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 成人式の後、同窓会があって帰ってきたのは日付をまたいでからだった。私は寝静まった両親を起こさないように出来るだけ静かに階段を上り、細心の注意を払って自室のドアを閉めた。そのままクローゼットを開き、アルバムを手に取ってベッドに座った。入学から順番に並べられた中学時代の写真の中から目当てを探していると、予想通りすぐに見つかった。入学して直後にあった新入生キャンプで、私とシーナちゃんは同じ班だった。

 中学一年生の東堂とシーナちゃんと私とクラスの女の子が四人並んでいる写真。
 どういう状況でこの写真が撮られたのか全く覚えていない。大方東堂がシーナちゃんの様子を見に来て、たまたまその辺にカメラマンがいたとか、そういう取るに足らない事情だ。私はデジカメの例の写真とそれを見比べた。二枚の写真は偶然並びも同じだった。
 ハタチの東堂とシーナちゃんと私とマヤ。
 お澄ましのシーナちゃんとキメ顔の残り三人。私は可笑しくなって一人でにやにやしていた。変わらない。本当に変わらない。



   *



 固く閉ざされていた記憶の扉がひとりでに開いた。
 小学校のとき、東堂はクラスの人気者でことあるごとに「尽八、尽八」と慕われており、そういえば私も昔は彼を尽八と呼んでいた。しかも、例にもれず東堂を好きだった。小学校低学年だからもう十年以上前になるが。

 では、名前で呼ばなくなったのはいつか。記憶の中の私がどんどん成長していく。小学校の卒業式、中学校の入学式、新入生キャンプ、体育会。多分この頃だ、一年生の夏休み前。

――東堂くんを名前で呼んでるけど、好きなの?

 別の小学校出身の女子がそういう意味合いのことを私と同じ小学校の女子に尋ねた。思春期にありがちな勘違いである。しかもそんなことを聞いたくせに東堂のことを好きだったのは質問を投げかけた方の女子で、女というものは年齢にかかわらず女だから恐ろしい。彼女はこの年でライバルを牽制しようとしていたのである。ともあれ、それをきっかけに大体の女子は東堂と彼を名字で呼ぶようになった。


 私は「変わらないこと」をかっこいいと思う。それは真ん中に芯が通っていてぴんと背筋が伸びた強い人だけが起こすことのできるミラクルだ。もちろん何一つ変わらないのは不可能だし、それはただの成長しない人間である。そうではなくて自分の譲れない部分に誰も侵入させることなく守ることに憧れるのだ。そう、あの二人みたいな。



   *



 私の少し長めの冬休みがもうすぐ終わってしまう。大阪の自宅のドアを開けると箱根とはまた違った種類の冷たい空気が私を歓迎した。誰もいない八畳の部屋は恐ろしく静かで味気なく感じた。明日から大学だ。大学に行けば、嫌でもアイツと顔を合わせなければならない。

――ほんま、ごめん。別れてくれ。

 大学に入ってすぐに付き合いだした元彼。たまたま二人とも神奈川の出身で早くから意気投合した私たちは五月にはもう付き合っていた。そして去年の十二月、約一年半の付き合いは幕を閉じた。理由は至極単純で、奴に他に好きな人が出来たからだ。私が寝込んでいたクリスマスをアイツとその子が楽しく幸せに過ごしたことをSNSで知り、SNSが実に残酷なツールか思い知った。


 元彼は変わっていった。徐々に関西弁に馴染んでいき、私の知らない友達が増え、今まで興味のなかったものに惹かれるようになった。

――そんなヒールの高い靴、はかんといてや。

 きっかけは去年の夏に言われたこの台詞である。奴はヒールの高い靴が私の唯一といってもいいアイデンティティーだと知った上でこう言いやがったのだ。それは奴が百六十七センチで、ヒールをはいた私より小さいからに他ならない。その言葉を聞いたとき、私は彼との別れを予期した。けれど一度くっついた心はそう簡単に離れていかなくて、私はほとんど初めて三センチヒールのサンダルを買った。自分のプライドを破壊してまで、彼に合わせようと思ったのだ。でも、その結果が先月の悲劇である。新しい環境に馴染めない私が悪いのだと思っていた。二人に再会するまでは。


 伏せていた写真立ての中身はすでに空になっていて、実家から持ち帰った例の写真を入れた。今も変わらずかっこいい、私のアイドルの中学時代のお宝写真だ。

 私は荷物から紙袋を取り出した。町の雑貨屋さんで買った、寄木細工の写真立てだ。年始から高価なものばかり買ってしまったが、黒いブーティもこの写真立ても今の私に必要不可欠なアイテムなのだから致し方ない。現像したての写真を収めて二つを隣に並べれば、腹の底から勇気がみなぎってきた。


 今度は百七十二センチの私を愛してくれる人を探そう。訛れない私を馬鹿にしない人で、東堂みたいにかっこよかったら尚更いい。



<終>




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