彼女が学園を卒業した後も、互いの休日は出来るだけ会っていた。
たまには無理矢理三郎も入れて雷蔵たちと一緒に出掛けた。
四年に上がって、実習が増えても彼女を思えばどんなに辛くても頑張れた。
あいつらが、友だちが、居ない彼女の変わりに励ましてくれたりもした。
そして彼女はその強さと信頼により、忍隊の頭になったとこの前聞いた。
三年と言う越えられない壁が更に高まったような気がした時もあったけど。 それは何故か誇らしくも感じた。
『兵助』
「わ、!」
『…気配を消したつもりはないが、お前もまだまだだな』
「なっ…ただ俺は考え事をしてただけで」
『そうか。私の事だったら嬉しいな』
何時もと変わらない無表情で縁側に腰を下ろした彼女が微笑む。
そんな彼女の横に桶に入った豆腐がふと目に入った。
『…あぁ、少し遠くに行く用事があってな。人気があると聞いたので兵助に買ってきた。一緒に食べよう?』
「うん…なぁ宵月」
『どうした?』
「ありがとう。豆腐も嬉しいけど、忍務の時でも俺の事考えてくれてた事が何より嬉しい」
『まるで私が忍失格みたいだな』
「そんな事ない」
忍務の事は話せないけど、それとは無関係な遠方の話を彼女はしてくれる。
お土産も必ず持ってきてくれる。
豆腐関連の物が多分一番多いかもしれない。
この前は大豆と水を持ってきてくれたから、次に来る日付を決めて彼女に作ってあげたりもした。
別段好物でもない豆腐をいつも一緒に食べてくれて、俺がどんなにゆっくり味わって食べていても不服を言う所か幸せそうな顔で俺を見つめる。
それが俺にとっても幸せで、一番の楽しみでもあった。
「宵月は好きなもの、ある?」
『兵助』
「いや、嬉しいけど食べ物の話」
『…食べ物か』
どこか男前なのは男に混じって過ごしていたせいか、たまに俺が恥ずかしくなるような回答をいとも容易く彼女は投げ掛ける。
普通逆だよなと思いつつ、考える彼女を見つめた。
『豆腐、だな』
「え?」
『豆腐を食べてる幸せそうな兵助が私を幸せにしてくれる。だから、豆腐』
「…そ、そう言う恥ずかしいことを宵月は」
『恥ずかしくなんてない。私は兵助が大好きなんだと心から思ってるから』
そう言って少しだけ頬を染める。
その日、豆腐を食べた後で俺は外泊届けを出し学園の外へ出た。
「…ん、」
『どうした?』
「ちょっと待ってて!」
『分かった』
白地に橙色の花が咲いた小袖を着た彼女を措いていくのは気が気じゃなかったけど、あの美しい黒髪を透すような櫛をどうしても送りたくなって小間物屋に走った。
一瞬しか視界に入らなかったのに、どこか存在感があるその櫛を買って彼女の元へ戻る。
『兵助、宿はここでいいか』
周りは薄暗くなり、そろそろ宿でも決めようかと話しているとひっそりとした宿屋を彼女は指差した。
ここは、そう思って彼女を見ると困ったように眉を下げている。
『別にそういう事をしなくちゃいけない決まりはない。イヤなら別のところを…』
「逆に、いいの?」
『兵助、私はお前じゃないとイヤだよ』
困った顔のまま、照れたように頬を染めて俺の袖を掴んだ彼女はまるで普通の町娘のようだった。
四年に上がって色の実習はせずとも、それなりの知識は教えられた。
俺は彼女の手を優しく握って、宿屋へ入る。
これが、俺と彼女の初めて。
「あ、宵月」
『ん?』
「こ、これなんだけど…」
『これは、櫛…?』
「うん。簪はきっと余り使わないだろうし、櫛ならその…毎日髪は結うから使えるかなって思って」
恥ずかしい話、何かをあげた事がなかった俺は風呂上がりの彼女に緊張しつつ先程買った櫛を渡した。
彼女は俺が緊張で口数が多くなるのも気にせずただひたすらに貰った櫛を見ている。
『…っ兵助!』
「わ、」
『ありがとう、とても…嬉しい。大切にする!』
「…うん」
櫛を大切そうに両手で抱き締めた彼女の瞳が潤んで、興奮したように俺に体ごと突進してきた。 もう一つの彼女の可愛い一面。
それが俺にとっても凄く凄く嬉しくて、力一杯彼女を抱き締めた。
それから俺は五年生になるための試験を突破し、彼女との関係も今まで通りに過ごした。
『兵助』
柔らかい笑みで、鈴のような美しい声で俺を呼ぶ。
彼女の為なら何だって頑張れる。
その笑顔があるなら、俺は。
そう思っていたのに。
願いは呆気なく散ってしまった。
浮かぶ橙
(思い出すのは君の笑顔)
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