踏み出す勇気をどうか、






「目、悪くなるよ」








ぱちん。弾かれるような音と共に突然灯った光に何度も瞬きをした。真っ暗な中に浮かんだ青白いディスプレイと格闘していた私は側からみればさぞ不気味だったに違いない。幽霊かと思ったよ、と呆れ混じりの声色で扉の枠に体を預ける彼女に、すみません、と軽く頭を下げながら謝罪した。私に謝る必要は無いけど、と、ぼやきながら適当な空席を私の隣にまで押してきた彼女は何の断りもなく、堂々とそこに腰掛ける。これが彼女らしさであると理解しているけれど、私以外の前ではやめた方がいいですよ、と無難な言葉を口にすれば、小さく口を尖らせて、はいはい、と聞いているのかいないのか、曖昧な返事を零した。





「伊地知、また残業?」
「……まあ、そうですね」
「今日は何の仕事してるの?」
「先日の任務での破損した公共物への対応です」





ふぅん。そう呟きながら彼女の猫みたいな瞳が私の画面を覗き込んでくる。昔から電子機器はからっきしだった彼女が理解できるとは思わないが、見られる分には問題無いので特に咎めることなく作業を続ける。誰かに仕事を見せるのは正直緊張するけど、相手が彼女なら話は違ってくる。現在呪術師として活躍している閑夜さんは私の唯一の同級生だ。術式を持っていなかった私と、恵まれていた彼女。立場なんてあったものじゃないと昔は何度も悩んだが、大抵の場合「そんなこと考えてたの?」と不思議そうにされるのがオチだったのでもうすっかり慣れてしまった。今では自分にしか出来ない仕事があるとも分かっているし、過度な劣等感はとっくに捨て置いてしまったが、それでもやはり、他のどんな人間と並ぶよりも彼女と並んだ時が、一番複雑な思いを抱いている気がする。






「それ、手伝おうか?」
「え?ですが……」
「だって伊地知疲れてるじゃん。その表をパソコンに入れればいいんだよね?」





パソコンに入れる、という単語を使いこなす彼女にギョッと目を見開いた。ひらり、と私の手から奪われた紙の行方を視線だけで追いかけて、彼女が空いた席に腰掛け、不慣れながらもキーボードに触れ始めるのに心臓が止まりそうになる。まさか、本当に打ち込むつもりなのだろうか?数年前の彼女は"パソコンに入れる"という行為をそのままの意味で捉え、必死にディスプレイの隙間に押し込もうとしていたのに……あまりの成長具合に思わず目尻を押さえる。疲れのせいか、本当に涙が溢れそうだ。


……でもどういう訳か、それを少し寂しく感じている自分がいるのも事実だった。昔みたいにおずおずと、これ、どうするの?と尋ねてくる彼女の顔が久しぶりに見たいと思った。手伝おうとしても分からないことが多くて結局私がやった方が断然早い事に気が付き、申し訳なさそうに眉を下げるその顔を、少し期待していた自分がいた。こうやるんですよ、と根気強く教えて上手く行った時「伊地知!」と花が咲いたみたいに笑う無邪気な彼女が、好きだった。






「伊地知、伊地知!」
「……っ、あ、」
「大丈夫?やっぱホント疲れてるんじゃ……」






ちゃんと休んでる?そう言いながら私を見つめる彼女の目を真っ直ぐ見れなかった。……気恥ずかしいのだ。この歳になって自覚した、恋心と呼ぶには淡すぎる感情に一応"オトナ"の私が情けなく戸惑うのがこの上なく照れ臭かった。メガネのフレームを押し上げて、大丈夫です、と答えた声は普段と変わり無かっただろうか。上擦ってはいなかっただろうか。不安ばかりが体に上り詰める。閑夜さんは疑いを込めるみたいに目を細くして私を見ていたけれど、最後には深く息を吐き出してから「あのね、」と物言いたげな口調で話し始めた。





「私みたいな術師は上には上がいるし、幾らでも代わりがいるけどさ、」
「……そんなことは、」
「伊地知は、ひとりだけだよ。……伊地知の代わりが出来る人は、居ないんだよ」





ぽん、と女性らしい細い腕が私の肩に触れる。いつも彼女はこんな身体で呪霊と戦っているのだろうか。不意にそう感じて胸の奥が苦しくなる。私を伊地知、と呼び捨てにする彼女の声が、瞳が、とても柔らかく、温かい。だけど、あんたが倒れたら元も子もないじゃん、そう笑う顔がどこか寂しげに見えたのは何故だろう。私は気付けば自らに触れていた彼女の掌を包み込むように握っていた。閑夜さん、と、今日初めて彼女の名前を呼び、ラムネに入ったビー玉みたいに素朴に透き通った球体を、レンズという透明の板越しに見つめた。……本当はここで堂々と眼鏡を外して裸眼になれたらもう少し格好が付いただろうに。残念ながら初めに彼女が言った通り、私はもうとっくにそのままで生活出来るような視力を持ち合わせていなかった。





「私はずっと、貴女を羨ましく思っていました」
「……私を?」
「術式が使える貴女にほんの少しだけ嫉妬して、それに自己嫌悪するような、器の小さい男です」
「い、じち、」
「でも、私はその分貴女に憧れていました。貴女の笑顔に元気を貰っていました」





私にとってあなたは、唯一無二で、たったひとりの、大切な同級生です。息継ぎもせずに言い切ったその言葉に嘘はない。嘘はない、が、怖気付いたのは事実だ。本当はまだ言いたいことがあったはずなのに、それを言えるほど私には自信も、勇気も、足りなかった。暫く目を丸くして黙り込んでいた彼女は、ふ、と詰まっていた息を抜き、それから、蕩けて流れてしまいそうな、どうしようもなく私が好きな顔で笑ったのだ。






「好きな人だ、くらいは言ったらどうなの?」





彼女のぼやいた私へのクレームは尤もで、あまりの不甲斐なさに肩を竦める。伊地知のばか。そう零した彼女は晴れやかだった。






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