log | ナノ


 私のアルバイト先であるこのコンビには本日夜十二時で閉店する。シフトは十時までだからもうあと十五分。約二年間世話になった制服を脱ぎ、建物を後にするときに寂しいと思わないのは薄情というものだ。



 自動ドアが開くと共に入店音がする。
「いらっしゃいませ。」
 半ば条件反射になってしまった挨拶もあと何回できるのか。もしかしたら、これが最後かもしれない。勤務時間十分強を残して、私はしんみりし始めていた。レジの時計を確認する。午後九時四十九分。再び入店音が鳴ったので口を開くと、私と交代する同僚だったので「お疲れ様です」と声を掛け合って、彼の背中を見送る。彼の連絡先は知らないから、多分もう会うこともない。ほとんど引継ぎのときしか話したことがないが、明るくよさそうな感じの人だ。彼が来たということは時間が迫っているということで、時計を見るともう五十一分だった。ああ、あと九分しかない。

 過ぎ行く一秒一分を嘆いているともう一度入店音が鳴った。この時間に毎日来る常連のサラリーマンがいつものように気難しい顔で弁当売り場の前に急ぐ。きっと単身赴任かあの年で独身なのか、どちらかだろう。こういう風に買い物内容から常連客の素性を想像するのも今日までだ。何かにつけて最後を連想していたとき、レジカウンターに小袋のチョコレートとスポーツドリンクが丁寧に置かれた。センチメンタリズムに征服されつつあった私が「いらっしゃいませ」と明るく取り繕って顔を上げると、たまに来る近所の高校生が神妙な面持ちで立っていた。名前も学年も知らない。しかし学校帰りであろう夕方ごろ頻繁に来る黒田という男の子の友達であることは覚えていた。黒田くんはお菓子やフライヤー、炭酸飲料を買っていくけれど、彼は大抵ゼリーやヨーグルトを買い、飲み物も今回のようにスポーツドリンクであることが多かった。チョコレートの袋をスキャンしながらそこはかとなく違和感を覚えつつも金額を告げ、レジ袋を開こうとすると「あ、袋は大丈夫です」と制されたのでテープを引っ張りそれぞれに貼る。

「ちょうど頂戴いたします。」

 最後の最後だから、できるだけ笑顔で。先程レジを確認したら勤務時間はもう二分しか残っていなかった。例の常連オジサンはつまみを物色しているようだから多分私の最後のお客さんはこの高校生だ。

「ありがとうございました。」

 誠心誠意お辞儀をしたというのに男の子は立ち去らず、私が頭を上げた後も彼は食い入るようにまっすぐと私を見ていた。何かし忘れただろうか、不安になってレジをちらりと確認していると彼が口を開いた。

「あなたの、笑顔が好きでした。」

 恥ずかしそうに頬を緩めてはっきりと発音した彼は照れているだろうに私から目をそらさなかった。突然のことにぽかんとしていた私は彼がスポーツドリンクに手をかけたところでとっさにお礼を言った。

「あ、ありがとうございます!」

 一層口角を上げたのが満足しているように見えた。わざわざこれのために来たというのは私のうぬぼれではないはずだ。

「それ、差し上げます。」

 彼はカウンターにチョコレートを残して、そそくさと自動ドアをくぐっていった。まつげの長いかわいらしい目に似合わぬ鍛え抜かれた胸筋と硬そうな手。礼儀正しい物言いはまさに運動部らしく姿勢の良い彼にはぴったりだった。


 午後十時、後ろ髪を引かれる思いで名札のバーコードをスキャンする。これで退勤完了、そしてもう出勤することはない。ピッと聞き慣れた音が頭で反響して、この狭い店内であったあれこれが自然と蘇り、苦楽が入り混じった思い出の一番最後を彼のはにかみが飾った。




prev | next