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 式典中は振袖の着付けのために早起きしたせいでうとうとしてしまった。紫色の振袖はお母さんと一緒に選んだもので、桔梗の柄が全体にあしらわれている。女子たちは皆一様に振袖を着て、髪をアップにして、濃い化粧をして、そして今は写真撮影会の最中である。もちろん私も例外ではなく、久々に再会した友人たちと仲の良さにかかわらず、片っ端から写真を撮っていた。撮りつ撮られつを繰り返し、「今大阪で大学生。関西弁に馴染めなくって大変だよ」と何度も近況報告をした。中には名前を思い出せない人も何人かいたが、それは向こうも同じだったんじゃないかと思う。とりあえず私は成人式という人生の一大イベントを迎えて舞い上がっていた。

「見て。東堂くん、すごい人気」

 友人の人差し指の先には紋付袴姿で女子たちと順番に写真を撮っている東堂がいた。女子に囲まれて上機嫌の彼は高笑いをしては女の子のリクエストのままにポーズをとったり肩を組んだりしていた。黒の羽織と縞の袴がよく似合っている。

「いいなぁ、羨ましい。私も撮ってもらおうかな」
 別の友人が甘い声でそう漏らすと、「いいね、行こう」と指をさした友人が待ってましたと彼女を連れて行ってしまった。たまたま彼女たちと写真を撮り終ったばかりだった私はその場に一人取り残されたわけだが、皆もあらかた撮影大会を終わらせ雑談に花を咲かせていたようだったのでそれに加わることにした。

 五年ぶりに会う同級生たちは男子も女子も大人っぽくなっていて、中にはすでに家庭を持っている人もいた。皆の話を聞いていると私だけ置いて行かれたような気持ちになって、いつの間にか息を止めていた。まるで小学校の理科室にある人体模型のように、楽しく話している右半身と内側が不安で満たされた左半身に分かれていく。けれどこのめでたい席でそれを悟られるわけにはいかず、作り笑いを維持することに努めた。大学に入学してからかなり上達した気がする。

「あかね、今大阪にいるんだって?」

 突然話を振られて私はまごついたが、かろうじて「そうだよ、大学二年生」と返事ができた。声の主はマヤだった。マヤとは中三のとき一番仲が良かったけれど、高校に入ってからお互い忙しくて疎遠になっていた。お互い忙しくて、というのには語弊があるかもしれない。忙しかったのは主にマヤの方だった。彼女は箱根学園に進学して、強豪自転車部のマネージャーになったため、高校時代は平日も休日も部活に追われていた。

「そのわりに関西弁出ないね」
「そりゃあ話す相手がマヤだからね。そうでなくても、私大阪弁ほとんどうつってないんだ」

 マヤは驚いた様子で「私なんか京都出身の子と一仲良くなって、ちょっとうつっちゃったよ」と笑った。私も一緒になって笑いたかったが、それが出来そうになかったので話をそらすことにした。

「東堂、すごいね。高校でも人気だった?」
 相変わらず女子たちをはべらせている東堂をマヤは軽蔑の眼差しで見て「人気だったよ」と言い置いてから吐き捨てるように言った。

「東堂なんかのどこがいいんだか。顔がいいのは認めるけど、中身が残念じゃん」
「厳しいね。逆にああいう性格だから女子も安心して群がるんじゃないの」
「群がって欲しくてああいう態度とってんのよ、アイツは」

 流石十二年来の仲である。全くもって容赦がない。悪口を言われているとも露知らず、東堂は依然として女子に愛敬をふりまいている。マヤの言っていることも分からないではない。先日本屋で会ったときには感じなかったが、東堂の軽薄さに磨きがかかっている気がした。

 しばし東堂を観察していると、彼の周りにいる女子たちの隙間から白い振袖を誰よりも美しく着こなしているシーナちゃんがベンチに腰かけているのが見え隠れした。東堂を待っているのだろうか、読書をしている彼女の姿はまるで絵画のような麗しさを感じさせた。

「シーナちゃんは東堂があんな風にしてて、嫌じゃないのかな。長年の慣れというか余裕ってやつ?」

 私が東堂の恋人なら、あんな光景は見るに堪えない。それとも幼馴染だと聞くあの二人の年月を前にすれば東堂の女好きなど、気にするに値しないことなのか。それとも、あの周りに無頓着なシーナちゃんさえも鈍くなっていくことは避けられなかったのだろうか。私が見るからに複雑な顔をしていたからか、マヤは困ったように笑った。

「勘違いしてるみたいだけど、あの二人付き合ってないからね」
「えっ、嘘でしょ」

 心臓がどくんと跳ねた。このハンバーガーの肉、実はミミズなんだよ。そう言われたのと同じ気持ちになった。

「気持ちは分かるよ。私ですらたまにアレ?って思うときあるし。でもあの二人、ただの幼馴染なんだよ。高校のとき、東堂は彼女いたしね」

 私は再び驚きの声をあげた。初めて知った。中学の時の友人とはあまり連絡を取っていなかったせいかもしれない。とにかく私は傍目から見れば間違いなく恋人同士である二人が単なる幼馴染だという事実を簡単には受け入れられなかった。疑いの目線をマヤに向ける。もしかして、からかわれているのだろうか。

「高三のときシーナが日本に帰ってきててさ、彼女と修羅場になっちゃったのね」

 マヤの話によると、インターハイでの東堂の勇士を見るために帰国したシーナちゃんを彼女さんは快く思わなかったらしい。当然である。自分の彼氏がただの幼馴染とはいえあんな美人を愛おしそうな目で見つめ、慈しむのをよしとする女がいるはずがない。でも、あの二人はずっとそうなのだ。私が知る限り、およそ八年前からきっと二人は変わらぬ距離で接し続けている。むしろ変わった要因は彼女自身つまり、東堂に彼女ができたことなのではないか。

「私まで巻き込まれちゃって、大変だったんだから」

 笑い話にしてしまえるところが、とてもマヤらしいと思った。彼女のざっくばらんな性格が男女問わず友人の多い所以だ。私なら友人の愛憎劇に巻き込まれるのなんて、ごめんである。

「大変だったんだ」
「まぁ、いつまでも中学生のままじゃいられないってことよ」

 私は非難された気持ちになって、相槌すらできなかった。言い返してやりたかったが、ぐっと堪える。マヤの言っていることは間違っちゃいない。けれど、私はそう思わない。心の中で声を大にして言った。
 私はいつまでも子供のままでいたい。中学生どころか、小学生のようにフレッシュできらきらした瞳のまま、とんがっていたい。


 シーナちゃんは膝の上の本に目を落としたままだった。遠巻きに男子たちがひっそりと彼女を撮っていた。いわゆる盗撮である。

「私も撮っちゃおうかな」

 独り言のつもりで呟いて巾着からデジカメを取り出すと、マヤが「一緒に撮ったらいいじゃん」と不思議そうに言った。それができるなら、皆盗撮なんかしないよ。じとりとマヤを見ると、マヤは納得した表情で私の手を引いていった。

「シーナ、あかねが写真撮ろうって」

 いとも簡単に私の願いは叶った。シーナちゃんはちらりとマヤと私を見上げると「いいけど」と本を閉じてベンチの上に置いた。私は急に緊張して、マヤにも一緒に写るように提案し、近くにいた友人にカメラを託した。マヤも同様にデジカメを取り出す。

「おっ、珍しいメンバーだな。どれ、俺も写ろう」

 いつの間にか女子と解散していた東堂がごく当たり前にシーナちゃんの隣に立った。

「ほら、アンジュもピースしとけよ」

 東堂はシーナちゃんの手をとって無理やりピースサインを作らせた。シーナちゃんは不満そうに口をへの字に結んだが、そこで友人が「撮るよ」という合図をした。マヤと私のデジカメで一回ずつシャッターが切られた。私は憧れの二人と一枚の枠に入れて、天にも昇る気分だった。この二人は私にとって「永遠」のシンボルである。

「ありがとう」
「なに、かわまんよ。俺のような美形と写真を撮りたいと思うのは当然のことだ。成人の良い記念になっただろう」

 それを聞いたマヤがとうとう直接東堂に不平を言い始めた。二人とも声のボリュームが大きくて騒がしい上に、内容がまるでくだらない。

 やっぱり、マヤも中学生のままじゃん。そのほほ笑ましい子供のケンカを眺めていると、隣でシーナちゃんも可笑しそうにしていた。目を細めたその横顔に釘付けになっていると、シーナちゃんが私の視線に気付いて顔をこちらに向けた。今度こそ何か話さなければ。

「シーナちゃん!」

 思ったよりも少し大きな声が出て、私もシーナちゃんも驚いた。彼女が目をしばたたかせればまつげが羽ばたく音が聞こえてきそうだった。私は軽く深呼吸をしてから宣言した。

「CD、ホントに買うからね!ピアノ、頑張ってね!」

 冷たい一月の風が火照った私の頬をからかうように撫ぜた。シーナちゃんが目を丸くさせたまま硬直していたのでいたたまれない気持ちになったが、その後の彼女の言葉に心底救われた。

「ありがとう、がんばる」

 くしゃりと崩れたシーナちゃんの笑顔。彼女に笑いかけてもらったのは人生初めてで、そしてこれが最後になるだろう。




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