「兵助」
切っ先が男に刺さろうとした瞬間、腕が何かに包まれたと同時に優しい愛しい声が俺の名前を呼んだ。
ピタリと止まった俺に、失神したのだろう男は白目をむいて倒れている。
「宵月…?」
「兵助!!何をしているんだ!」
「さぶ、ろ…」
彼女の姿を探そうと視線を彷徨わせ辿り着いた所にはいつもの雷蔵の仮面をした三郎がいた。
いつもの飄々とした表情は焦りに変わっていて、俺に走り寄ってくる。 ふと腕にあったぬくもりが消えた。
「お前…っ、」
「あぁ…さっきの声は三郎か」
「…は?」
きっと今の俺は表情なんてものがないのだろう。 さっき聞こえた彼女の声は俺を止めるために三郎が声を変えたのか。
力なく下した手はすでに苦無を握る握力は残っていなかった。
ふと三郎を見上げてみれば、困惑したような表情。
「なん、だ…」
「ちょ、ちょっと待て。私はさっきの一度しかお前の事はよんでないぞ」
「は?そんな嘘つかなくていいぞ」
「本当だ。俺が駆け付けた時にはお前は動きを止めていた…」
三郎の表情にウソはなかった。 それなら、さっき俺の名前を呼んだのは…
目が見開いた瞬間視界に風に舞う桜の花びらが一枚俺の目の前に落ちる。
今は冬、桜なんて咲く時期ではない。
柔らかく扇状に揺れる花びらが何故か彼女の姿に見えた。
「兵助?どうかしたのか?」
「…うん、宵月が俺を引き戻してくれたみたいだ」
「……そうか」
「信じてくれるのか?」
「そりゃあ、お前の顔見れば分かるさ」
流れ出ている涙を隠すように、三郎が持っていた狐の仮面を顔に被せられた。
あの腕に感じた温もりは間違いなく。
会いたくて、苦しくて、流れ出た涙は制圧を終えた利吉さんや食満先輩が来るまで止まることはなかった。
仮面から少し見えた三郎も泣いていた気がした。
「兵助!!」
「八、左衛門…」
「来い!お前に教えたい場所がある!!」
戦は終わり、一人皆と離れた場所にいた俺を呼んだのは子供たちを連れて行ったはずの八左衛門だった。 後ろには他の五年も居る。
「…悪い、今は一人に」
「そんな事言ってる場合じゃないんだよ、兵助!」
「僕たち、あの子たちから教えて貰ったんだ!」
「いいから来い兵助!」
いつになく大きな声で叫ぶ同級生。 動かない俺にしびれを切らしたのか三郎が俺の手を引いて走り出す。
今更どこに行こうと言うんだ。 そう思いながら重い足を動かす。
「久々知さん!」
「おにーちゃ!!」
手を引かれたまま辿り着いた場所には子供たちがいた。
そしてそれを守るように咲く、
「桜…?」
連れてこられたその場所は狂い桜の咲く丘。 風に舞う花びらが俺を包む。
脳内に蘇る彼女と会ったときの光景。
「宵月」
そう呼べば俺の傷だらけの体が温かい何かに包まれた。
瞳を閉じてその温もりに身を委ねる。
『兵助』
小さな声が俺を呼ぶ。 この声は、彼女だ。
ゆっくりと瞳を開ければ花びらに紛れて佇む宵月が居る。
「宵月…」
『傷だらけだな』
「うん、そうだな」
『心配したんだぞ…』
彼女の体が俺に近寄り抱きしめる。 周りを見ても誰も居ない。
触れたら消えてしまいそうなその体をゆっくりと抱きしめた。
桜の香りがする。
『兵助、すまない…』
「何で泣くの」
抱きしめているから彼女の表情は見えないけど、泣いている気がした。
『傷つけた…下級生たちも、六年の子たちも…そして、お前の友も』
「大丈夫だよ。俺たちは強いから」
『何よりお前を…っ、』
「宵月、俺の事も皆の事も守ってくれた。ありがとう…ごめんな」
悲しそうな彼女の雰囲気に俺は言葉を遮る様に口を開いた。
謝ってほしいなんて思ってない。 だた、
「宵月、俺はまだそっちに行けない。でもさ、笑っててくれないか」
『何を…当たり前じゃないか!でも、私に笑う資格など…』
「そうじゃなきゃ、皆も泣いちゃう。勿論俺も」
そう、笑ってくれなきゃ俺たちはいつまでも悲しみに囚われてしまうんだ。
宵月が大好きな後輩たちも、先輩も…俺たちも。
「もうこんな事が起こらないように、宵月は笑っててくれ」
彼女が息を呑む音が聞こえた。 見ててくれたんだろう、俺が復讐に囚われそうになったのを。
それを助けてくれたのも、宵月なんだろ?
彼女のせいにする訳じゃないけど、
「俺、宵月の笑った顔が見たいんだ」
『へ、すけ…』
「見せて、俺の大好きな宵月の笑顔」
ゆっくりと体を離して顔を覗き見れば目を赤くした彼女が驚いたように見開いていた。 あぁ、忍という業をなくした彼女はこんなにも人間らしいのかと場違いなことを思ってしまった。
本当なら生きているときにその顔を見たかった。
「笑って…宵月」
『っ、うん…!』
「…うん、可愛い」
ふわりふわりと桜が舞った。 すこし離れた俺の目の前には柔らかく笑った宵月が居た。
やっと、見れた。
俺もつられる様に微笑む。
『兵助、ありがとう…あの子達を助けてくれて』
「俺だけの力じゃないよ」
『あぁ、あの子達にもありがとうと伝えてくれ』
「うん」
段々と薄れてくる桜に別れが近いのだと気付く。
仕方ないことだとわかっているのに、別れたくないと心が軋みそうになる。 折角笑ってくれたのに、
「宵月」
『兵助、愛してる。でもな、ちゃんと幸せになるんだぞ』
「俺には宵月しか居ないよ」
『今はそうでも、ちゃんと愛する人がいつかできる』
ゆっくりと彼女の冷たい手が俺の頬を撫でる。
俺が言いたいことが分かってるかのように困ったように笑って額に唇を落とす。
『お前が幸せにならないと私は成仏できそうにないじゃないか』
「しないで俺の傍に居ればいい…」
『そうもいかないさ。だってあいつらをきちんと見送らなくては』
「え…?」
後ろを振り返った宵月に習って視線を上げれば桜の木本に立つ彼女の忍隊の人たちが居た。
「もう、久々知君たら死んだ宵月様をも独占する気ぃ?」
「か、が里さん?」
「お前はいつまでも宵月に自縛霊のようにしていろと言うのか」
「誠士郎、さん」
「若いのう」
「呉座さん…」
覆面をとった彼らが困ったように俺を見ていた。 なんとなくだけど、誰が誰か分かる。
かが里さんの隣には笑ったあけ里さんも居る。
「久々知様、宵月様が困っていますよ」
「あけ里さん…!」
『なあ兵助』
あけ里さんたちに何もいえないで居る俺に柔らかな声が掛けられる。 誰かなんて分かってる。
『私たちは先に未来で待ってるよ』
「よいづき…でもっ!!」
『だから、なるべくゆっくりおいで』
心に響く落ち着いた声で彼女が笑う。 今まで我慢していた涙が頬を伝う。
消えてしまう…だって皆の体が透けているんだ。
もう、泣くのはやめにしたのに
しっかりしないと
「俺…俺必ず見つけるよ。記憶がなくても…」
『うん』
「ちゃんと最後まで生きて、生まれ変わったら…今度は平和な世界で宵月を嫁にもらう!!」
『うん…待ってる』
「愛してる…愛して…愛してたよ、宵月」
そう言えば彼女は嬉しそうに頷いた。
柔らかな黒髪が風に乗ってふわりと靡く。
もう、さよならなんだ…
待ってと言ってしまいそうな唇を噛み締め、掴んでしまいそうな手を握り締めた。
「宵月」『兵助』
「『ありがとう』」
その瞬間目も開けていられないような風が吹いて桜の花びらが舞い上がった。
やっと目を開けたとき、そこに宵月たちはいなかった。
後ろから視線を感じて振り向けば、こっちを心配そうに見る仲間たちが居た。
「兵助?」
「宵月たち、笑ってたよ」
「…そっ、か」
俺がそう言えば安心したように笑う。 子供たちも分かったのか無邪気に歯を出して笑った。
ふと宵月の頭巾がするりと解け地面に落ちる。
まるで役目は終わったというように。
「…宵月、またな」
俺の大好きな、人。
今はまだ忘れるなんて無理だけど…いつか会えるその時は絶対に幸せになろう。二人で。
それまで俺は生き続けるから。
最後まで…
子供たちは翌日に兵庫水軍に送られ、遠い国へ行った。
(無事を祈るように桜が舞い散った気がした)
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