁ、学生の時からあれだけのヘビースモーカーだった硝子が最近まで耐えられていた事が"特別"だったのかもしれない。窓枠に腕を掛ける彼女の隣に並び、同じように私も寄り掛かる。嫌味なくらいに赤く燃える夕焼けは、ここ最近の問題全てを覆い尽くしてくれる気がする。……きっと、気がするだけなのだろうけど。





「ん、」
「私の禁煙生活も終わらせる気?」
「お前もとっくに終わってるだろ」
「なんだ、知ってたの」





吸ってる奴の顔してる、と口角を持ち上げつつ私に箱の開け口を向けた彼女に偏見だよ、と言いながらも爪で一本引き出して、頻繁に腕を入れて中身を探るポケットから使い捨てライターを取り出した。えらく品の無いもの使ってるな、とぼやく硝子に肺いっぱいに溜めた煙を吐き出して、アンタが品あり過ぎんのよ、と肘で小突いた。深呼吸して新鮮な空気を楽しむような感覚で有害物質を啜る私達はきっと側から見たら随分滑稽なのだろう。硝子に至っては今の高専で唯一の医者だし、そんな人間が肺をやられてハイ終了、なんて事態はきっとみんな困るだろうに。まあ、私も大概後先考えないので人のことは言えないが。





「私も硝子もいつか肺癌で死ねるかなぁ」
「捺は任務でトチってお陀仏ってオチだと思うけどね」
「うわ酷、外道じゃん」
「事実だろ?先週も平然と生死を彷徨ってた女に言われたくないな」





……それ、言う?と肩を竦めて居心地悪く呟いた私に彼女は容赦無く、言うよ。と吐き捨てる。硝子の手が掌サイズの箱を揺さぶり、飛び出た一本を少しだけささくれ立った指が摘み上げた。厚みのある唇に先端を咥える仕草は今も昔も変わらない。愛用のジッポを一目もくれずに探す彼女の仕草をぼんやりと見つめて、ふと思い立ったように何処で買ったのかすら覚えていないプラスチックライターに火を付ければ、硝子は数秒の硬直の後に深い溜息を吐きだす。こんなので吸ったら不味くなる気がする、と悪態を吐きつつも、少し体を屈める動作は素直で少しだけ可愛らしい。美人は得だなぁ、と心の中で愚痴りながら片手で壁を作り、煙草の先に光を灯せば「ありがと」と彼女は心の籠っていない感謝の言葉を口にした。長く伸びた髪が風に煽られて少しだけ持ち上がり、慣れた手つきで耳に掛ける硝子の横顔は綺麗だ。



彼女にとっての酒や煙は反抗精神の表れなのかもしれない、と思ったことがある。恵まれた才を持ち、非常に優秀な人間故に彼女の羽はとっくにもがれてしまっていた。籠の中で愛でられるだけの美しい鳥のように足首には枷が嵌められている。それを本人がどう受け止めているのか私には分からないし、これは全て私の思い過ごしで、実際はただの嗜好品なのかもしれない。でも、私から見れば幾らでも煙草を咥えられて、少しも酔いが回らない彼女は十分不自由で、それなりに不器用な人だった。





「……ま、お前は無残な死体になるよりは癌で死んだ方がマシでしょ」
「アンタもだぞ、蒼白女」





今すぐにでも倒れそうな顔しちゃってさ。こんな隈昔は飼ってなかったのによく言うよ。そんな想いをたった一つの暴言に乗せて放った私に彼女は少し溜めてから……かもね、と寂しげに視線を落とした。鴉の声すら聞こえない静かな夕方、水平線に沈む太陽が遠くで揺らいで見えた。

別に、何か大きな意味や意図があった訳じゃない。けれど、気づいた時には私の顔は同じくらいの背丈の彼女の元へと寄り添っていた。昔外国のドラマで見た、情緒的なシーン。あの時は男同士だったっけ?ま、それは今はどうでもいいけど。今まで出会ってきた男達とは違う、首を少し傾けるだけで背伸びをする必要がないその行為に、私の煙草と彼女の煙草の火種がそっと、触れ合う。吸い込むと同時に、ジ、ジ、と焦げるような音がして一等赤く点火した先端が今の夕日とよく似ていた。


ぱちくり、と音が鳴りそうな瞬きをして「……何してんの?」と問い掛けてきた彼女に「早死にのおまじない」と答えれば硝子は面食らった顔をしてから声を上げて笑い始める。少しだけ短くなった吸いかけの煙草を外し、頭を下げて、ケラケラと酷く可笑しそうに声帯を震わせた彼女は、ぐり、とまだ赤い部分を潰すように窓枠に押し付る。こりゃ効きそうだ、とぼやいた声に釣られるみたいに私も笑った。……効きそう、なんて言いながら途中で吸うのを止めるなんて、生きる気満々じゃないか。






「お互い、死ねるといいね」
「そうだな、その時は向こうで乾杯でもしようか」






"勿論そっちの奢りでね"重なった声に今度は目を合わせて頬を緩め、笑った。私もアンタも本当に卑しくて、生き汚い。この調子ならまだまだ死ねそうにないな、と考えながら夜の訪れを告げる藍色の空を眺めた。結局矛盾している。私もアンタもこの世界の呪縛から解き放たれることを望み、それでいてお互いにまだ先に死ぬことを許していない。とっくに泥舟に乗せられた私達は仄かで穏やかな終焉を待ち侘びている、それだけなのだ。







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