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 才能という言葉で片付けてしまうのが、一番手っ取り早い。才能、ギフト、生まれたときに選ばれし者だけが神様から贈られるもの。七咲ニコルは選ばれて、あたしは。


「リンってば」

 目の前に、手のひら。身体を震わせてその主を見上げれば、案の定ウミは不機嫌そうな顔をしていた。勝ち気な瞳とさらりと流れる黒髪が印象的――というほどでもないが、そこそこの美人だ。いや、あたしたちの年齢だと美少女というのだろうか。

「ごめん、考え事」

 神様は、何をもって人を選ぶのか。世界は、なぜこんなにも冷淡で残忍なのか。あたしたちは、なぜ売れないのか。

「今更考えたって何になるのよ。どのみち順番は変わんないんだから」
「……そだね」

 あたしのなんとも情けない声が楽屋にぽつりと落ちた。ウミはため息をついただけで、言い返してこなかった。無機質な箱のなかに沈黙が落ちかけたが、高坂が場をとりなそうと立ち上がった。

「出場できただけでもすごいことなのよ。初出場、本当におめでとう」

 あたしもウミも「ありがとう」とは言わない。マネージャーのこの台詞は、今日までに幾度となく聞いていたからだ。年末の恒例、紅白歌合戦。数々のグループが出場を切望する伝統あるライブだ。選ばれること自体、誉れ高い。現に、同じ事務所の先輩ユニットは選外だった。出場グループ発表の後、いつもは飄々としているある先輩が泣いていた。「どうしてこんな子たちが」そう罵られると思ったのに、「頑張って」と祝福してくれた。それで、あたしは勝手に「私たちの分まで」というメッセージを受信し、今まで以上に懸命にレッスンに励んだ。四組のアイドルグループによるメドレー形式でのステージのトップバッターがセブンスシスターズであると知っても、落ち込まなかった。ウミは気にしているようだけど、あたしたちシャイニーが二番手で、セブンスともろに比べられるとしても、めげなかった。
 あたしは燃えていた。リハーサルで、七咲ニコルに会うまでは。

 ステージの最後に、国民誰しもが知っているような有名な歌謡曲をアイドル全員で歌って踊ることになっている。各ユニットで練習をし、実際に合わせたのはたったの二日間だけ。けれども、その二日間すら、セブンスは参加しなかった。スケジュールが合わないから。あたしはそれを聞いて憤慨した、だけど。
 本番前日のリハーサルで共に舞台に上がり、初めて一緒に歌って、踊って、愕然とした。七咲ニコルは完璧だった。誰よりも輝いていた。あたしはスポットライトが彼女にだけ当たっているような錯覚に陥った。正真正銘の絶望だった。客も視聴者も、あたしを見ない。七咲ニコルに視線を奪われる。この子にはパワーがある。
 リハーサルでの出番が無事に終わり、舞台袖で世界の終わりのような表情をしていたであろうあたしの肩を誰かが叩いた。七咲ニコルだった。何か喋っているようだったが、何も頭に入ってこなかった。かろうじて相槌だけは打てた。左右を忙しなくスタッフや出演者が通りすぎていた。多分あたしたちは邪魔だった。でも、誰も注意しなかった。七咲ニコルのおかげに違いなかった。彼女はキラキラと笑っていた。よく笑顔がいい、と評されるあたしだけど、この子の笑顔の方がよっぽどいいと思った。

「すごいね」

 思わず、口からついて出た。すると、それまで笑っていた七咲ニコルが一瞬ひるんだ顔をした。あたしはその隙を見逃さなかった。

「そんなに上手かったら、歌うのも、踊るのも楽しいだろうね」

 あまりに素直な言葉だった。この子なら、この類の嫌味は言われ慣れているだろうとも思った。だから、見間違いだったのかもしれない。七咲ニコルが傷ついて言葉を失ったように見えたのは。ステージでは変わらずリハーサルが流れるように行われていた。その脇では大勢の人々が行き交い、叫ぶような声色で指示し合う。あたしたちは喧騒の中、静まり返っていた。ほんの数秒のことだったと思う。

「おい、ニコ。何してる」

 背後から涼やかな声がした。声の主が誰なのか、振り返らずともわかっていたが、これ以上彼女と向き合っていたくなかった。羽生田ミトはステージからそれほど経っていなかったのに、汗ひとつかいていなかった。作り物のように滑らかな肌は皮の剥いたゆでたまごというより、陶器のようだった。

「次があるんだ、行くぞ」

 抑揚のない声色にぞくりとした。

「わかってるってー。リンリンに挨拶してから!」

 リンリンってなに?そんな仲じゃないじゃん。

 つい言い返しそうになって、拳を握った。握った途端、聴覚が戻った。クリアに聞こえていた羽生田ミトの声が遠くなる。七咲ニコルの声にも雑音が乗る。怒りが、あたしを元の世界に引き戻した。この子を本番で見返してやろうと睨むように見下げたら、何故か穏やかにほほえみを返された。

「楽しいよ。歌もダンスも、好きだから」

 いつもの軽薄な空気は一切感じられなかった。一人の人間の言葉だった。あたしがこの子に「すごいね」と言ったのと、同じ種類のもの。七咲ニコルはあたしと目が合うと、さらに目を細めた。水色のツインテールがひらりと揺れた。

「明日もヨロシクだず!」

 親指を立てて、ウインク。あたしは七咲ニコルの背中が見えなくなるまで眺めていようと思っていたのだけれど、すぐに通りすがりのスタッフに遠回しな表現で邪魔だと言われてしまった。


   *



 廊下はざわざわとしているのに、扉一枚隔たった場所はまるでお通夜だった。あたしもウミも、躍る気分ではない。だけれども、そういうわけにもいかない。歌って、踊って、笑うのが、あたしたちの仕事だからだ。

「ウミは、ダンス好き?」
「何言ってんの?」
「ダンスが好きかって聞いてんの」

 自分でも何を確かめたいのかわからなかった。マネージャーが不安そうにあたしたちを見守っている。本番前に喧嘩なんてされたら、たまったものじゃない。そういう視線だ。今日はただの配信とはわけが違うのだ。

「好きじゃなきゃ、ここでこんなことしてないっつーの」
「だろうね」
「一体なんなのよ」
「踊ってるとき楽しい?」
「……それなりにね。で、なんなの?」
「今日も楽しもうね」

 あたしの予想を裏切って、ウミは「そうね」と答えた。あたしの質問をどうとらえたのかはわからない。多分だけれど、ウミも今それどころじゃないのだろう。来年のあたしたちはセブンスシスターズのステージを配信で見ているかもしれないからだ。今回が一世一代の舞台になる恐怖を、あたしたちは分かち合っているのだ。突然、ウミが愛おしく感じた。


 舞台袖で、あたしとウミは手を繋いでいた。ホールはセブンスシスターズの熱狂に包まれている。いや、この場だけではない。世界がセブンスシスターズに湧いているのは間違いなかった。誰からも愛されるアイドル。彼女たちの前では、あたしたちなんてただの女子高生だ。割れんばかりの喝采、この後に出て行くのか――

「すごいね」

 あたしの声はかすれていた。

「そうだね」

 ウミもそうだった。

 神様に見捨てられたあたしとウミは凍えてしまいそうだった。膝が笑う。足がすくむ。迷子の子供のように手を取り合って、寄り添う。

 歌が終わり、後奏に移ると共に、拍手の轟音でホール全体が揺れた。シャイニーに舞台に上がる指示が出て、あたしたちは目配せをする。名残惜しく指をほどき、ステージへと早歩きで向かう。胸の鼓動が速く大きくなっていくが、それすら掻き消す拍手喝采だった。舞台が暗転する。ステージの上はあまりに暑く、すぐにこめかみに汗がつたう。袖とは比べ物にならない熱気だ。立ち位置について顔を上げると、七咲ニコルの背中が目に飛び込んできた。その奥には数々の光がきらめいていて、眩しかった。あたしは、これほどの声援を浴びたのは初めてだ。いまだかつてない熱狂に包まれながら、それがだんだんと収まっていくのを肌で感じた。ひどく孤独だった。数メートル隣でウミも同じ思いをしているのだと言い聞かせねば、立つことすらできないかもしれない。

 こちらから客席の一人ひとりを識別することはできなかった。もちろんホロコンでこの配信を見ている人々の顔も見ることはできない。十年、いや、五年後。誰かあたしのことを覚えていてくれるのだろうか。



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t7s/だらだらと頭から書いた文章。
ハルのエピソードのコニーさんの言葉と、ニコ様がなんでコニーさんになったのか考えながらだらだらと。
好きです、t7s!



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