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新開くんは出てきますが、新開×主人公ではありません。長めです。

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 好きな人の好きな人になるのがこんなにも難しいなんて、今までろくに恋をしてこなかったオレは知る由もなかった。恋愛初心者ゆえに、どう立ち回ればいいのかおよそ見当もつかず、ひとまずアイツの男友達として隣にいることに満足している。アイツ――小林早苗とオレはそれなりに仲がいい方だと思う。小林もオレも広く交友を持つタイプではないので、異性の友人というカテゴリの中ではお互いに上位にランクインしているのではないだろうか。それなのにオレがアイツに気持ちを打ち明けない理由。なぜならば小林を好きだと気付いたときには、もう遅かったからだ。


 今から約一年前、高校二年の一月の寒い日のことだ。そういう話になったのは、たしかバレンタイン絡みだったと記憶している。オレと小林は好きな人を当てあうことになった。当てた方がジュースをおごる、ただしチャンスは一回のみ。小林が誰を好きなのか薄々知っていたけれど、それを突きつけるのが怖かった。このとき、オレは自分に観念した。そうだ、小林が好きだ。紙パックのジュース一本、百円。失恋はとてもそれには見合わない。だから予想とは別の奴の名前を言った。一パーセントでも、希望を握っていたかったのだ。

「ブー、はずれ!」

 オレの気も知らないで笑う小林がいつも以上に愛らしく、そして憎らしかった。小林が挙げたオレの好きな人の名前は全くの見当外れだった。小林はそこでたとえ冗談でも自分の名前を出すような性格ではないので、危機感はなかった。コイツはオレのことはまるで眼中にないのだな、そう思った。


    *


「おはよう」

 寒そうに肩を上げて縮こまっている、派手顔の男。席についてかばんを机の上に置くと、その上にあごを乗せて「寒い」とつぶやいた。教室の中は暖房が効いているというのにマフラーを外すことなく、両手はポケットに突っこんだままだ。

「お前、ホント寒がりだなぁ」
「まぁね。冬なんて早く終わればいいのにな」
「ロードにも乗れねぇし?」
「だな」

 オレとコイツ――新開隼人はかつて同じ部活で共に汗を流した間柄だ。箱根学園自転車競技部、全国でもトップクラスの成績を誇るわが部の中でも、新開は抜きんでて速かった。オレはというとチームロードレースでは一度もレギュラーに選ばれることなく、個人でも大した成績を残さずに引退した。凡人の部活動なんて、そんなものだ。

「おはよう」

 オレと新開が今日の時間割について話していると、運よく新開の斜め後ろの席を引き当てた小林が登校してきた。いまだマフラーを巻いたままの新開を見て、小林が笑う。

「新開くん、まだマフラー巻いてるの?そんなに寒い?」
「いやァ」
「いやあ、じゃねぇだろ。さっさと外せよ、暑苦しい」
「もうちょっと」
「外は寒かったけど、教室はあったかいよねぇ。そろそろホームルーム始まっちゃうし、」

 そこでアイツがはっとして、口をつぐんだ。おずおずと新開を指して、尋ねる。

「そのマフラー、新しいね。買ったの?」

 訊かれた新開は「ああ」と言い置いて、マフラーを人差し指で引掛ける。濃いねずみ色の滑らかそうなマフラー。言われてみれば、新開のマフラーは黒っぽいチェックのマフラーだったような気がする。

「もらったんだ」

 誇らしげにはにかむ新開を見て、「嗚呼」と思った。小林の顔がみるみる赤くなっていく。今日は十二月二十五日、クリスマスだ。ついにコイツも察してしまったに違いない。

「そうなんだ。彼女?」
「いずれ、そうなればいいんだけどな」
「へぇ、好きな人いたんだ。…知らなかった」

 小林の声が震えている。オレは固唾を飲んで見守るしかできない、臆病者だ。

「応援するよ。頑張って、その子のこと仕留めなよね」

 嬉しそうな新開と今にも泣きだしそうな小林が対照的だった。失恋の瞬間なんて見ていて気持ちのいいものじゃない。それが自分の好きな子だったら尚更だ。


 実は新開には好きな子がいるってことを、オレは密かに知っていた。知っていて、黙っていた。アイツがそれを知ったらショックを受けるだろうに、かけてやる言葉がいつまでも思い浮かばなかったのだ。傷心の小林がオレに転ぶかもしれないなんて楽観的思考はとっくに捨てていた。そして、その予想は見事に当たった。失恋したはずなのに、小林の視線の先には相変わらず新開がいた。オレと小林は同類だ。叶わない恋をどうしてかやめられない。




   *




 それから、あっという間に卒業。オレと小林と新開の関係――そう呼べるほど濃密でも複雑でもないけれど――は変わらなかった。三人はクラスメイトで、オレは小林が好きで、小林は新開が好きで、新開は好きな子を好きなままだった。

 小林が新開と結ばれなかった理由はいろいろあるだろうが、その一因を担ったのは俺だ。新開にはオレが彼女を好きだと伝えてあるのだ。われながら、卑怯だと思う。オレは小林と新開の仲を応援することなんてできなかった。彼女のように、嘘でも「応援する」なんて言えなかった。オレは卑怯で臆病な、器が小さい男だ。新開隼人その人とは天と地の差だ、わかっている。そしてこの泥臭い片思いも今日で仕舞いだ。卒業しよう。


「小林は、誰かからボタンもらわねぇの?」
「うん。欲しい人いないし」
「…東堂とか、新開とかは?」

 小林がオレの方を向く。髪の毛が風に遊ばれて、踊っている。式典は無事に終ったので、しきりに写真を撮ったり別れを惜しんだり、校門前はごった返していた。オレと小林はその喧騒から少しだけ離れた校舎の傍で、大勢の同級生たちを見守っていた。

「…いい。っていうか、予約分でもう全部ないらしいし」
「へえ、流石だなぁ」
「そうだね」

 小林はやはり新開を見ていた。黒山の人だかり。卒業生も在校生もおかまいなしに新開に群がる女子たちは、オレには狂気じみているとすら感じられる。

「あの子達はさ、」

 冷めた声色で、小林が言った。そのとき強く風が吹いて、ぞくりと寒気がした。

「新開くんに好きな子いるなんて知らないんだろうね。」

 あそこではしゃいでいる女子たちは知らない、新開の秘密。けれどもそれを知っているからとて、コイツに優越感はないのだろう。小林の方を見る勇気はなかったから、彼女と同じく新開を眺めていた。とても愛想がいいというわけではないが、邪見にしているわけでもない。自転車部で人気があるといえば、オレたちの学年では新開と東堂だが、東堂より新開のファンの方が泣いていた。新開は多分、内心面倒くさいと思っているに違いない。

「前に、好きな奴当ててやるって言ったの、覚えてるか?」
「…覚えてるけど」
「おまえの好きな奴ってさぁ、新開だろ?」

 小林が再びオレを見た。コイツの視線を独り占めするのはおそらくこれが最後だろう。そう思うと、なんだか全てがばかばかしく思えてきて、オレも左を向いた。小林は驚いているようだった。

「なんで」

 そりゃあ気付くだろう。一年半、見てきたんだぞ。

「…ぶっちゃけ、知ってたんだよ、あんときも。見てりゃ分かるよ。おまえ、いっつも新開のこと見てるしな」
「じゃあ、なんで」

 声がかすれている。むっとしているのは好きな人を暴かれたからなのか。それとも、知った上でオレが黙っていたからなのか。

「あのとき、なんで東堂くんって言ったの」

 東堂を選んだことに特に理由はない。当たり障りがなかったからだ。だからそれには答えずに、どうしてオレがとぼけてきたのかを告げることにした。今しかないと思った。心臓がぎゅっと収縮するのがわかる。

「そりゃあ、オレがおまえを好きだからだろ」

 オレの告白に彼女がぎょっとして、口を押えた。周りがばか騒ぎしている中で、オレたちだけは静かだった。

「嘘でしょ?」
「いーや、マジだ。大マジだ。」
「えっ、いや、待って。そんなの――」
「ちなみに、二年のときからな」

 うろたえる彼女にいらついて言葉を遮ると、小林が口をつぐんで、俯いた。目線が泳いでいる。あからさまに困った態度。多分オレも今、あのときのコイツみたいな顔をしているに違いない。ためらいがちに視線を上げた小林の目が哀れみの色に染まっていた。そんな目で見られるのは勘弁ならなかった。

「分かってるよ。小林は、新開が好きなんだろ。」

 精一杯の捨て台詞は少し声が震えてしまったけれど、けじめはついた。謝罪など聞きたくなかったので、そのまま早歩きで小林から離れていった。失恋したら泣くのだろうかと以前想像したことがあったが、オレはもちろんのこと、そういえばアイツも泣かなかった。ただ胸が痛い。

 行く当てがあったわけではなかったが、部活仲間が数人集まっていたので、そこに合流する。友人の一人に肩組みすれば、気分は最悪でも自然と少しだけ笑顔になった。すると、ちょうど女子から解放された新開がその輪にやってきた。ブレザーどころかカッターシャツのボタンさえもなくなっていて、その表情から疲労がうかがえる。両手に花束やプレゼントが入った紙袋を提げていて、コイツがいかに好かれているのか思い知らされた。

「よぉ、色男。モテモテじゃねぇか」
「はは、ちょっと怖かったよ」

 苦笑いをしてから紙袋を地面に置き、ブレザーの襟を正す。そのちょっとした仕草も様になっていて、オレは自分がみじめになった。よく考えずとも明らかだ。オレみたいな普通の奴がこんな男と張り合って、勝てるはずがない。

「…なんかあったのか?」

 オレの顔を見るなり新開が訊いた。神様は不公平だな、と思った。

「フラれた」

 周りの連中が大げさに驚く中、新開だけは「そうか」と目を伏せただけだった。

「元気出せよ」

 肩を軽く叩かれる。そのときになんとなく気付いた。


 コイツ知ってやがったな――


 そうだ、新開は妙に察しがいいところがある。アイツの見え見えの好意に気が付かなかったはずがない。胸の中に黒いもやが巻き起こる。この野郎。

 しかし、ふいに悟った。新開に腹をたてる資格はない。オレだって、小林に言わなかったじゃないか。だのに、新開を責めるのか。手のひらが白くなるくらい強く握った拳を密かに緩めた。


 校門の前に植えられている桜の木は、まだ冬の顔をしていた。春になると、それはきれいな桜並木が学生たちを迎える、箱根学園。ここで過ごした三年間が青春と呼べる日々だったのか、今はわからないけれど――オレはアイツを好きで、アイツは新開が好きだった。ただそれだけのことだ。





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