とりあえず俺はこの屋敷の主に挨拶をして藍の待つ客間に帰った。
どうやら主は今回関係がなさそうで、いかにもお人好しな感じが出ていた。
『お帰りなさい、あなた(どうだった?)』
「あぁ。とても素晴らしいお方だったよ(恐らく屋敷の主は関与していなさそうだ)」
『そう、私も落ち着いたらお逢いしたいわ(なら夜までゆっくりしよー)』
「そうだな(余り気を抜くなよ?)」
矢羽音を交わしながら会話し、足を伸ばしている藍の素肌から目をそらした。
下手すれば危険だと言うのに、彼女は肝が据わっているのか緊張感がないのか…
小さくため息をついて足を崩す。
『あ、さっき女中さんが来てお夕飯ご馳走してくださるそうよ』
「そうか」
『兵助はお豆腐が好きって言っておいたからきっと出してくれるわ』
「え、」
『ん?』
嬉しそうに両手を交差させた藍に思わず目を見開いた。
たまに話すことはあっても、俺が豆腐好きだなんて言ったことはないのに。
俺は回りに気配がないか確認して藍に問い掛けてみた。
「…えと、何で知ってるの?」
『兵助が豆腐好きなのは皆知ってるよ』
「そ、そうなんだ。て言うか名前、」
『あ!ごめん、呼び捨てにしちゃった』
「い、いや!良ければこれが終わってもお互い名前で呼び合いたい」
皆知ってるとは言え、少しでも俺の事を知っていてくれたことに嬉しくて、つい調子にのって名前で呼び合いたいなんて言ってみた。
彼女の反応が返ってこないことに内心まずかったかと顔色を伺う。
「藍…?」
『私、男の子を名前で呼ぶの兵助が初めて』
「っ、お!俺も」
『まぁ、私たちはいい印象ないだろうからね』
困ったように笑う藍に、そんな事ないよと言おうと思ったけど、確かにくのいちの子たちにはいい思い出がない。
嫌いと言う訳でもないんだけど…
「でも藍は、凄くいい子だと思ってるよ。明るくて聡明で…笑顔が可愛くって…て、何言ってるんだ俺」
『兵助、ありがとうっ!お世辞でも嬉しいよ』
「うわ…っ!?」
思わず口に出た言葉に自分で照れていると藍が抱き着いてきた。
柔らかい感触が頬に触れてそのまま押し倒されるように畳へ体を投げ出す。
やばいやばい、この体勢はさすがにまずいのだ…!
藍は余程興奮してるのか俺の言葉を復唱しながら顔は見えないけど喜んでいるみたいだ。
『初めて男の子にそんな事言われた!』
「あ、あの…藍、そろそろ」
『兵助もかっこよくて頭よくて、とっても優しいよね!』
「…かっこ、いい?」
『うん!』
くのいちにしては少し豊過ぎる胸から必死に顔を上げてみれば、顔を赤くして頷く藍にいよいよ俺の理性が崩れかけてくる。
何それカッコいいって、期待するからやめてってかいい加減この体勢本当にまずい。
必死に昨日風呂で一緒になった三郎と八左ヱ門の股間を思い浮かべて一瞬で吐きそうになった。
「失礼します、あら…仲のいいご夫婦ね」
『きゃ、ごっごめんなさい…』
「すすす、すみません」
「こちらこそお邪魔しちゃってごめんなさいね。お夕飯が出来たのでお持ちしました」
いきなり襖が開いて、姿を現したのは二人の女中さんだった。
はしゃぎすぎて忘れる所だったけど、俺達は今実習中で色恋なんてやってる暇じゃない。
素早く藍と体を離して女中さんに謝ると、ある程度歳のいった女中さんが穏やかに微笑む。
「さ、召し上がって下さい。奥様にはあっさりとした物を入れてあります。旦那様にはお豆腐を多めに」
『何から何まですみません、助かります』
「いいんですよ、お二人とも美男美女だからお子さん楽しみだわ」
「ありがとうございます」
「では、ごゆっくり。また少し経ちましたら膳を下げに参りますね」
「はい」
女中さんは礼儀正しく頭を下げて出ていった。
襖が閉まる途中、ずっと廊下に控えていたもう一人の女中の視線が俺たちを探るようなものだった事くらい俺も藍も分かってる。
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