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 寿がバスケをやっていたなんて、初めて知った。でも知らなかったのはあたしだけだったみたい。

 鉄男に「奴はもうここには来ねえ」と言われたときの喪失感は意外にも大きくて、だからこそあたしは寿に連絡したんだと思う。


「遅ぇじゃねーか」

 午後八時十三分、指定の場所に寿はもう来ていた。いつもはちょっと遅れて来てもまだいないくせに、今日はもういた。顔はみっともなく腫れていて、目の横は青くなっている。勲章ばかりに包帯が巻かれた頭を見ると、大げさすぎて心配よりも先に笑いが込み上げてきた。

「なにそれ、ダッサ」
「うるせー。で、なんなんだよ、話って」

 この公園はうちの近くにあって、何度かここで寿と話しこんだことがある。話したのはどうせどうでもいいようなことで、その証拠にそれほど前の出来事ではないのに、あたしはその内容をすっかり忘れてしまっている。だけど、ここで寿と初めてキスをしたことは覚えている。そして、きっとあと一ヶ月もすれば忘れる。

「寿ってバスケしてたの?」

 謝罪の言葉もなしに、あたしはブランコに腰かけた。この小さな公園にある遊具はブランコと寿が寄り掛かっている背の低い鉄棒だけだ。そして、公園の奥、道路からは見えない位置にある粗末なベンチであたしたちはキスをしたのだ。

「鉄男から、聞いたのか」
「誰からでもいいじゃん。してたの?してないの?」
「…してた」
「ふうん。じゃあホントなんだ。またバスケするっていうのも」

 それは竜から聞いた。多くを語ろうとしない鉄男の代わりに竜がそれなり詳しい事情を聞かせてくれて、とどめに一言。
「お前と三井、もう終わりだよ」
 だろうなと思った。健全なスポーツマンに成り下がった三井とあたしではどう考えても釣り合いが取れない。曖昧なまま終わるよりもけじめをつけたかった。あたしは白黒ハッキリさせたがる性格なのだ。

「ああ」

 そう答えた寿の瞳が今までに見たことないくらい強い意志をこめていたので、あたしは少し悲しくなった。置いてけぼりにされた気分になって、ブランコから勢いよく立ち上がる。

「あの店には、もう来ないんでしょ」
「ああ」
「ふうん」

 淀みのない答えにあたしも踏ん切りがついた。ドキドキと鼓動する心臓に言い聞かせる。寿は掃き溜めから抜け出せたんだ。これは祝福すべきことなんだ。待ち受けているであろう輝かしい未来を見据えていた寿の目が彼にゆっくりと歩み寄るあたしに焦点を合わせる。履き潰したローファーは歩けば必ず足音が鳴る。

「目ぇつぶって」

 寿が不思議そうにあたしを睨み下ろした。だけど、ちっとも怖くない。あたしは寿を怖いだなんて思ったことは一度もない。

「早く」

 冷静な口調で急かすと、寿はいぶかしげに両まぶたを下ろした。左目の周りの方がより青あざが目立っていたけれど、あたしは右利きだからこの際仕方がない。

「バイバイ」

 きっぱりと宣言してから、あたしは寿の左頬に力いっぱい手のひらをぶつけた。ドラマで聞いたようなぴしゃりといういい音は鳴らなかった。あたしの叩き方が悪かったのか、寿の頬が悪いのか、それともあんな音は偽物なのか――どうしようもないバカだからわからない。

「いってえ!テメェ、なにしやが――」
「がんばれよ!」

 頬をかばいながら怒鳴りつける寿を遮って、あたしは捨て台詞を残し、逃げた。手のひらがじんじんと痛かった。誰にでもいいから抱かれたくなった。そこらへんのサラリーマンでも、あたしと同じように世間のなんの役にも立たないろくでなしでもいい、慰めてほしかった。


痛いの痛いのとんでいけ



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スラムダンク読み返して再熱しました。




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