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 終着駅はほどほどの大きさの、情緒深い駅だった。レトロな雰囲気のそこは観光地然としていて、平日の夕方ということもあって、私たちの他に人はほとんど見られなかった。

「結構時間かかったなぁ」

 しみじみと呟く手嶋が伸びをして改札の方へと歩いていく。真新しい改札が古びた駅舎とミスマッチでなんだか不思議な空気を醸し出していた。

「まさか、出るの?」

 あそこから一歩出れば、料金がかかってしまう。厳密に言えば、切符を持っていないのにここまで来てしまった時点で、キセル行為なのだが。おそらく私たちが不正乗車しているなんて誰も気にしていないだろう。手嶋も私も何の特徴もない高校生二人組で、さらに説明すると恋人ではなく、友達。

「まさか。ここまでいくらかかんのかなって、気になっただけ」

 清算機の前で立ち止まり、定期を機械の中に入れる。なるほど、そういうことか。私も後ろについて画面を覗き込んだ。

「結構高いねえ」
「うーん、でも思ったほどじゃねぇな」

 確かに、ここまで学校から二時間半。その時間と比較すれば、二千円という金額は少ないように感じる。そしてその間に初めて二人だけで過ごした時間はこんな機械なんかでは何年、何百年かかっても算出できまい。


 多分始まりは「この電車の終点ってどこ?」っていう手嶋の言葉だったと思う。話の弾みから、私と手嶋は終点まで電車から降りないことになった。お母さんに帰りが遅くなる旨の連絡はオッケー。心うきうき、電車の旅――かというと、そうでもない。校門を出たときくらいから気が付いていた。手嶋にどことなく元気がないことには。


「帰るか」

 何もしていないけれど、ホームで他にすることもない。私は行き先表示板を携帯のカメラで撮ってから「うん」と返事をして、手嶋の後ろについて電車に乗り込んだ。がらんとした車内はさみしげで、どこか非日常的だった。満員電車などこの世には存在しないのでは、という錯覚すらおぼえそうな静かな空間はプシューと気体が吹き出す音が鳴って、完全な密室になった。


 ガタン、ゴトンと走り出した電車の中、唐突に手嶋が言った。

「一年が獲ったよ、レギュラー」

 それはつまり、先日行われていた自転車競技部の合宿で、彼はふるわなかったということだ。運動部はシビアだと思う。選手に年齢は関係ないのだ。年功序列の鉄のルールも当然存在するのだろうが、実力はそれに起因しない。実力だけが物を言う世界、私や手嶋のような凡人はどうすればそこで輝けるのか。

「そっか」

 それだけ答えれば十分だと思った。こういうとき私ならどうしてほしいかというと、よっぽど仲がよければ別だけど、不用意にプライベートエリアに入られるのは嫌なわけで。かと言ってほったらかしにされるのも、それはそれでさみしいものだ。

 しばらく他愛のない話が続いた。学校や友達の話、好きなこと、嫌いなこと。行きの電車でもたくさん話したので、話題を絞り出すのがだんだんと難しくなってくる。橋にさしかかり、電車の走行音が変わった。窓には河原の黄緑と――河って何色だろう。そんな疑問が浮かんだとき、電車が少し揺れた。それに合わせて身体も動く。それで、手が触れた。私の手の甲と手嶋の指の関節。でも、そのままにしておいた。

「そういえばさ、」

 手嶋が音楽の話を始めたとき、手が重なった。言葉が右耳から入って、左耳から抜けていく。私はもう、それどころではなかった。手の甲に手嶋の親指の質量を感じる。鼓動が速くなっていく。硬い手のひらの感触、思ったよりもかさかさしていた。手嶋がなんてことないみたいに話を続けているから、私の手にあるものは何か違うものなのかもしれないと不安になって、あごを引いてそれを見た。確かに手と手が重なっていて、確認した瞬間心臓がどくりと揺れる。私があからさまにそこを見たからだろうか。手嶋が私の顔をのぞきこんできた。

「今度持ってくるな」
「う、うん!」

 何のことなのかほとんどわかっていなかったけれど、とりあえず返事をした。そのとき扉が開いて、大勢の乗車客が乗り込んでくる。手嶋の手が離れて、ポケットから携帯を出してつぶやいた。

「もう、七時か。通りで人が多いわけだよ」
「これから一時間かぁ、っていってもすぐだよね。行き、結構早かったもん」」
「そうだなー、あとちょっとで終わっちゃうな」

 その後もしばらく話していたけれど、とうとう話題がなくなってしまって、無言の時間が増えた。その結果、とんでもないことをしでかしてしまった。適度な空調と左右の揺れのせいだとしても、いつの間にか眠ってしまっていたのは、過ちだった。

 かくんと頭が揺れた感覚で目が覚めると、目の前にはスーツを着た男性が吊り革を掴んで立っていた。

「やっと起きた?」
「…おはようございます」
「オハヨ」

 相変わらず、人を小馬鹿にしたような笑い方。以前それを本人に言ったら「ひっでぇなー、傷付くわ」なんて全然ダメージを受けていない風に返されて軽薄な奴だと思ったけれど、今ではそう思っていない。

「そろそろミョウジが降りる駅だぜ。今起こすか迷ってたんだ」
「うわ、私ずっと寝てたの?…ごめん」
「いいって。オレもさっきまで寝てたし」

 背後の窓から外を眺めるとそこは見知った景色で、車内は満員で――眠ってしまったのを心底後悔した。あと一駅で、私は降りなければならない。手嶋はそれよりまた二駅後だ。

「今日は付き合ってくれて、ありがとな」
「ううん、楽しかった」

 付き合ったという表現には語弊がある。断られなかったのをいいことに、私が勝手についてきただけなのだから。

「病院、今度はちゃんと行きなね」
「ああ」

 病院をさぼっての電車の旅がもうすぐ終わる。これが逃避なのかリフレッシュなのか、決めるのは私たちでいい。私はリフレッシュだと断固主張する。

「ミョウジ」

 満員なのに静かな車内。一目を気にしてだろうが、手嶋の顔が私の耳にぐっと寄った。

「オレがくさったら、さ」

 もう一度、手が重なる。今度は重なっただけではなくて、小指側に手嶋の指がかかった。優しい握力は私の心臓まで潰してしまいそうだ。

「また付き合ってくれよ」

 なんていうか、卑怯な奴。そこでちょうど電車にブレーキがかかったのが体感できた。もう降りねばならない。

「しょうがないなあ」

 本当は嬉しくてたまらないけれど、それは言わないでおく。多分言わなくても伝わっているから。私が手嶋の途方のない旅に付き合った理由なんて、単純でまっすぐな、つまりそういうこと。





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